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リーリカは出会う



 入学してから数日経つが、ロマーシカ魔法学校は基本的に貴族が通うだけはある大きさだった。


「いやもう本当ふざけないで欲しいんだけど……何よこのマップ。どっちに行けば良いっての?え?」


 ……そりゃ高嶺の希望本編の主人公も道に迷うわよこんなの!


 リーリカはそう叫びたいのを耐えて、マップと周囲とを見渡す。周囲にある教室などから今の位置を割り出してどうにか現在地を特定。


「……ガッデム」


 特定したは良いが普通に現在地マークが描かれていた。さっきまで絶対無かったのに何故。いや別に良いけどふざけんなと叫びたい。リーリカは頭を抱えた。


 ……無駄にだだっ広いから駄目なのよ、うん、絶対そう。


 とにかくどうにか現在地と方角を把握し、教室へと向かう。しかし少し行くと途端に道が把握出来なくなり、もう一度戻る。一回体の向きを変更してからマップを頭に入れないと、体の向きを変更した途端にマップが対応しなくなるのだ。

 リーリカは地図を読むのが苦手なタイプだった。


 ……向こうが勝手に視界から居なくなるんだから仕方ないじゃない……!


 例えばビルがあったとしても、体の向きを変えた途端そのビルは視界から消える。真っ直ぐ通れば到着するだろうが、右に曲がったり左に曲がったりすると途端にどっちがどっちかわからなくなるのだ。何故人間には方位磁石が内臓されていないのだろう。

 リーリカはわりと頻繁にそう思う。


「いや本当にこれどうやって教室に行けば良いのかわかんないんだけど……」


 今までは他の同級生について行ってどうにかしていたが、今日は早くに来たせいか見当たらない。


「ねえ、そこのアナタ」

「そこの特待生、ちょっと良いですか?」

「え?」


 うぬぬと唸りながらマップと睨めっこをしていると、男女の声がかけられた。リーリカが振り向くと、そこには金髪の美少女と赤髪の美少年が立っていた。


 ……アデリナとラーザリじゃない!


 リーリカは驚愕に目を見開いた。

 彼らはゲーム本編では完全にモブ扱いであり、ナージャの取り巻きというくらいしか出番が無い存在。しかしイラストレーターのこだわりなのかお気に入りなのか、しっかりとした立ち絵が用意されていた。

 そして地味に人気がある二人でもある。


 ……ファンブックのおまけSSが強かったのよね……。


 そこではアデリナとラーザリの日常的な喧嘩、というか言い争いが書かれていた。喧嘩する程仲が良いというか、ファンからすれば最早ケンカップルとしか思えない掛け合い。貴族の少女と庶民の少年というのもまたファンの心を掴んだ。

 この二人は大体ナージャの傍に居る為、喧嘩する二人を困ったように見ているナージャの姿はお母さんみたいと言われていたものだ。


 ……まあ、お姉様がお母さんみたいっていうのは一部のトラウマを刺激する地雷ワードなんだけど。


 ラヴィルルートのとびきりヤバいバッドエンドとか正にそれ。無理矢理犯されて子供産まされて本家乗っ取られるとか乙女ゲームでやって良いのかと思うくらいにはハード。

 尚このエンディングは途中で立ちはだかるラスボス、一诺(イーヌオ)との戦いでターンが経過し過ぎると到達するエンドでもある。

 つまり一诺(イーヌオ)を素早く倒せればナージャを救えるのだが、一诺(イーヌオ)は無駄に強い。キャラとの会話や好感度に比例してキャラの強さが変動するのだが、好感度を可能な限り上げても多少苦戦するのだ。


 ……あの男、本当に厄介過ぎて嫌になるわ……!


 物凄く強いし。

 その上、「貴様らに俺の気持ちがわかるものか……!」と叫びながら攻撃してくる。知らねーよとしか返せない。ただし一诺(イーヌオ)の方にも色々と事情があるのか、苦虫を噛んだような酷い顔のスチルだったが。


 ……でも結局、公式ファンブックでも一诺(イーヌオ)に関しては詳しく語られなかったのよね。


 続編の増量版ではその辺りも掘り下げるとインタビューで言われていたが、結局プレイ出来ていないからわからないままだ。まあプレイしていたとしても憎しみしかないのだが。

 ナージャが孕ませられるエンドではその後死体が見つかり、自殺したと推測される云々が語られていたが、その辺りも結局よくわからない。


 ……お姉様のあの酷い挙句を見ると、一诺(イーヌオ)が自殺か何かで死んだって聞かされてもモヤモヤが募るだけだったし……。


 さておきリーリカに声を掛けたアデリナとラーザリだが、二人は睨み合っていた。


「ラーザリ、アナタは居なくて結構ですわ。ナージャ様と二人きりになるのは許しませんけれど、お家に帰るのでしたら構いませんわよ?」

「それはこっちのセリフですよアデリナ。俺がナージャ様の願いを叶えるので貴族は貴族らしくお上品にその辺のベンチに座っていてはいかがですか?」

「は?」

「あ?」


 バチバチと火花が散っているかのように見える睨み合い。


 ……ホントにこの二人、仲良く喧嘩してるというか……。


 そんな言い合いと睨み合いが発生したからこそ、リーリカは現実逃避出来ていたと言えよう。

 というか地味に人気が高いキャラである二人がリアルで目の前に居て、生きていて、会話していて、掛け合いを見せてくれているのだ。油断するとサインを求めそうになる心を静める為には、現実逃避しか無かった。

 初対面で突然一般人と貴族にサインを求める特待生とか完全に頭おかしい子でしかない。


「……あのー」

「あ、いけませんわね。折角ナージャ様が案内をするようにと仰られましたのに」

「そういえばそうでした」


 声を掛ければ、すんっと二人は普通に戻る。


「初めまして特待生、わたくしはアデリナ」

「俺はラーザリって言います。それで特待生、もしかしなくとも迷子ですね?」

「は、はい」


 ……モブのはずなのに顔が良いのよねー……!


 キラキラした微笑みを浮かべる二人を前にして、リーリカは乙女ゲームの本気を味わった。リーリカも主人公なだけあって可愛らしい見た目なのだが、こういう美麗系の方面では無いタイプ。慣れない眩しさに目がチカチカした。


「では先輩として、俺達が案内しますよ」

「ええ、クラスを教えてくださいまし」


 ……あ!よくよく思い出すとこれお姉様との出会いイベント!?


 リーリカは既視感からふとゲーム本編のイベントを思い出す。迷子になっていると彼らが現れ、助けてくれるのだ。そこからナージャにもお礼を言いに行って出会う、というのが出会いイベントである。


「その、A組です」

「という事はナージャ様の弟さんと同じクラスですね」

「それなら場所もしっかりと把握してますわ」


 ……普通は親しい人の弟のクラスまで把握はしないんじゃないかしら。


 けれどナージャは世話を焼きたくなる儚さがあるので、リーリカもわからなくはない。リーリカが公式ファンブックやインタビュー、SNSでの呟きもしっかりと読み込んでナージャについてを知ろうとしたのは事実だから。





 無事クラスまで送ってもらい、教室へと入る。


「あ、おはようリーリカ」


 既に席に座って本を読んでいたのは、カーナ・ノヴィコヴァ。

 ナージャの弟であり、立場としては非攻略対象であるモブ寄りのキャラクター。しかしリーリカの隣の席に座っている彼は、色々と大事なキャラクターでもある。


 ……主にシステム的にお世話になったわ……。


 キャラクターとの好感度を上げなくてはシナリオが進まないしバトルも勝てない。けれど毎回毎回会いに行くと嫌がられる為、好感度が存在していないモブであるカーナと会話する事で時間を経過させる事が多かったのだ。

 ちなみにナージャにも好感度は存在していなかった為、選択肢を選ぶのが楽しかった。


 ……ぐいぐい押せ押せな選択肢を選ぶと、可愛らしい反応を見せてくれるのよね。


 表記されている部分は無言なのに、音声では小さい声で「み……」と言っていたりする。それがまたハムスターのようで可愛らしいと評判だった。表情が基本的に困った表情で固定されているのも、また小動物っぽく見える理由だろう。

 とはいえナージャは会えない事も多い為、必然的にカーナに話しかける事になるのだが。


 ……そういえばカーナに関しては、あんまり知らないのよね。


 モブなのでファンブックにはいまいち情報が載っておらず、主張もそこまでしないタイプ。

 ただし頼むと大体受け入れてくれる為、バトルの時などは戦力としてとても助けられた存在だ。まあ好感度が無い分戦力は一定だったのが少々痛かったが。

 カーナは読んでいた本をパタンと閉じ、薄く微笑む。


「早いね」

「おはようカーナ。これでも迷わなければもっと早く来れたのよ」

「迷ったの?」


 静かにそう言うカーナから目を逸らし、リーリカは自分の席へ着く。


「……親切な先輩達が送ってくれたの」

「そっか」


 カーナは静かにそう頷いた。

 彼の声は控えめで静かで、音量を大きくしていないと聞こえないくらいだった事を思い出す。実況者の人によっては「あれ?喋ってる?音声無し?バグ?」と言っていたりしたくらいだ。

 まあカーナの声に慣れると、力が大分抜けている声という事がわかるのだが。


「やっぱり登校時間決めて待ち合わせする?リーリカ、毎朝迷ってるし」

「うう、隣の席ってだけで出会って数日なのにそこまでしてくれるカーナの優しさが染みるわ……!」

「それを言うなら、初対面なのにリーリカがぐいぐい来たからだと思うけど。俺、あんまり自分から行かないし」

「だって隣の席よ隣の席!この学校クラス替え無いから長い付き合いになるんだし、仲良くなっておいた方が良いじゃない!アタシ、カーナとは仲良くなれる気しかしないし!」

「へえ」


 リーリカの言葉と演技っぽい仕草を前に、カーナは薄い微笑みを浮かべたまま頷いた。


「……クール過ぎないかしら、反応」

「そう?これでも結構喜んでるよ」

「表情全然変わってなーい」


 ……でも、多分その内表情の変化もわかるようになるわよね。


 カーナとはそれこそこれから長い付き合いになるのだ。

 ゲームの世界とはいえリアルなこの世界で、好感度がどう変動するかはわからない。毎回会いに行っても好感度が下がる事は無い、という事もあるかもしれない。けれど万が一を考えて、リーリカは基本的にカーナと多めに会話をしようと決めていた。

 全ては逆ハーレムエンドの為に。

 別にリーリカが逆ハーレムの主になりたいというわけでは無く、そのルートが一番ナージャが幸せになれるエンドなのだ。そのルートでエンディングを迎えると、最後にナージャが嬉しそうに微笑むスチルを見る事が出来る。常に控えめな笑みや困ったような笑みがデフォルトで、いつも困り眉なナージャが本当に嬉しそうな笑みを浮かべているスチル。


 ……一诺(イーヌオ)にプレゼントされたとかいうあのチョーカーも、そのルートだと外してるし。


 つまりそのルートの時、ナージャは一诺(イーヌオ)への未練を断ち切ったとも言える。そして何よりもやはりあの笑顔。

 間違い無くそのルートが一番幸せになれるルートなのだから、好感度調整は上手にやらなくては。


 ……実際逆ハーレムルートだと、一诺(イーヌオ)が刺客だって伝えるルートだからお姉様がピンチに陥る前に対処出来るし。


 ラヴィルから情報を得て、ナージャの前で一诺(イーヌオ)が刺客だという情報を暴露。ナージャを保護して一诺(イーヌオ)とバトルし、勝利。その後選択肢を間違えないようにしつつナージャを守り切る事で到達出来るエンディングである。

 手間は掛かるが、一番平和的に終わりナージャの心に必要以上のダメージを負わせずに済むのもそのルートだ。


 ……問題は、一诺(イーヌオ)を刺客だと暴露した後の会話ね。


 選択肢をミスすると一诺(イーヌオ)と話し合う為にナージャが抜けだし、誘拐されてバッドエンド。パターンによってはナージャが自殺したり心が壊れたりという場合もあるので、本当にあのゲームシナリオを書いた人はナージャに何の恨みがあるのだろう。

 もうちょっとただひたすらに幸せなルートも作って欲しかったとはファンの言葉だ。


 ……まあ、だからこそ二次創作界で物凄い勢いで伸びてたみたいだけど……一诺(イーヌオ)とのカップリングが大人気だったのは解せないったらないわ!


 リーリカには、どうしても一诺(イーヌオ)の良さがわからなかった。苛立ちのままにそう思いつつ、リーリカはカーナとの会話を続ける。


「でもこの学校の人達、良い人達ばっかりね」

「そうでも無いと思うよ」


 カーナはさらりとそう言った。


「ノヴィコヴァ家の分家の人、先輩なんだけどどうもいじめられてるみたいだし」

「え」


 ……確かにカーナとの会話でラヴィルとの出会いイベントのフラグが立つけど、こんなに早かったかしら……?


 もしかするとカーナとの会話数で発生するタイプだったのだろうか。リーリカは実況や他の人の感想を見たりはしても攻略サイトは見ないタイプだったので、その辺りはよくわからない。


「かといって俺や姉さんが手出しする方が危ないだろうから、どうしようも出来ないけどね。下手に悪化させちゃうのは駄目でしょ」

「……カーナ、それってアタシが聞いても良い話?」

「さあ。別に口止めされてないから良いんじゃない?もっともリーリカがそれを知った場合とんでもない事になる、みたいな予知を視てるなら駄目だろうけど……視た?」

「視てないわよ。そもそもアタシの予知、結構適当だし。ワンシーンがチラッと視えるだけだし、起きたら忘れてる事も多いし、視ようと思っても視れないし」

「まあ予知ってそういうものだろうからね」


 テンションを上下させる事も無く、カーナは静かなテンションのままでそう言う。

 ゲームの時も思っていたが、感情がフラット過ぎやしないだろうか。正直ファンブックでもいまいち語られていなかったので、ゲームでの会話数こそナンバーワンでも彼のキャラはいまいち掴めていなかった。


「……あ、そういえば」

「ん?」


 ……いけないいけない、イベントはちゃんと起こさないとお姉様に会えないままになっちゃうわ。


 自分が主人公だからこそ、うっかり気を抜いてイベントの進行を忘れないようにしなければ。


「さっき教室まで案内してくれた人達、ナージャ様って人が願ったみたいな事を言ってたんだけど、知ってる?」


 リーリカは当然、カーナの姉がナージャである事を知っている。けれどここではこう聞くのが正解だ。選択肢も無く、シナリオ的に主人公はこう聞いていたから。


「うん、多分俺の姉さんだと思う。この学校にナージャって名前、姉さんしか居ないし」


 シナリオ通り、カーナはそう返してくれた。

 ここからカーナに頼み込んで一緒に来てもらい、ナージャを紹介してもらって知り合う、という部分までがプロローグだ。いやまあ正確には他の攻略対象達とも出会い終わって初めてプロローグ終了となるのだが、メインヒロインと言っても過言では無いナージャと知り合う事が最優先事項なので間違ってはいない。

 ファン達もナージャとの会話がメインでその他はナージャを救う為のおまけとさえ称していたくらいには、ナージャがメイン扱いなのだ。


「……カーナ、お願いがあるんだけど!」

「先に言っておくけど、俺別に姉さんとそこまで仲良いわけじゃないよ」


 リーリカの心を読んだかのように、カーナはそう言う。


「姉さん昔から俺と遊ぼうとしてくれなかったし。っていうか使用人にべったりだったし」

「使用人」

「そ、一诺(イーヌオ)っていう東洋の使用人。姉さんに専属でついてる」


 ……何としてでも、あの男をお姉様から引き剥がさなくちゃ……!


 カーナの言葉に、リーリカは密かにその覚悟を新たにした。


「でもお礼を言いに行くのに付き添ってくれたりくらいしても良いでしょ?っていうか一人で三年生の教室まで行けないわよ!」

「まあ確かにハードルは高いかもしれないけど、それなら別に行かなきゃ良いんじゃない?」

「違うわ」

「?」

「迷う」

「あー……成る程」


 リーリカが真顔で言った言葉に納得したのか、カーナは多少の憐憫がこもった目で頷いた。


「それなら仕方ないか」

「って事は!」


 期待に目を輝かせながらリーリカがずいっとカーナとの距離を縮めると、カーナは仕方が無いとでも言うように笑う。


「うん、付き添いくらいならね。お礼とかは自分で言ってよ」

「勿論よ!」


 ……これで、リアルのナージャ様に会う事が出来るわ!


 両手を組んで思わず満面の笑みになりながら、リーリカはそう思った。





 三年生の教室。到着して教室を覗き込むと、先程の二人と目が合った。


「あれ、アナタはさっきの」

「特待生ですわね。それにナージャ様の弟さんじゃありませんの」

「どうも」


 カーナは三年生相手でも委縮せず、軽く頭を下げた。


「ほら、リーリカ」

「うん」


 カーナに軽く背を押されたので、リーリカは二人に頭を下げた。


「あの、先輩方、さっきはありがとうございました!」

「いえいえ、気にしないでください」

「ええ、そうですわ。ナージャ様が指摘しなければ、わたくし達はアナタが迷っている事にも気付けなかったでしょうし」

「……その、ナージャ様にもお礼をしたいんですけど……」

「良い心がけですわね!」

「これに関しては同意します!」


 リーリカがナージャにお礼を言いたいと言った途端、落ち着いた先輩らしい雰囲気だった二人はその雰囲気をどっかに放り捨てて全力で頷いた。本当にナージャ第一らしい。


「では呼んできますわ。とはいえ、駄目だったらそれまでですけれど」

「俺達もナージャ様に無理強いをする気はないので」

「それは、はい、勿論です!」


 頷けば、二人はナージャの方へと移動する。少し話すと二人は凄い勢いで教室を出て行き、椅子から立ち上がったナージャはゆっくりとリーリカ達の方へとやって来た。


 ……多分あの二人のSSでも語られてた、食堂に行って来たらっていう会話よね。


「ええと……呼ばれている、と聞きましたけれど……」


 そう思っていれば、目の前にナージャが立っていた。おっとりとした仕草で首を傾げると、三つ編みに纏められた真っ青な長い髪がしゅるりと揺れる。


 ……あああああああ本物!本物!


 リーリカの内心はもう憧れのスターに会えたファンそのものだった。それはもう、感動のあまり涙を零していないのが不思議なくらいには感極まっている。


 ……顔小さい!身長アタシと同じくらい!年上なのに!垂れ目で睫毛バッシバシ!凄い!でもそのせいで企んでるみたいに見えるのも本当原作そのままだわ!原作だからその通りなんだけど!ああでも本当に本物が目の前に居る!


 感動のあまり変な事を口走りそうになった為、リーリカは慌ててカーナの背に隠れた。どうにかしてこのターンをやり過ごさないと奇行に走ってしまいそうだったから。

 ファンとして、相手に不審者と認識されるのだけは避けたい。


 ……あ、や、でもホント、お姉様おっぱいすっご……大きい……身長アタシと同じくらいなのにスタイル抜群過ぎないかしら……?


「うん、俺が呼んだから」


 背に隠れているリーリカが姉の胸を凝視しているとは思っていないだろうカーナは、いつも通りのテンションでそう言った。


「同じ家に住んでるけど、こうして顔を合わせるのは久々かな。元気だった?姉さん」


 弟が姉に言う言葉とは思えない。

 家庭内別居でもしているんだろうかと思う言葉だが、ノヴィコヴァ家ではこれが正常だった。リーリカもそれは知っている。実際ゲーム本編のシナリオでそういった会話があったし、ナージャが他の誰かと接触するのは一诺(イーヌオ)が止めているのだ。

 全ては一诺(イーヌオ)が刺客として動きやすくする為なのだろう。


 ……あ、駄目ねお姉様を見て癒されてたのにあの野郎の事を考えるだけで殺意湧くわ。


「……はい、えと、元気です、よ」


 ……待ってお姉様が喋ると同時に今おっぱい揺れなかった!?どれだけ大きいの!?


 リーリカの中にあった一诺(イーヌオ)への敵意はナージャの胸が揺れると同時にどっかへ行った。嫌いな男を考えるよりも好きな人の胸に意識を向けてしまうのは仕方のない事だろう。特にリーリカとしては、大好きなキャラであるナージャが相手なのだから。


「…………あの、何か、用事、ですか?」

「一応ね」


 困り眉で問い掛けるナージャに、カーナはいつも通りの表情のまま頷く。


「とはいえ俺じゃなくて、この子の用事だけど」

「きゃ」


 いつの間にか半身をずらしていたらしく、カーナに抱き寄せられるようにして前に出された。

 これで攻略キャラが相手ならドキドキしていたのかもしれないが、カーナだからだろうか。モブキャラだからなのか友人としてしか認識していないからかはわからないが、男女らしいドキドキは発生しなかった。

 ただ、友人同士の距離の近さとしか認識出来ない。


「この子は特待生で、クラスメイトのリーリカ。知ってる?」

「……特待生、という事なら……知ってます、よ」

「へぇ」


 カーナの表情が、一瞬うすら寒い笑みへと変化する。


「俺の入学に対しては祝いの言葉も無かったのに?」

「…………要ります?」


 困ったように、けれど本気でよくわからないとでも言うように、ナージャは首を傾げた。その反応や言葉を察していたのか、カーナは軽く溜め息を吐く。


「……ま、そういう事だろうと思ってたけどさ。良いよ、別に気にしてない。姉さんそういう、お祝いとか苦手なタイプだしね。そもそも本題俺じゃないし」

「そちらの……特待生、ですよね」

「うん」


 推しに認識された上に、個体を識別する事が可能な名称で呼ばれた。

 名前を呼ばれたわけでは無いが、リーリカだと特定出来るような呼び方。ナージャが好きだからと高嶺の希望をプレイしまくっていたリーリカからすると、推しの過剰供給過ぎた。

 夢かと思うような現実にリーリカが硬直していると、カーナがそんなリーリカの背をポンと叩く。


「リーリカ、姉さんに言いたい事があるから俺に一緒に行って欲しいって言ったの誰だったっけ」

「う、その……」


 ……推しを前にしてまともに喋れる気がしない……!


 けれどここで詰まっている方が迷惑だろう。

 ボタンを押せば進むゲームとは違い、リーリカが主人公となって会話をしないとストーリーは進まない。あまりに言葉に詰まって、ナージャにヘイトを向けられたりだけはしたくなかった。

 そう思い、リーリカは覚悟を決める。


「ありがとうございました!」

「み…………」


 勢いよく大声で叫びつつ頭を下げれば、ナージャはビクリと肩を跳ねさせて仔猫のように小さい声をあげた。

 今のは意図したものでは無かったが、リーリカはゲーム本編では複数の選択肢があった事を思い出す。勢いよくお礼を言うという選択肢を選ぶと、小動物らしい反応をするナージャが見れてとても可愛らしいという事も。


 ……よし、ぐいぐい行こ。


 ナージャには好感度が設定されていない為、どの選択肢を選んでも問題無く仲良くなれる。プレイした()()()を思い出しながら、リーリカはそう思った。

 どうせなら推しの可愛らしい反応を見たいと思うのは当然だろう。


「あの、さっきの人達!アタシ道に迷っちゃって、凄く困ってて、そしたら助けてくれて!だから、その、お姉様にもお礼をしたいって思ったんです!」

「え、えと、え……?」


 リーリカがそう大きな声で言うと、ナージャは迷子の子供のようにおろおろと困惑した。先輩であり乙女ゲームに出て来る貴族だというのに、何とも可愛らしい反応。人気投票で一位を取るのも当然だろう。


「……あの、私、確かに姉ではありますが、その、あなたの姉というわけでは……」

「ちが、違うんです!そういう事じゃなくて、ナージャ様が本当に麗しくて素敵で憧れで、それでお姉様って勝手に呼ばせてもらってたというか!」

「う、ううん……」


 ナージャは困ったように眉を下げる。ゲームの立ち絵と同じ表情だが、リアルな表情変化が見れる事にリーリカは歓喜した。ナージャが生きていると実感するその表情に、テンションがどんどん上がってしまう。


 ……ここは揺らがないで行くわよ!


 お姉さまと呼ぶと、ナージャは酷く困ったような表情になる。

 しかし明確に拒絶はしない。そして選択肢にはちょいちょいお姉様呼びをする選択肢があるのだ。その度に困った顔をするのがまた可愛らしい為、大体のプレイヤーはナージャをお姉様呼びして慕っている。

 当然ながら、リーリカもごり押しでナージャをお姉様呼びし続ける満々だった。


「あ、と、その……」

「あ!気にしないでください!アタシが勝手にお姉様って呼びたいっていうか、ほら、大親友であるカーナのお姉様ですし!」

「俺、リーリカの大親友なの?」


 きょとんとした顔でカーナが首を傾げた。


「酷くない!?隣の席だしカーナとアタシは大親友でしょ?」

「まだ隣の席になってから一週間も経過してないと思うけど……まあ良いか、別に」


 ナージャと姉弟だからなのか、カーナもまた明確な拒絶を見せる事は無い。カーナはあっさりと納得して受け入れ、頷いた。


「その、アタシとしてはとにかくお礼を言いたかったっていうか……」


 カーナが受け入れてくれたので一旦そちらを置いといて、リーリカはもじもじしながらナージャにそう告げる。気分は憧れの先輩に話しかける後輩女子だ。

 まあ事実そうなのだが。


「あ!そうだお姉様!良かったら一緒に食堂行きませんか!?」

「ご、ごめ、ん、なさい」


 酷くつっかえながら、ナージャはそう言った。


「わた、私、その、一诺(イーヌオ)……し、しよ、使用人に作ってもらった、お弁当、があるから……」

「……使用人」


 ……やっぱりアタシの前に壁として現れるのね。


 ナージャは誰とも関わろうとしない。それは間違い無く、幼い時からナージャの思考や思想に刷り込みを行って来たあの野郎によるものなのだろう。リーリカはそう思った。

 だから断られたのだろう、と。


「でもお弁当でも食堂で一緒に食べる事は出来ますよね!」


 しかしリーリカは諦めずにそう告げる。

 本来ならここで断られて終わるが、折角のリアルなのだ。もう少し押せば、ナージャの事だから頷いてくれるかもしれない。そうすれば推しとの食事という夢のような体験が出来る。


「……あの、あの、ごめ、ごめんなさい」


 だが、ナージャはそう言った。

 その目には薄く涙が張っている。残念ながらリーリカは目をうるうるさせるナージャもまた小動物らしくて可愛らしいとしか思っていない為、涙目になる程嫌がっているという事実には気付けなかったが。

 酷く言葉を詰まらせながら、ナージャは言う。


「私、人、人が多いところ、駄目、なんです。苦手で」

「あ、じゃあこの教室にお邪魔して一緒に食べても良いですか?」

「ひぅ…………」


 ナージャは小さくそう零してぷるぷる震えた。仔兎のようでとても可愛らしく、ずっと見ていたくなってしまう。


「リーリカ」


 そう思っていると、カーナがリーリカの頭にポンと手を置いた。


「新入生が三年生の教室で食べてたら変じゃない?」


 見ると、カーナは少し呆れたような表情になっていた。


「それに家族は一緒に食べるっていう家の方針が合わなくて、姉さんは普段から一人で食事してるし。お礼を言いに来て困らせちゃ駄ー目」

「う」


 その通り過ぎる正論に、リーリカは反論出来なかった。


「…………ごめんなさい……」

「…………いえ」


 反省して謝罪すると、ナージャは苦笑しながらそう許してくれた。やはり優しい人で、だからこそ幸せになって欲しいと強く思う。


 ……何としてでも、お姉様を不幸にするあの男を引き剥がさなきゃ……!


「で、でもあの!もし大丈夫そうだったら是非一緒に」

「リーリカ行くよ」

「ぐっ」


 ぐい、とカーナによって首根っこを掴まれた。一瞬とはいえ、その衝撃で思わず言葉が紡げなくなる。


 ……一緒に食事をしつつ情報収集と好感度上げをしたかったのに!


 とはいえ、ナージャはカーナ同様に好感度は設定されていないのだが。リーリカがそんな事を考えているとは知らないカーナは首根っこから手を放し、呆れた表情のままリーリカの腕をくいくいと引っ張る。


「そろそろ行かないと本当に食堂の食べ物が売り切ればっかりになって、食べたいのが食べられなくなっちゃうから」

「やだここってそんなに早いの!?」


 通りでアデリナとラーザリが慌てて食堂へ向かったはずだ。

 食べたい物を食べる為には、早めに注文をしつつ陣地を確保しておかないといけないとは。入学してまだ一週間も経っていないのに、カーナはそれをしっかりと把握していたらしい。


 ……お姉様とはあまり顔も合わせないって言ってたけど、そういうのは聞いてたのかしら?


 動こうとしないリーリカに対し諦めたのかカーナは溜め息を吐き、リーリカの腹に腕を回してそのままずりずりと引きずりながら歩き始める。


「お姉様!また!また絶対会いに来ますから!」


 実はそれなりにカーナとナージャは会話をしているのではと思いつつ、リーリカはカーナに引きずられながらそう叫んだ。


「うん、良いから行こうか」


 カーナはいつも通りのテンションでそう言った。


 ……もしかすると、ファンの間で語られてたシスコン説は本当かもしれないわね。


 シナリオ内でナージャと会話をしていると、大体カーナが途中で止めに来る。基本的にカーナが近くに居るというのもそうだが、そろそろ授業だからと主人公を強制的に回収する事も多々あるのだ。

 本当モブにしては主張が強いと思っていたが、公式から発表されてないとはいえ裏設定としてシスコン属性があるのなら納得だった。





 放課後、リーリカは孤児院に戻って教会の掃除をする。礼拝堂の椅子を拭きながら、リーリカは宙に浮いているデウス・エクス・マキナに話しかけた。


「そういえばデウス・エクス・マキナ、この間言ってたのって何だったの?聞き取れなかったんだけど」

「今更かよ」


 キリキリカチャカチャと周囲の歯車の音を礼拝堂に響かせて、地面を背にしながらデウス・エクス・マキナは空中で空気椅子のような体勢になっていた。重力を感じていないデウス・エクス・マキナだから出来る芸当だろう。

 まあ、それを見れるのはデウス・エクス・マキナを観測出来るリーリカだけなのだが。


「大体二回も言うわけねーだろ。大事な情報ってのは、一回きりだから価値があるって事くらいわかんねーの?」


 ……ほんっとに淡々と言うわねこの神様は……。


 棒読みとも感じる機械的な言い方に溜め息を吐き、リーリカは私服のポケットからクッキーを取り出した。それをデウス・エクス・マキナに向けて投げれば、デウス・エクス・マキナは腕が無いというのに周囲の歯車を使って難なくそれをキャッチする。


「何だこれ」

「クッキーよ。アタシからの捧げもの。前にアンタが言ってたんじゃない、何かを神に求めるなら対価を寄越せって。宗教的な事を考えるとパンとかになるのかもしれないけど、アンタ神だからクッキーでも良いでしょ。この世界はファンタジーで、宗教観とか結構ガバガバだし」

「ふーん」


 椅子を拭きながらそう言うリーリカに視線を向けもせず、デウス・エクス・マキナは地面を背にする体制から地面に頭を向ける体勢になった。端的に言うと逆さになった。

 見ているだけで上下感覚が狂いそうになるその体勢に、リーリカはうへぇと舌を出す。


 ……ゲームの立ち絵が上下反転したりなんてした事無かった分、こうして上下を適当にした状態で浮かれるとこっちが酔いそうだわ。


 ゲームでの慣れが無い為、割り切りにくい。デウス・エクス・マキナの髪がまったく重力の影響を受けていないというのも、平衡感覚が狂いそうになる原因だろう。


「……ま、しゃーねーか。対価を受け取った以上はアドバイスくらいくれてやるよ。ただし二回言う気はねーのも事実だから別の情報な」

「ケチ」

「残念、秘されるからこそ価値が上がるものだってあるんだぜ」


 到底、神相手にするような言動では無い。

 それも教会の孤児院で生活しているリーリカがすべき言動では無い。しかし神であるデウス・エクス・マキナがその辺りを気にしていないので、リーリカも遠慮が無かった。


「この世界」


 歯車の回る音と共に、デウス・エクス・マキナは言う。


「お前からすればこの世界は高嶺の希望の世界だろうな。しかしここは高嶺の希望の世界でありながら、増量版対応の世界でもある」

「……は!?」


 増量版。それは高嶺の希望の続編であり、新しい攻略キャラやシナリオ、エンディングが大量に追加されたバージョン。発売日当日に購入し、いざプレイしようとしたらやってきた殺人強盗に殺されたせいで出来なかったゲーム。


「だからお前の知ってる知識とは大分違うと思え。無印版とは基本的なシナリオに違いは無いが、エンディングが大量になってっから。他にもシステムに色々変更が加えられてるぜ」

「ちょ、嘘でしょ!?どんな!?どんな変化があるの!?」


 ……ああもう、発売日や対応機種や店舗特典以外の前情報を一切見ないようにしてたのが仇になったわ……!


 しかしこうなるなど思ってもみなかったので仕方が無いと言えるだろう。だが困った。増えた攻略キャラについての情報が無い。システムだって、一体どんなシステム変更が為されたのかわからないのだ。


「ちょっとデウス・エクス・マキナ!変更って、一体どんな」

「それを何でこの機械装置が教えるって事になるんだよ」

「アンタしかわかんないでしょ!?」

「なら対価を寄越しな」

「クッキーあげたじゃない!」

「クッキーだけでそう語るかよ」


 口調だけなら鼻で笑っているかのようだが、その声は棒読みのように淡々としている。表情だって依然として無表情のままだった。


「お前の場合、この機械装置を神として信仰するよりもキャラクターとして見ちまってるからな。神として認識して信仰してたならともかく、キャラクターとして認識されてたら信仰が足りない。足りないなら数が居る。信仰さえありゃ金平糖一個でも充分だが、お前の場合は山盛りのクッキーでも必要な情報分の情報料には足らねーな」

「ケチ!」

「正当な価値だろうがよ。寧ろこの世で何よりも尊ばれるべき真実の情報をたかがクッキーでくれてやろうってんだ。破格の値段だと思うぜ」

「………………」


 ……それはわかる、けど……。


 リーリカは教会の孤児院にお世話になっている身であり、山盛りのクッキーを用意する程の金は無い。出せばあるかもしれないが、基本的には将来の為にと貯めているのだ。魔法が使えない身だからこそ、貯めておいて損は無い。

 前世で、姉にそう教わったから。


「もう、良いわよ。どうせシナリオの基本的な部分に変更が無いなら、どうにかなるわ」


 ……どうにかしてみせるわ。


 不幸になる運命が圧倒的に多いナージャを救う為にも、どうにかするしかないのだから。


 ……誰かの為なんだから、筑流(つくる)お姉ちゃんだってきっとそうするはず。


 放っておけば不幸になるとわかっている相手を見捨てろなんていう子に育てられてはいないのだ。姉に大事に、真っ当に育てられたからこそ、リーリカはナージャを救いたい。

 苦しんでなど欲しくないから、あの男を何としてでも引き剥がしてみせる。


 ……まずは他の攻略対象と接触して、仲良くなって、味方につけて、あの男が敵だって証拠を掴まなきゃ。


 そう思い、椅子を拭き終わったリーリカは礼拝堂を後にしようとする。


「ああ、あとついでに一応アドバイス」


 去ろうとするリーリカの背に、デウス・エクス・マキナの声が掛けられた。


「インタビュー記事を思い出しな。増量版では大人気の彼女についても掘り下げる為、印象が180度変わると思います。そう書かれてたろ」

「それが何よ」

「それ、覚えといた方が良いぜ」


 デウス・エクス・マキナの言葉にリーリカは怪訝そうに眉を顰めながら、礼拝堂を後にした。アドバイスについては一応頭の片隅に置いておく事にしたが、直に忘れていくだろう。

 意味がわからない言葉は、覚えていられないものだから。


「……つまりは、穏やかそうで人に優しいと思われてるが実は弟の顔も名前も覚えていない程に薄情だったり、っつー事なんだけどな」


 相変わらずの無表情で、デウス・エクス・マキナは言う。


「さてさて」


 棒読みである部分は変わらないが、デウス・エクス・マキナは誰も居ない礼拝堂の中で歯車の音をカチャカチャと弾ませた。


「枝戸姉妹が主人公とヒロイン枠に成り代わったこの世界。しかし、ゲームの設定との変化はほぼ皆無だ。なんら変化は無く、変わりない。それは姉妹の性格が似すぎてたか、世界の修正力か」


 キリキリ。


「はたまた姉妹がこの世界に転生した姿を観測世界が観測し、ゲームにしたか」


 カチャカチャ。


「その場合は成り代わりじゃねえよな。だって本人なんだからよ。まあ、そこを言うと前世の時点で来世である今世を観測してたっつー事になるから、ニワトリが先か卵が先かみてーな話になって面倒だけど」


 カチカチ。


「ニワトリでも卵でも、物質的か名称的かで色々変わるだろっつの。卵を卵という名称に、ニワトリをニワトリという名称に。名称的にどっちが先か、っつーならどっちかが先だろ。生まれた赤子に個体を識別する名称が最初は無いように、最初は誰もが名無し状態だ。人間の赤子も卵も爪楊枝も太陽も、名称が無きゃ全部が名無しだっつーの」


 歯車が回る。


「ニワトリという種が生まれる前に卵という名称の物質があったなら卵が先だ。しかし鶏卵の場合、ニワトリが先に居るからこそニワトリの卵って事になる。ニワトリって名付けられてねぇんなら、それに鶏卵なんて名称は使われねーんだから」


 回る。


「しかし名称ならともかく、物質的になら考え方は変わる。物質的に卵が先にあったかニワトリが先にあったか。そんなもん、卵から生まれねぇニワトリが居たならニワトリが先だろうよ。卵から生まれてねーのをニワトリと呼ばねーんなら、それは卵が先になる」


 回る。


「ま、結局はそういう、答えを出そうと世界には何の影響も及ぼさねえ事でしかねーんだけど」


 感情的に喋っているようで、ただひたすらに無機質に。


「これだってそういう話だ。この世界を観測した誰かが居て、様々な可能性ごと観測して、マルチエンドのゲームを作った。未来なんざ枝分かれしてるもんなんだからそりゃ可能だろうよ。目的地に行くのに、徒歩じゃなきゃダメなんてルールはねーんだから」


 歯車は回る。


「もしくはゲームが作られたから、ゲームの中の世界としてこの世界が発生した。姉妹はゲーム的に言えばバグみたいなモンだな。特定のデータで一回きり発生する特殊なルート、かもしれない」


 目の中の歯車が回る。


「当然全ては憶測だ。この機械装置は全てを知るデウス・エクス・マキナだが、結局は物語を終わらせる為だけの存在。マルチエンドに対応してる分、全部の可能性が含まれちまう」


 管で頭部に繋がっている一際大きな歯車が回る。


「ま、この機械装置としてはこの機械装置が作り物であるっつー事実に変化はねーから良いんだけどよ」


 頭上に光輪の如く浮いている歯車が回る。


「観賞好きなのだって変わらない。観賞好きだからこそ終わりを与えるのがこの機械装置なわけだしな」


 大腿に鉄の足を接続しているかのような歯車が回る。


「どのルートに行こうが誰が不幸になろうが誰がハッピーになろうが、エンディングはエンディング。この機械装置は観賞好きなデウス・エクス・マキナである以上、どのルートであろうと楽しむだけだ」


 周囲に浮いている大小様々な歯車が回る。


「ゲームも人生も観劇も、大体全部そういうもんだろ」


 誰も居ない礼拝堂の中で、キリキリカチャカチャカチカチという歯車の音が響いていた。



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