神とバトルします。後々編
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「ぬおおおおおっ!」
咆哮と共に攻撃を繰り出し続けるグラトニー。
しかしロイドはそれを易々と弾き、痛烈なカウンターを入れてくる。何度も何度も。
「ぐっ……何故だ! 何故こうまで力の差がある……!」
魔力量の差はそこまで大きくない。むしろグラトニーの方が上なくらいだ。
加えて聖王の身体を介しているのでダメージも間接的にしか受けてはおらず。本体の損傷は少ない。そのはずなのだ。にも拘らず状況は圧倒的だった。
ロイドの放つ多種多様な攻撃が降り注ぎ、無数の融合によって得た大量の命を削り取られていく。
「最奥にある最後の一つが失わなければ死ぬことはない、が……くっ、このままでは……!」
過去数千年において一度も晒したことがない自身の命も、こうなれば安全とは言えない。
無限に近い命、そして無敵に近い強さを持つ彼は今、初めて脅かされようとしていた。
「ほらほら、こいつはどうだ?」
ロイドの手から生み出される見たこともないような魔力の輝き。
魔族を祓う術式、天界の力を扱う術式、世界にはあらゆる魔術があるが、これはそのどれとも違い過ぎる。
これが、こんな無茶苦茶なモノが魔術であってたまるものか。こんなものはもはや魔術とは言えない。これではまるで……
「ぬ……おおおおおおっ!」
苦し紛れに生み出す魔力障壁は易々と破られ、霧散していく。
超圧縮した魔力の壁は単純故に最強なはずだが、ロイドの放つ魔術はそれを歯牙にもかけない。
単純に威力が高いだけではなく、こちらに工夫を強いているのだ。
遥か昔、弱く小さかった頃に使わざるを得なかった小技でどうにか切り抜けるしかない。
反属性攻撃による対消滅、術式破損による無効化、消失魔術による非対象化……だがそのいずれをも、ロイドは嬉しそうにニヤついては即座に対応してくる。
さぁ次だ。新しいものを見せてみろ、と言わんばかりに――
「ぐぅ……何をしても対応されてしまう……このままではマズい。何か手を考えねば……」
思案を巡らせるグラトニー。その脳内であらゆるアイデアが浮かんでは消えていく。
まともにやっては勝ち目がない。かといって情に訴えてもダメだろう。仲が良さげであった聖王を取り込んだ後も顔色一つ変えず攻撃してきた鬼畜である。
だがグラトニーは諦めない。
かつて弱く小さかった頃、強者の顔色と行動を窺い、その弱点を見つけ出しては罠に嵌め、倒し、あるいは逃げ、生き続けることでここまで成り上がってきたのだ。
「奴の行動、言動に何かヒントが……そうだ!」
グラトニーは思いついた名案を実行するべくロイドの方を向き直る。
「……くく、正直言って度肝を抜かれたぞ。ここまでの人間がよもやこの世にいるとはな……」
「お、なんだ? ようやく逃げ回るのを止めて真面目にやる気になったか?」
ふよふよと空中から降りてくるロイドに向け、グラトニーは声を張る。
「ふははは! 見事だ人の子よ! 神たる余すらも凌ぎかねんその力、感服したぞ!」
「……んあ?」
その言葉に首を傾げるロイドだが、グラトニーは構わず続ける。
「しかしこれ以上やり合えば世界そのものが危険。故に大人の対応として、今日の所は余の負けにしておいてやろうというわけだ」
「……何言ってんだ? お前は神じゃなくてそれを喰らった魔王だろ」
「ふっ、それはただの冗談だ。お主らの話に合わせてやっただけ。言わばただの余興よ。本当はさっき言った通り神なのだよ」
――当然、ただの苦し紛れの出鱈目だ。
誰でもすぐわかるような嘘だが、ロイドはそれを黙って聞いている。
「……くく、やはりな! 好奇心の強いこやつなら必ず聞き入ると思っていたぞ。もちろんこの後の言葉もな……!」
小声で呟きながら、グラトニーは言葉を続ける。
「神が人の願いを簡単に聞き入れるわけにはいかんのでな。いわゆる試練というわけだ。だがお主は見事に乗り越えた。望み通り融合を解除してやろうではないか」
「……なんだかわからないが、融合が解除できるのか?」
――勝った、とグラトニーはほくそ笑む。
あとは口八丁で無防備にさせ、そこに全力を叩き込むのみだ。
そうすればこいつは死に、また脅かされることのない平和な日々が待っている。
「……あぁ、出来るとも。さぁ近くに寄るがいい」
言われるがまま歩み寄るロイド。
その手からグリモとジリエルが飛び出してくる。
「騙されちゃダメですぜロイド様! こいつの言ってることはデタラメだ! 隙を見せたら攻撃してくるに違いねぇですぜ!」
「その通りですロイド様! 奴めの口車に乗って隙を見せれば身体を乗っ取りにくるつもりですよ! 今すぐトドメを刺すべきだ!」
「なんか……二人が言うとなんか説得力あるな……」
「「ぎくっ!!!」」
ロイドの言葉に口籠る二人の使い魔。
何やら忠告をしていたようだが聞く様子はなさそうだ。
首を傾げながらもロイドはグラトニーの前まで近づいてくる。
ククッ、一瞬焦ったがどうやら本物の馬鹿らしい。
「で、どうすればいいんだ?」
「目を閉じ、背を向けろ。そして身を包む魔力を消すのだ」
「こうか?」
言われるがまま纏っていた魔力を消し去るロイド、その無防備な背に手をかざす。
「……そう、いい感じだぞ! くく、よしよし、すぐに融合を解いてやるからな」
くぐもった笑みを浮かべながら指先に魔力を集中させていくグラトニー。
より強く、より鋭く、反応すら許さない一撃で――殺す。
魔力を一点集中した掌を無防備なロイドの首筋目掛け、突く。
――ぐしゃりと、音を立て砕けたのはグラトニーの手だった。
全魔力を込めたはずの指先はぐちゃぐちゃに折れ、あちこちがあらぬ方向に曲がっている。
「なん、だと……?」
会心の一撃だったはずだ。
技量もクソもない魔力の押し合いなら、魔力総量で勝るこちらが負けるはずはない。
にも拘らず何故……呆然とするグラトニーに、ロイドが何事もなかったかのような顔を向ける。
「ん? まだ融合したままじゃないか。早くしてくれよ」
しかもロイドは全く意に介してない。
それどころか気づいてすらいないのだ。
そしてその素肌に直接触れたことで初めて、グラトニーは件の一撃が効かなかった理由に気づく。
――ロイドの魔力体はその全てに術式が刻まれているのだ。
血も、肉も、骨も、あらゆる全てにだ。それにより生まれるのは超々高密度の魔力流。
攻撃が効かないはずだ。
グラトニーの魔力を流れる水とするなら、それは岩を溶かした溶岩のようなもの。如何に無防備だろうともわずかな影響すら与えられるはずもない。
まともに戦えていたように見えていたのはただの思い込み。ロイドはただ遊んでいただけだったのだ。わざわざ無意味な障壁や魔術を使っていた。普通に殴り合えば一瞬で終わるから、そうさせない為に。
信じられない。そんなことをできる人間が存在するのか? いたとしたらそれを倒す手段はあるのか? 逃げられる可能性は? ――あるはずが、ない。
「馬鹿なぁぁぁぁっ!」
絶叫と共に逃げ出すグラトニー。だがそのすぐ背後から聞こえる声。
「おーい、どうした? いきなり飛び出して? トイレ?」
「くっ! 死ねぇぇぇっ!」
苦し紛れの魔力撃も、防御の姿勢すら取らずに無効化される。
逃げられない。絶望に顔を歪ませるグラトニーを見て、ロイドはぽんと手を叩いた。
「あ、もしかしてやっぱり嘘だったのか?」
「……当たり前に決まっているであろうが。我の言う通り奴は魔王グラトニーに他ならぬ。今のは苦し紛れの芝居だ」
ベアルのツッコミに、ロイドは頬を膨らませる。
「えー、じゃあ何で何も言わなかったんだよ」
「どうせ止めても聞かんだろうしな」
「……まぁロイド様ですし、大丈夫かなと」
「……我らも彼のことはあまり……ごにょごにょ」
グリモたちがブツブツ言うのを見て、ロイドは不思議そうに首を傾げる。
そしてつまらなそうに言い放つ。
「まぁ、別にいいか。どうでも」
凍りつくような冷たい言葉にグラトニーの全身からぶわっと汗が噴き出す。
同時に、かつての弱く小さかった頃の記憶があふれ出していた。
――魔界において最も小さく弱い獣。屍鼠
その中でもより弱く生まれた彼は、生まれた瞬間から常に命の危機に脅かされていた。
親から与えられる餌は先に生まれた兄姉たちに殆ど奪われ、独り立ちした後も強者に食われまいとビクビク怯えて過ごす日々。
そんなある日、彼は当代の魔王と出会う。
「■■■■」
何と言われたのかは覚えていないし、当時の彼にはそれを理解する知能もなかった。
だがその時感じた絶対的な死の恐怖だけは彼の心に深く刻まれている――
「あれがそうだというのか!? 奴に『あの方』と同等の力が……それ程の差があるというのか!? ……あり得ぬ! あり得るはずがないッッッ!」
咆哮と共に巻き起こる魔力の嵐。
無数の魔術陣がロイドの周りに浮かび、無数の魔力撃が降り注ぐ。
ドドドドドドドドドドドドド! 巻き起こる爆発の渦、炸裂する光爆、立ち昇る極彩色の光の柱……全ての魔力を込めた攻撃は、しかしやはりロイドを傷つけるには至らない。
「こんなものか?」
呟きながら涼しい顔でグラトニーを見つめるその瞳は、遊び飽きて興味を失った玩具に向ける無垢で残酷な子供のそれだ。
その目は彼が最も敬愛し、最も恐れた主の目が時折見せるものと同じだった。
「くそっ! くそっ! くそぉぉぉっ! 何故こんな時にあの方のことを思い出すのだっ! こんなガキがあの方と同じであるはずがないのにっ!」
数万年前、魔界の荒野にて彼を拾ったかつての主、始祖の魔王。
強く、賢く、美しく、そして何より恐ろしい……グラトニーが最も敬愛する存在である。
あの方のようになりたかった。彼が覚えてきた様々な技術は全てその為と言っていい。
そんな彼の数万年に及ぶ研鑽が今、かつてない強敵と出会ったことで開花しようとしていた――
「な、なんだぁ!? いきなり奴の身体が光り始めやがったぜ!?」
「す、凄まじい魔力の奔流です! 先刻とは比較にならない凄まじさですよ!」
光は轟々と唸りを上げながらグラトニーの身体を包み込んでいく。
吹き荒れる嵐の中心でグラトニーはその姿を変貌させていた。
「なんだなんだ? また感情によるパワーアップか? それはもう見た――」
言いかけたロイドの頭上に巨大な魔術陣が無数に浮かぶ。
直後、ずどどどどどどん! と降り注ぐ魔術の群。
炎が、氷が、雷が、ごちゃ混ぜの塊となってロイドを押し潰す。潰し続ける。
天界の雲をも貫き、大地に大穴を開けながらもそれは顕現し続けていた。
質、量ともに先刻の魔力撃とは訳が違う。
一点集中された高密度の連撃は巨大な光の柱はさながら、正に天と地を支えているかのようだ。
それほどの攻撃を繰り出しながらもグラトニーは力尽き果てるどころか、力が湧き上がるような感覚だった。
「――あぁ、そういえばこんな姿であったな。我が主の姿は」
魔力嵐が止み、グラトニーがその中から姿を現す。
懐かしそうに自身の姿を見やるグラトニー。
その姿は先刻とは随分異なっている。
漆黒の長い髪を靡かせ、その左右には禍々しく伸びた角。
切れ長の深紅の瞳に黒い紅を引いた唇。人外じみた眩い程の白い肌。
妖艶な美女を思わせる様相だがその左手だけは禍々しく黒に染まっている。
それはグラトニーがかつて出会った主の姿だった。
彼女は気まぐれに彼を拾い、グラトニーと名付けペットとして可愛がった。
グラトニーは初めて外敵に脅かされることのない安寧な生活を手に入れ、その庇護の下で徐々に力をつけていく。
ただの獣から魔物、魔人、そして魔族へと。
そうして何千年も代変わりする魔王の配下として過ごし、徐々に力を付けていくことで、やがて自らも魔王となったのである。
グラトニーは自身がここまで成り上がれたのは、その時彼の心に刻まれた絶対的な死の恐怖から逃れる為だ。
再び呼び起こされたその感情により、彼は自らが最も敬愛し、畏怖する姿となった。即ち始祖の魔王、ベルゼヴィートである――
「な、なんだこのとんでもねぇ魔力量は……! し、信じられねぇ! 今までの奴ですら恐ろしい魔力を放っていたってのによ……!」
「えぇ、ありえないことですがベアルと比べても圧倒的! 魔王を束ねたような強さです! これが最強と言われた始祖の魔王……!」
「……当然だ。ベルゼヴィートを超える存在などありはしない。魔王としてふさわしいのは彼の方ただ一人。他の者など余自身を含めて偽物よ」
グリモたちの言葉を鼻で笑いながら、そして己自身を卑下しながらもグラトニーは恍惚とした表情だ。
「まずは我が主の姿を思い出させてくれて感謝しておこう。何せ死に別れたのは一万年以上も前のこと。もはや記憶もおぼろげだったからな。……あの圧倒的力、恐怖、カリスマ、何よりその暴力性……今まで忘れていたのが不思議なくらい鮮明に浮かび上がってくるようだ。……ふふ、見たまえ。あの方のことを考えるだけで……フフ、手が震えてくるよ……!」
言葉の通り、グラトニーの指先はカタカタと震えていた。
それを無理やり押さえつけるように、力強く握りしめる。そこからは血が垂れ落ちている。
「しかし弱者たる人間から貴様のような化け物が生まれるようなこともあるのは想定外であった。聖王に管理を任せていたが私はまだまだ甘かったようだ。これからは世界のあらゆる命を管理し、余を脅かすような存在は全て芽のうちに摘み取ることにしよう。この大地に生きとし生けるモノは全て、牧場で牛を飼うように管理し、計画的な生産を行い、規格から外れた者は間引いていく。そうすることで永遠に恐怖に脅かされることのない、理想の世界が訪れるであろう。人間たちにとっても争いのない平和な世界が生まれるのだ。悪いことではあるまい? ふふ……はぁっはっはっは――」
「それは困るな」
天地を貫く柱の中でぽつりと呟いた声に、グラトニーは笑うのを止める。
柱はメキメキと軋みを上げながら、縦に割れていく。
ばきぃ! と真っ二つに砕けたその中から現れたのはロイドだった。
「可能性を芽のうちから摘み取る? 徹底管理して規格から外れた者を間引いていく? ……おいおい、そんなことしたらつまんないだろ」
「何、だと……?」
絶句するグラトニーに見えるよう、ロイドは人差し指を立てた。
その先端にある魔力球が砕けた柱の破片を凄まじい勢いで吸収していく。
「変わり者がいるからこそ様々な挑戦が生まれ、あらゆる発展が起きるんだ。争いや戦いが起きればそれは更に加速する。そうして切磋琢磨し合い、人は、世界は成長していくんだよ。ウチの兄姉たちのようにね」
「馬、鹿な……!」
天をも貫いていた柱は既に殆ど消滅している。
一体何が起きているのだ。あり得ない。自身の放つ最強の攻撃だったはずだ。如何な魔力体でも耐えられないはず。そのはずなのだ。なのに何故……
ロイドの指先で渦巻いていた魔力の奔流はいつの間にか消滅し、代わりに漆黒の闇が浮かんでいた。
「そしてその全ては俺の魔術に生かす予定なんだ。よって悪いな。お前の理想の世界は俺が否定する」
そう呟いたロイドの瞳は、不気味なまでの黒と同じ色をしていた。




