ナージャはヒロインが苦手と知った
放課後、必要以上に校内に居たくないからとナージャはすぐさま帰り支度を整える。
「お姉様!」
しかし間に合わず、リーリカが教室内へと飛び込んできた。
授業終了時間は変わらない上にリーリカの教室はナージャの教室からかなり遠いはずなのだが、何故毎日毎日ナージャが出る前に間に合うのだろう。
……主人公って、凄いんですね。
流石の主人公補正。ただしそれが自分に使用されるのは物凄く嫌。困った表情のまま、ナージャはそう思った。
「お姉様、一緒に帰りましょう!」
「ごめ、ご、ごめんなさ、い」
満面の笑みを浮かべながらぐいぐい来るリーリカに引きながら、ナージャは必要な物を入れたカバンを盾にするように胸の前で持つ。ほんの少しで良いから、リーリカとの間に壁が欲しかった。
「わた、私、私、一诺と帰る、ので」
「そう、そこです!」
「ぴぃ…………」
ずいっと距離を縮められ、ナージャの喉から小鳥の鳴き声のような音が出た。
正直に言って、ナージャはもう泣きそうだった。とはいえ泣くという行為は隙を見せる行為でもあるし、相手を悪者にしてしまう事も多々ある。
だからナージャは泣かないように堪えるも、その眉は困り切ったように下がっていた。
「アタシもそこに加わって、三人で帰りましょう!あ、いやカーナもか。四人で帰りましょう!」
……凄く嫌です……!
地獄のような空間が目に浮かぶ。
ナージャに話しかけ続けるリーリカによって疲弊する自分が見えるようだ、とナージャは顔を青褪めさせた。弟はよくリーリカを回収してくれるものの、かといって関係が良好になるとかも無いのだ。いつも通り今まで通り、限りなく他人に近い関係性のまま。
そんなメンバーでの帰宅など、考えるだけで気絶しそうだった。
「や、あの、や、や……」
「あとアタシ、お姉様のお家にも行きたいです!お姉様とお話したいというか、お姉様の事をもっと知りたくて!」
「ひ、ぅ、ぅぇ……」
その目はとてもキラキラしていて、好奇心はあれど悪意が無い事は一目でわかる。
わかるけれど、ナージャには無理だった。ナージャは別にリーリカと会話などしたくないし、知って欲しいとも思わない。話す事でナージャがリーリカを苦手としていると理解して引いてくれるなら良いが、このタイプはそういう事を思わないだろう。
だって、妹の紡もそういうタイプだった。
……家族で妹で実の子みたいに育ててたから可愛がれて愛せましたが、他人だったら絶対無理な性格でしたね……。
元気で、コミュ力が高くて、行動力がある。踏み出せない誰かを踏み出せるようにしてあげたり、引っ張ってあげたりが得意な子。けれどそれは、ナージャのような性格からすると無理だった。
別に出たいとも思っていないから。
ナージャは常々、自分の気持ちを理解して欲しいと思っている。けれどそれは理解して貰えば仲良くなれるという考えでは無く、理解して貰えれば放置しておいてくれるだろう、と思っての事だ。
……過剰な接触、苦手です。
一诺はその点、距離感が素晴らしい。
当然のように傍に居るが、その気配は控えめだ。だから圧を感じない。必要以上の会話を求めないから、無言のままでも息苦しくない。ナージャの感情を混ぜ返すような強さで迫っては来ず、ナージャの発言の速度に合わせてくれる。
……多分走る時、この子は遅れている子の手を掴んで引っ張るように一緒に走ろうとする子なんでしょうね。
ナージャは別に走る気など無いので、普通に嫌だ。引っ張られているという事はそのスピードに遅れた途端足手まといになって、引っ張ってくれている子ごと転ぶだろう。それがわかるからこそ走る事を強制される事になる。
それは、凄く嫌だ。
一方一诺はそれをしない。ナージャが歩いているなら歩幅を調整して歩く速度を合わせ、隣を歩いてくれる。手を無理矢理繋ごうともしない。ナージャに危険がある時だけナージャを庇うように、守るように抱き寄せるくらい。そのくらいの距離感がナージャにとってはベストだった。
だから、リーリカの願いは叶えられない。
「あの、ごめ、なさ……。私、あの、家、家、は、ちょっと」
「用事があるんですか?」
リーリカは雨に降られた捨て犬のような目で上目遣いをしながら、しょんぼりとナージャを見た。
……恋愛ゲームの主人公だけありますけど、それは私に使う目じゃないと思います……!
そのスキルはナージャでは無くて攻略対象に使って欲しい。
「……用事は、無いです。でも、私、あまり、家族と仲良く、ないんです。いつも部屋に居て、一诺以外、部屋に入れる気も無い、んです」
今でこそ無いが、かつて当然のようにナージャの部屋に入って来て行きたくもない場所に連れ出す両親を思い出す。
「い、一诺以外、入れて、良い思い出、が、その、無いです。だから、あの、ごめんなさい……っ」
「あっ、お姉様!?」
言うだけ言って、ナージャは逃げるように立ち去った。一分一秒でも早くリーリカから離れたかったし、学校から遠ざかりたかったから。
「ナージャ様、お迎えに」
「一诺!」
校門前で既に待っていた一诺が声を掛けるよりも早く、ナージャは一诺の胸に飛び込んだ。
「……ナージャ様?」
ナージャは今まで、人が居る前で一诺にこんな勢いで抱き着いた事は無い。逃げるように、誰かを避けるように一诺の背に隠れる事はあるが、こうやって抱き着いた事は無かった。
異常と判断したのか、一诺が眉を顰めた。
「…………何か、嫌な事がありましたか」
「……特待生、が、一緒、一緒に、一诺も、弟も、一緒に、か、帰りたい、って。家に来て、私としゃ、喋りたいって、言いました」
「成る程。よく頑張りましたね」
ナージャの背を軽く叩き、一诺は目を細める。
その振動と温もりに、一诺の胸にぴったりとくっついていたナージャは安堵を得る。一诺が居るから大丈夫。そう思えば、落ち着いて呼吸が出来た。
「……大丈夫ですか?ナージャ様。歩く事すらままならないようでしたら、抱き上げて帰宅しますが」
「だ、いじょうぶ、です」
心が限界の時は一诺に抱き締めて貰ったり抱き上げてもらったりしているナージャだが、流石に往来でそれをするのは躊躇った。恥ずかしいのもそうだが、申し訳ないという気持ちもある。
それにここで甘えてしまえば、今後も帰宅まで持たず甘えてしまいそうだから。
……一度緩めちゃうと、そのまま緩んじゃいますもんね。
甘えるなら、帰宅して二人きりになってから。じゃないと安心出来ない。知らない人や一方的にこちらを知っているだろう人達が居る中では気を抜けない。ナージャが安心して素を出せるのは一诺にだけだからこそ、他の人に対してそれを見せるつもりは無かった。
普段のナージャも素のナージャも知らないだろう人達ばかりだとはわかっていても、だからセーフだと思える程ナージャの心の壁は薄くないのだ。
「自分で、歩けます。ただ、あの、その」
「はい」
「手、手を、手、握っても、良いですか」
「勿論ですよ」
一诺は目を細め、手を差し出した。
ナージャはその手を取って緩く握り、ホッと息を吐く。こうして手を握っていれば、縋っているのと同じだから。一诺と手を繋いでいるだけで、周囲と自分達を区切る壁が出来ているような心地がした。
「では、帰りましょうか」
きゅ、と一诺がナージャの手を握り返す。痛くは無いが、少し強めに。しっかりと握っていると伝えるような強さだった。
……一诺の手、温かくて大きいです。
ナージャの手を包み込む大きな手。男らしく骨ばっていて、爪は家事の為に短く切りそろえられている。手は荒れているように見えて、ナージャのスキンケアを行っているからかそこまで荒れてはいなかった。男らしいが、カサついてはいない。
働き守ってくれるその手は、ナージャが今まで見たどんな手よりも綺麗に思えた。
……そもそも他の人の手を意識して見た事、無いですけれど……私にとって最高の手は、きっと一诺の手が不動でトップにあり続ける気がします。
そう思うと、クスリと一瞬微笑みが零れた。
「ナージャ様?」
歩く速度を合わせてゆっくりと歩いてくれていた一诺が、その声に反応してか不思議そうな顔で振り返る。
「どうかされましたか?」
「いえ。……一诺が居てくれて、本当に良かったなあって、思ったんです。こうして手を繋いで、一緒に歩いてくれて、それだけで心が凄く軽くなりましたから」
「…………そうですか」
一诺は虚をつかれたように目をパチリと開いたまま頷き、再び正面に顔を向ける。しかし髪から覗くその耳と首は、真っ赤になっていた。
本人は気付いていないのだろう、照れている証。
……良かった、今私、幸せです。
リーリカに絡まれて心が擦り切れそうになったが、一诺と共に歩くだけでその擦り切れた心は癒される。自然とナージャの表情が緩み、困り眉はそのままに、口元だけが微笑んでいた。
・
ふと、ナージャは目を覚ました。
帰って来てからどうにか寝間着に着替えたところまでは覚えているが、そこからの記憶が無い。どうやらそのままベッドに倒れ込みでもしたのか、普通にベッドの中だった。
……倒れ込んだ時は一诺が私をベッドの中に入れておいてくれるから、自分で入ったのかわかりませんね。
そう思いつつ外を見れば、日が暮れていた。夕方を少し越えたくらいの時間だろう。歯車をカチャカチャと鳴らす時計を見れば、思った通りそのくらいの時間だった。
……あの時計、歯車の音がちょっとうるさいから困ります。
すっかり慣れてしまったが、少々やかましい。ナージャがそう思って時計を見ていると、ノックの後に一诺が入って来た。
「おや、既に起きていましたか。返事も待たずに申し訳ありません」
「いえ、今起きたばかりなので気にしないでください」
一诺はナージャが寝ている時も、一定時間ごとに様子を窺いに来てくれる。そして寝ている時はノックに対し返事は出来ない。なので、一诺に限っては返事が無くとも入って良いという事にしてある。
相手が一诺であれば、扉の開閉音や気配によってナージャが起きる事も無いから。
「……一诺」
「はい」
一诺は目を細めて返事を返す。
……ん、んん、何というか、一诺の様子がおかしいような……?
笑っているのに笑っていないというか、いつもならもう少し優しい微笑みのはず。なのに今は、感情を抑え込むような笑顔だった。少し硬い表情、という感じだ。
「一诺、私が寝ている間に嫌な事がありましたか?」
「!」
ナージャがそう問い掛ければ、一诺は細めていた目をパチリと見開いた。口角を上げている口元だけはそのままだが、その目の動きは何故それがわかったのかと雄弁に語ってる。
「…………何故、そう思ったのですか?」
一诺は再び目を細め、口角の上がり方を少し緩めてそう言った。その顔は比較的いつもの笑みに近いが、やはり違う。少しばかり壁のようなものを感じる笑み。
いつも一诺と一緒に居ていつも一诺の事を見ているナージャだから、すぐにわかった。
「表情が硬いのと、声色が硬いのと、気配が少しだけパリッとしているというか、ピリッとしているというか……」
……どう言ったら良いのでしょう。
「こう、時々私を狙う怖い人達が居る時、一诺が私を守ってくれますよね?その時みたいな、周囲を警戒しながら威嚇しているみたいな、そんな感じに、感じたんです」
「………………」
一诺は深い溜め息を吐く。
「……流石はナージャ様ですね」
そして、へらりと歯を見せるような笑みを浮かべた。不格好で、無理矢理笑ったような顔で、一诺らしくはない笑み。
けれどそれもまた、ナージャの知っている一诺だった。
「先程帰られましたが、少々どころでは無く厄介かつ不愉快な客が来ておりまして」
「お客様、ですか?」
それが何故一诺のストレスになるのだろう。そう思い、ナージャは首を傾げる。
……お父様かお母様のお客様なら、どちらかが対応しますよね。
仮に使用人が出るにしたって、一诺はナージャの専属。必要とあらば出る事もあるだろうが、基本的にはナージャに関する全ての世話を一任されている分、そういった事は管轄外だ。
絡まれでもしたのだろうか、とナージャは思う。
……居酒屋でのバイトの時は、酔っ払いのお客様が絡んでくる事もありましたし……そういう系統でしょうか。
「ええと、それは私関係についてを聞いてきたとか、もしくは一诺を引き抜こうとしたとか、ですか?」
「確かに東洋人の使用人は珍しいですが、私を引き抜こうと思う者はそう居ないでしょう」
「一诺は優秀だから、いつどこに引き抜かれるかわかりませんよ。だから結構、知らないお客様が来る時は不安です」
ナージャはベッドの上で膝を抱え、頬を膨らました。
「お客様が一诺を気に入って連れて行こうとしちゃうんじゃないかって」
「ありえないから大丈夫ですよ」
一诺はナージャの言葉に、耳と首を淡く染めながらくつくつと笑う。
「それに例え天地が引っ繰り返ろうと、私はナージャ様が必要としてくださる限り、あなたの傍に居ますから」
「絶対ですよ?絶対ですからね?一诺が嫌だって言わない限り絶対ずっと一緒に居ますから、嫌な時は本当にちゃんと言ってくださいね?」
「はい」
ナージャの反応がツボに入りでもしたのか、一诺は楽しそうに微笑みながら頷いた。
「……あれ、でもそうすると、お客様はどういう方だったんですか?一诺があんなにもピリピリするなんて」
「………………」
問い掛けると、一诺は再び少しピリッとした空気を纏った。笑みが固まり、その顔に影が差す。
「……特待生が、ナージャ様に会いにやって来たのですよ」
「え」
表情を笑みで固定したまま、一诺は低い声でそう言った。それは舌打ちの幻聴が聞こえるくらいにはとても忌々しそうな声で、眉間にはシワが寄っていた。
「…………特待生が、ですか?」
「カーナ様と勉強会をするという名目で来て、そのままこちらに。ナージャ様に教わりたいお話をしたい、と。当然ながらナージャ様は学校に行くという行為で疲れ果てているので体力回復の為に寝ている、と告げて拒絶しました」
「ありがとうございます」
足を抱えるのを止め、ナージャはしっかりと一诺に頭を下げてお礼を言った。体力回復の為にお昼寝をしているというのに、体力を削る要因によってその時間を壊されたら心に尋常じゃ無いダメージを負っていただろう。
そう思うと、一诺が居てくれて本当に良かった。
「あ、でもそれでピリピリしてたって事は、特待生、すぐには引いてくれなかったんですか?」
「それはもう。ナージャ様が中で寝ているというのにやかましく」
そう言う一诺の顔は、怒っているのがよくわかる笑みだった。笑っているのに口の端が少し引き攣っているし、背後に鬼のようなオーラが見える気がする。
どうやら一诺もまた、特待生とは気が合わなかったらしい。
「少々平行線にはなりましたが、元々はカーナ様との勉強会という目的での訪問ですからね。カーナ様がそれを指摘してカーナ様の部屋へと連行してくださったので助かりました。しばらくカーナ様の部屋で過ごしてから、先程カーナ様による見送り付きで帰られましたよ」
「良かったです……!」
ナージャは心の底からそう思って胸を撫でおろした。
長男であるカーナの方がナージャよりも身の安全を確保した方が良い気もするが、カーナは闇魔法の扱いに長けている。その為闇に紛れる事で気配を薄くしたりが得意なのだ。つまり単独行動をしている方が逃げ切りやすい。
同時に夜などの暗い時間帯の方が闇魔法を扱いやすくなる為、積極的にリーリカを送っているのだろう。
……弟も攻略対象なんでしょうか?
前世で妹が持っていたゲームのパッケージを思い出しても、弟のような顔は居なかった気がする。ナージャはそう思ったが、まあ良いかと流す事にした。弟であるカーナが攻略されてリーリカが嫁入りするという、日常まで浸食される恐れはある。
けれどまあその時はその時でいっそ家を出る事も視野に入れるだけだ。
「……一诺」
「はい」
まだ少しピリピリしている一诺に、ナージャは微笑む。
「特待生の相手をして私を守ってくれて、ありがとうございます」
「…………!」
驚いたように、パチリと一诺の目が一瞬見開かれた。
「いえ、専属の使用人として当然の事をしたまでです」
そして、へにゃりとした、ふわりとした微笑みを浮かべて一诺はそう返す。今まで纏っていたピリピリした気配は既にどこかへと消えていた。
「それに聞いていた以上にどうかと思う人間でしたからね。あんな女をナージャ様に近付けるのはただただナージャ様を憔悴させ疲弊させ悪影響を与えるだけだと確信しましたよ」
視線を逸らし、一诺は吐き捨てるようにそう言った。その顔には鼻で笑うような笑みが浮かんでいる。険しさのある嘲笑という今まで見た事が無い一诺の表情に、ナージャはちょっぴりビックリした。
……い、一诺をここまで怒らせるだなんて、一体どんな態度を取ったんでしょう……。
ナージャはそんなリーリカが恐ろしく思えたが、それ以上に初めて見る一诺の表情にちょっぴりドキドキしていた。知らない顔を知る事が出来たのが、何だか嬉しい。それでリーリカに対する感情が上向く事も無く寧ろ普通に好感度が下がったが、それはそれ。
恋愛感情かはさておいて、大好きな一诺の新しい一面を知れた。
「……えへ」
「ナージャ様?どうされました?」
「いえ、一诺のそんな顔を始めて見たから、私のまだ知らない一诺を知る事が出来たのが嬉しくて」
ナージャはそれが何より嬉しかった。
思わず浮かべただらしのない笑みのままで一诺の問いにそう答えれば、一诺は驚いた表情になる。その耳と首は、真っ赤な色に染まっていた。
家族だからまだ許せるし普通に仲良くも出来るけど、他人だったら絶対近寄らないし関わりたくもないなってタイプ居ますよね。




