拷問
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真っ暗い牢獄に一人の男が繋がれていた。
聖王だ。両手両足は鎖で繋がれ、全身血とアザだらけ。拷問を受けた跡が痛々しい。
にも拘らず聖王は安らかな顔で、すぅすぅと寝息を立てていた。
それと対照に、彼の目の前に立つ天使の拷問官の方は汗だくである。
「くっ……起きろ!」
拷問官は声を荒らげると、聖王目掛けて鞭を振るう。
バシィ! と鋭い音がして身体が大きく揺れ、聖王はゆっくりと目を開け、大きなあくびをした。
「ふぁぁ……おはよーさん。そしてごくろーさん。そろそろ半日くらい経ったかな?」
半日どころか既に二日経過していた。
あまりに余裕な表情にこめかみをピクピクと震わせると、拷問官は焼き鏝を取り出し聖王の胸元に押し当てる。
ジュゥゥ、と肉の焼ける嫌な臭いが辺りに漂うが、やはり聖王は涼しい顔だ。
「……人間如きが調子に乗るなよ。神に逆らったお前にもう未来はない。このまま死ぬまでいたぶられる運命なんだよ!」
「あちち。これでも一応反省してるんだけどなぁ。だからわざわざこんなタルい拷問を受けてるわけだし? そういう態度を評価して欲しいものだよホント」
「反省だぁ? んなもん全然してねぇだろコラァ!」
焼き鏝で思い切り顔面を殴り付けるが、聖王は屈託のない笑みを浮かべて返す。
「それ君にわかるわけ? もしかしたら反省してるかもしれないじゃないか。そういう勝手な判断、よくないと思うなぁ僕は。そんなんだから出世も出来ず未だに拷問係なんてショボい仕事をやってるんだぜ?」
「……ぐっ、貴様ァ……! 舐めるな!」
がん! がん! がん! と殴りつける音が監獄に響く。
だが肩で息する拷問官と裏腹に聖王は平然としたままだ。
「苦言の一つも言いたくなるさ。最近の神サマは下界を意識しすぎだよ。神なんだからどーんと構えてりゃいいのに、もしかしてビビってんのかなぁ? どう思う?」
「俺が知るか!」
更に焼き鏝で殴られながらも、聖王は構わず言葉を続ける。
「だって考えてもみなよ。神サマが強者にビビってるとしたらだぜ? もはやそんなの人とさして変わらないと思わない? そんな奴に従ってていいのかい? 君たちがそれを言えないなら、聖王である僕が言うべきじゃない? 言ってあげなきゃおかしいってわからないだろうし、それじゃ神サマが可哀想ってもんだ」
「神にそのような感情はないッ!」
「いやいや、怒ったからこそこうして僕も拷問受けてるわけで……あ、そこそこ、ちょっと気持ちいいかも」
「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」
拷問は更に勢いを増していくが、聖王は全く意に介さない。
その顔が焦りと恐怖でどんどん歪んでいく。
「まぁ神サマって何万年? とか生きてるんでしょ? そろそろボケてきてもおかしくないじゃん? そろそろ次世代に任せるべきっていうかさぁ、そういう下からの意見とかないわけ? なんなら僕が言ってあげるよ? この程度の罰とか屁でもないしさ」
「神は唯一無二の存在! 我々はそれに従うのみ! くだらん意見などお聞きになる必要はないのだ!」
「やれやれ、盲信だなァ」
ため息を吐く聖王を見て、拷問官はギリギリと歯噛みをする。
「チッ……どうやら肉体的な拷問は効果がないようだ。貴様のことはある程度聞いていたがここまでとはな……」
「あは、一応しっかり痛いではあるんだけどねー。ただ君程度じゃ僕を痛がらせるのは少し難しいかもね?」
挑発するように笑う聖王に、拷問官もまた歪んだ笑みを返す。
「……ククッ、だがその強気がどこまで続くかな?」
「?」
疑問符を返す聖王に背を向けると、拷問官は何もない空間に手をかざし、何やらブツブツと唱え始める。
「我が求めに答え現れよ天界の窓、下界の景を映し出せ」
ぐぉん、と空間が歪み、作り出された魔力の窓。
そこには地上の風景がのどかな田園風景が映っていた。
人々は農作業に精を出し、楽しげに談笑を交わしている。
それを見て固まる聖王を見下ろしながら、拷問官は歪んだ笑みを浮かべた。
「初めて顔色が変わったな? クク……そうとも。ここはお前が生まれた村。丁度収穫の時期みたいだな。皆、忙しそうにしているじゃないか……平和でのどかな時間とは良いものだなぁ」
ニヤニヤ笑いながら、拷問官の指先に光が集まる。
光武、無数の光の矢が渦巻くように展開されていた。
それと連動するように村の上空にも矢が集まっていく。
「あ、あんたまさか……!」
「ククッ、ようやく顔色が変わったな? ったく、最初からこうすりゃよかったんだ。唯一神様も存外手ぬるい。これは罰だ。散々生意気な態度を取ってきた貴様へのな。人間風情が天使様に逆らうからこうなるのさ」
拷問官は愉しげに光の矢をくるくる動かしながら、嗜虐心たっぷりに聖王を見下ろす。
「さーて、俺がこの指を少し動かすだけで、こいつらがどうなるかわかったろう? なら大人しく――ぐべらっ!?」
言いかけた瞬間、拷問官の首があらぬ方向へと折れ曲がる。
蹴りだ。聖王がそう理解した直後、ずどぉぉぉん! と爆音が轟くと共に土煙が辺りを覆い隠した。
「ゲホッゲホッ……い、一体何が……?」
咳き込む聖王の眼前、煙が大きく揺らぐ。
「……ふん、あんな雑魚すら殺れんとは。対象以外への攻撃を封じるとかいうこの縛り、鬱陶しいことこの上ないな」
晴れた煙の中から現れたのはギザルムだった。
舌打ちをしながら、持ち上げていた脚をゆっくり降ろす。
「ギザギザじゃないか。まさか僕を助けに?」
「な訳あるかボケナスが。……大体貴様には俺の助けなど必要あるまい」
「ひどいなァ。臆病でか弱いただの人間だよ僕は?」
「くだらん漫才に付き合うつもりはない。とっとと抜けろ」
「はいはい、わかりましたよっと。~♪」
鼻歌混じりにバキッ、と左腕を封じていた鎖が砕ける。
更に右腕、両足とあっさりと砕いて自由になった。
首と肩をぐるぐる回してストレッチする聖王を一瞥し、ギザルムはため息を吐く。
「ふん、光武より遥かに硬い天界の鎖を飴細工のように砕くような奴がただの人間であってたまるか」
「魔曲『ちからのうた、』鼻歌バージョン。まー平和主義者である僕はこういうの、あまり好みじゃないんだけど」
「……まぁ、なんでもいいがな」
つまらなそうに吐き捨てるギザルムの後ろを見れば、壁に開けた穴の向こうに幾つもの穴が空いている。
天界の監獄を作る獄雲岩の硬度は鎖とは比較にならない。並の魔族じゃ傷一つ付けられないだろう。
自分だって十分すぎる程の化け物のくせに、人のことなんか言えないでしょ、と聖王は呟く。
「あ? 何か言ったか?」
「助かった、って言ったのさ。僕もそれなりに枷がある身でね。あまり表立って神様に逆らうわけにはいかなかったんだよ。とはいえ色々物申したくてねぇ……あ、これ君の影響ね」
「……ふん」
そう鼻を鳴らすと、一陣の風と共にギザルムは姿を消してしまう。
「うーん、忙しい奴だねぇ」
本来なら役割を終えた今、危険な魔族である彼は虚空へと戻すべきなのだろうが……彼の勘がそのままにしておくべきだと言っていた。
故に見なかったことにする。
風に流れゆく魔力の残滓を見送りながら、聖王はポツリと呟く。
「……それにしても不思議だ。本来なら鎖を断ち切ることも出来ないはずなんだけどなぁ?」
聖王は魔曲を通じて神の力を使える。
だがその力を神への反逆に使うことはできない。当然だ。神の頬を殴るのに神が力を貸すはずがないからだ。
拷問官への攻撃はもちろん、監獄からの脱出もそれに値する……なのにどうして鎖があっさり千切れたのだろうか。
そもそも変と言えば天界と真逆の存在、魔族を呼び出してしまったところから変だ。何かが起きている……?
「……ま、いっか。元々この力ってどーも不安定だったしね」
魔曲は単純な魔力以外にも、使い手の精神状態や体調などの影響を強く受ける。
スペック以上の効果を発動する時もあれば不発することすらある、振れのある能力なのだ。
これ以上考えても時間の無駄、とばかりに聖王は思考を切り上げる。
「おーい神サマー? もう十分反省したし、出てっていいよねー?」
一応声をかけてみるも神からの返答はない。
やれやれ、職務怠慢だ。そう呟きながら聖王は格子に手をかけた。
バキバキと小枝のようにへし折ると、監獄から外へ出る。
「んじゃオジサン、僕はもう行くね。ばいばーい」
気を失い倒れ伏す拷問官にパタパタと手を振り去っていく。
薄暗い監獄には再び静寂が訪れていた。




