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ナージャは困る



 青く長い髪を揺らし、幼い少女は溜め息を吐いた。けれど直後その口を小さな手で覆い、慌ててきょろきょろと周囲を見渡す。


「…………」


 誰もいない事を確認し、ほ、と少女は安堵の息を吐く。少女、どころか幼女と言える彼女はナージャ・ノヴィコヴァ。それなりの貴族であるノヴィコヴァ家の長女であり、前世の記憶を有した五歳児だった。


 ……どうしましょう。


 別に迷子になったわけではない。ノヴィコヴァ家の広い庭の端にある花壇の陰に隠れるようにしゃがむ彼女は、ただただ家族や使用人から逃げていたのだ。理由は単純、前世が成人済みの日本人女性にはこの生活が合わなかった。それだけ。


 ……帰りたくないです……。


 長い髪やエプロンドレスの裾が汚れないよう気を付けながらしゃがむナージャは、そう思って深い溜め息を吐いた。本来エプロンドレスは汚れる前提であり、その為にエプロンがついている。けれどナージャは服を汚したくは無かった。

 何故なら、汚したら心配をされるから。

 ナージャの両親は酷く心配症で、過保護で、思い込みが強い性格だった。その為ナージャが溜め息を吐くだけで医者を呼ぶし、エプロンドレスに汚れがついていれば娘の服を汚すとは何事だと怒り狂う。例えそれが花壇であっても、だ。そのせいでノヴィコヴァ家の庭園以外だと、この花壇しか残っていない。


 ……今日は私の専属使用人が、午後には集まってしまうのですよね……。


 過保護な両親が、か弱い娘を心配して専属の使用人をつける事に決定したのだ。それも数人。ただでさえ着替えも風呂も使用人にやってもらうという貴族の生活、そして幼い故の子供扱いに辟易しているというのに、専属の使用人までついてしまうとは。ナージャの心はプレッシャーとストレスによって押し潰されそうだった。

 しかしそれも無理はない。

 ナージャの前世では若い内に両親が事故死した為、妹の世話を一人でしながら姉として立派に生きて来た。妹も高校を卒業して無事大学生になり、やっと一息ついたところだったのに。気付けば貴族の幼女として目覚めて、そこからずっとこの生活。過剰に可愛がられ世話をされるという状態が続く現状に、耐えられるはずが無かった。


 ……会いたくはありませんけれど、私が変に避けたら、お父様とお母様は私がその人達を嫌がって避けたって思っちゃいますよね。


 それはイヤだ、とナージャは思う。誰かに迷惑はかけたくない。だからこそお世話されるというのがそもそも性に合わないのだが、しかし世話をされたくないと駄々をこねる勇気もない。思い込みが激しい両親なせいで、自分の対応が間違っているとも思わないのだ。

 どころか、その専属使用人達に非を擦り付けるだろう。

 何故娘が拒絶するのかと考え、専属使用人達が気に食わないからだと判断する。自分達の過剰な接触や甘やかしが原因だとは一つも思わない。だってそれは愛なのだから、両親からすれば拒絶される理由が無かった。


 ……戻らないと。


 溜め息一つで具合が悪いのかと医者が呼ばれてしまうし、そうなると医者に迷惑がかかり、医者を頼りたい他の患者にも迷惑をかけてしまう。だからナージャは吐きそうになる溜め息を小さな胸に押し込んで、立ち上がった。

 部屋に戻る為に。

 己のせいで見知らぬ専属使用人に迷惑をかけるわけにはいかない、とナージャは思った。前世では妹を背負いながら一人で頑張ってきた彼女は、自分の中に押し込んで頑張るのが得意だった。当然ながら、溜め込んだ我慢を緩ませる方法は知らないままだが。





 専属になる使用人達四人と顔合わせをしても、ナージャの心は晴れなかった。専属の使用人がつくという事は、今まで以上に自由が無くなるという事だからだ。


「お嬢様、食事のお時間です」


 使用人の一人がそう言った。食事の時間は、家族皆で過ごす事になっている。ナージャはそれが酷く憂鬱だった。香草がふんだんに使用された量の多い食事は、幼い上に日本人の味覚を持っているナージャには中々キツイ。結果小食となり、同年代の子よりも体重の軽い幼女が完成した。

 当然両親は心配する。

 食事の時間は家族とコミュニケーションをする時間でもある。けれど言葉や勢いが強い両親の会話にはついていけない。必然的に言葉少なになり、わかる話題に頷くので精いっぱい。けれど両親からすれば、それは心配になる理由でしかなかった。


 ……善意での心配なのはわかっていますが、少々、辛いですね。


 ナージャは口に入れた食事を無理矢理飲み込む。

 会話に参加しないという事は食事に夢中になっているという事だ、と両親達は考えていた。けれどナージャは酷く小食で、食の進みも遅い。シェフに何を作らせてもそれは変わらないし、他の家の料理でも同じ反応。寧ろ外で食べる方が具合を悪くしがちなので、シェフの問題でも無いのだろう。

 ナージャは体調を崩しがちな子だった。

 全ては慣れない環境によるストレスに加え、見知らぬ場所へ行くという不安が加わった結果。だが両親にその発想は無かった。幼い子であるならば外に行きたいだろう、同年代の子と遊びたいだろう。そういう善意での行いだった。残念ながらナージャは外という場所に不安を覚え、知らない人に対して気を張ってしまう性格なので全て裏目に出ていたが。

 それもこれも、この世界に魔法というものがあるせいだった。

 この世界には魔法というものが存在している。つまりナージャからすれば、ここは知らない異世界なのだ。ただの中世であれば、ただの貴族であればまだ知っている世界だからと耐えられたかもしれない。しかし異世界。魔法というファンタジーが存在する世界での不自由な生活に、ナージャは酷く辟易していた。


 ……異世界だなんて、恐ろし過ぎます。


 何があるかわからない。魔法ですらよくわかっていないのに、異世界の常識も学ばなければいけないのだ。幸いにも貴族であるが故にそういった知識を学ぶだけの土壌は整っているのだが、両親が子供にはまだ早いから、と図書室への立ち入りを許可しなかった。

 子供は本など読まず伸び伸びと外で遊ぶべき。

 それが両親の考えだった。その内本を読むようになるのだから、幼い内は伸び伸びと過ごさせてあげよう。そんな善意による行動だったが、ナージャは特にアウトドア派でも無い。前世で妹の世話をする事で充分に動いていたので、もう動きたくはなかった。妹が無事大学生になってようやく暇が出来たというのに、何故わざわざ外で走り回る必要があるのか。


 ……幼いから、でしょうか。


 いいえ、とナージャは首を振る。幼くとも、対話すればどうにかなる。そう思っていたが、両親の思い込みの強さに連敗していた。どれだけ言葉を尽くしても聞き入れてくれないのだ。しかし今は専属の使用人が居る。


「お嬢様、食事のお時間です」

「あ、あの」

「どうかされましたか?」


 女性の使用人は、優しい微笑みを浮かべていた。これならいけるかもしれない、とナージャは期待した。己の希望を叶えてくれるかもしれない、と期待した。己の言葉に聞く耳を持ってくれるのでは、と。


「あの、食事、お部屋でとるのって駄目、ですか?」

「申し訳ありません、私の一存では決められないのです。ですが、何か理由がおありですか?具合が悪いようでしたら当主様の指示通り、即座に医者を呼びますが」

「ちが、違うんです。具合は悪くなくて、その、一人で食べたいんです」

「……申し訳ありません、お嬢様」


 女性の使用人は困った表情でそう言った。


「一人で食べてみたいというお嬢様の冒険心と向上心は素晴らしいものです。けれど一人での食事とは、スープなどで火傷をしてしまうかもしれない危険に満ちているもの。折角ご家族揃ってのお食事なのですから、お話をしながら安全に食べる方がずっと美味しゅうございますよ」

「……そう、ですね」


 駄目だった事に、ナージャが彼女に抱いていた期待は萎んだ。


 ……違うんです。


 家族で食事をして、会話する時間を設ける。それは確かに素晴らしい事だろうが、ナージャは部屋の隅でゆっくりと食事がしたいのだ。自分のペースで、自分の部屋で、静かな環境で味わいたい。確かに会話は大事だが、ナージャにとって会話とは理解だ。

 けれど両親は理解しない。

 ナージャの話を聞こうとはせず、自分達の話をする。ナージャに本を読み聞かせして、その話題を出すようならばナージャだって答える事が出来ただろう。けれど両親の話題はお互いにわかる話題であり、ナージャにわかる話題では無い。

 それにどうやって参加しろというのか。

 両親が好きに喋っている中、騒がしい中、広い中、使用人が沢山居る中、好みでは無い食事をひたすら口に詰め込む作業。今のナージャにとって、食事の時間とはそういうものだった。塩や肉の味はするが、詳しい味などわかりもしない。求めている味では無い事しかわからない。

 美味しくも、無い。





「お嬢様、着替えを致しましょう」


 別の使用人がそう言った。彼女もまた女性の使用人だった。されるがままナージャは服を脱がされ、着せられる。これもまたナージャの苦痛の一つだった。


 ……いえ、私もこの服の着方がわからないから、着せて貰わないと着れないのは事実なのですが……。


 それでも、着替えを誰かにしてもらうというのは申し訳ない。幼いのだから仕方が無いと思っていたが、貴族は大人になっても使用人に着替えさせてもらうもの。中身は自立した大人であるナージャには、苦行にしか思えなかった。

 しかし着れないのも事実。

 着慣れないエプロンドレスは、どうしても着方がわからない。見様見真似で覚えようとしても、専属に選ばれるだけあって使用人の動きは素早くて追い付けない。仮に目が追い付いたとしても、自分で着せては貰えないだろう。

 だってそれが仕事だから。


 ……でも、それでも。


 両親が駄目なら、使用人に期待して。


「あ、の」

「何でしょう?」


 彼女は明るい笑みを浮かべて首を傾げた。元気で明るい印象の彼女なら、わかってくれるかもしれない。そう思い、ナージャは再び期待を抱いて彼女に告げる。


「私、自分で着替えたり、してみたいんです。その、着替え方を教えて、くれませんか?」

「そんな!お嬢様にそんな事はさせられません!全寮制の寄宿学校に通う予定というならばともかく、お嬢様はそのようなご予定も無いのですから!か弱いお嬢様に一人で着替えさせたりなんて出来ません!」

「か、か弱いという程、か弱くは、無い……ですよ?」


 しかし食事の量が少ない故に体が弱いのは事実であり、両親によって外へと連れ出される度に具合を悪くしているのも事実。否定しきれない材料ばかりな為、ナージャの言葉は尻すぼみになっていた。


「……お嬢様は確かにか弱くはないのかもしれませんが、申し訳ありません。これは私の仕事です。お嬢様がやられるような事ではないのですよ」

「…………ごめんなさい」


 駄目だった事に、ナージャの期待は再び萎んだ。


 ……迷惑をかけてしまいましたね。


 か弱いという言葉を否定した時、彼女はそれを否定しようとはしなかった。使用人として、仕える相手の言葉を否定しないようにだろう。それがまた、ナージャの心に負担となった。困らせてしまった、という負担に。





「お嬢様、失礼致します」


 また別の、女性の使用人がそう言った。服を脱いだナージャは、いつも通り浴室でされるがまま洗われる。五歳児とはいえ中身はいい歳した大人が、同性とはいえ家族では無い相手に全身を洗われる。

 これがとびきり苦痛だった。


 ……今度、こそ。


 期待はしてない。期待は出来ない。既に二度駄目だった為、ナージャはもう殆ど諦めていた。けれどこのままではいられない。このまま自分でやらず、誰かにやってもらい続けるというのは耐えられない。

 だって、妹を背負って一人でずっと立ってきたのだから。

 せめて体を洗うくらいは許して欲しい。既に二度却下されているが、彼女にはまだ頼んでいない。だから彼女が聞く耳を持ってくれる事を祈り、ナージャは告げる。


「あの」

「何か問題がありましたでしょうか」


 彼女はそう淡々と答えた。


「わた、私、自分で洗えるように、なりたい、です。だから、あの、洗い方を」

「私は当主様との契約でお嬢様の世話をするよう仰せつかっております。お嬢様自身にその体を洗わせるなどという契約違反は出来ません」


 ピシャリと冷たく、ハッキリと言い切られ、ナージャのなけなしの期待は完全に萎れ切った。


 ……もう、諦めて順応しろと、そういう事なんでしょうか。


 肌に合わない生活に慣れろと、そういう事なのだろうか。一人で食事をして、自分で身嗜みを整えて、自分で体を洗うくらいの事も、望んではいけないのだろうか。

 五体満足で手足があるのに。

 動く手があるのに、どうして自分で着てはいけないのかわからない。どうして自分で体を洗ってはいけないのか。どうして。どうして。


 ……お部屋があるのに、お部屋に居続ける事が許されないのはどうしてなのでしょう。


 必ず使用人の誰かが部屋の中に居て落ち着かない。部屋でゆっくりと本を読みたいのに、両親が入ってきて連れ出してしまう。本があるのに読むなと言われるのは何故なのか。

 酷く、合わない。

 娘を思いやっての行動なのはわかっている。まだ幼い弟に両親は構っていて、それで姉である己が不満を抱かないよう、平等に愛を注いでいるという事も。わかってはいるのだ。善意からの行動で、悪意なんて無くて、良かれと思っての行動だという事は。

 けれど合わない。

 両親の思考は、ナージャとはまったくもって合っていない。インドアにアウトドアを強制するようなもの。陰キャに陽キャと接しろと言うようなもの。油の中に突っ込まれた水は、混じれない。当然貴族に混ざった一般人の魂も、洋風味覚に混ざった和風味覚も、混じれない。


 ……疲れちゃいました。


「お嬢様」


 溜め息を飲み込むナージャに、専属である使用人の中で唯一の男性使用人が声を掛けた。ナージャを含めた他の人達とは違うアジア系の顔をした男性。前世を思い出しほんの少しだけ安心出来る彼は、目を細めて優しく微笑んでいた。

 黒目がちでありながら狐目な彼は、少し目を細めただけで笑っているような顔になる。


「……なんですか?」


 もう期待は出来ないと諦めているナージャに、彼は言う。


「お嬢様はもしかして、ご家族との食事の時間を疎ましく思ってはいませんか?」

「!」


 驚いた。誰もそんな事は言ってくれなかったし、気付いてもくれなかったから。否、気付いている人は居たかもしれないが、こうして真正面から言ってくれる存在など居なかった。ナージャは慌てて、その問いにコクコクと頷く。

 ここで否定したら、二度と自分の意思を理解してもらえないと思ったから。


「ああ、やっぱりそうなんですね」


 笑っているように見える狐目が、すぅ、と薄く開く。


「食事をしている際、酷く憂鬱そうでしたから。それに他の使用人から、一人で食べたいと言っていた、という証言もあります。元々もしやとは思っていましたが……思った通りでした」


 彼はしゃがみ、椅子に座っているナージャに視線を合わせた。今この部屋にはナージャと彼以外誰も居ない。他の使用人達はそれぞれ別の仕事をしに行っているから、込み入った話をするなら今しか無い。

 きっと、彼もそう思って言ったのだろう。


「お嬢様」


 彼はナージャに、手を差し伸べる。


「お嬢様がもし一人での食事を望むのであれば、私がその通りになるよう手配しましょう。勿論それにはお嬢様の協力が必要となりますが、まあ些細な事ですよ」


 言いつつ、彼は差し伸べていない方の手を口の前に持って来て、人差し指をピンと立てた。


「理解してくれないご両親相手に、ちょっぴり悪い事をしてしまいませんか?」


 いつも通りにハイライトの入っていない目で、アジア系の彼はニヤリと笑う。そんな彼の誘いに対し、ナージャの返答は一つだった。


「はい……!」


 理解をされず期待を裏切られ続けたナージャには、差し出された手に縋る以外の選択肢は無い。思わず涙を零しそうになりながら、ナージャは救いの蜘蛛の糸同然であるその手を必死に握り締めた。



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