スランプの原因は
「ロ、ロイド様! 確かに聖王の演奏はサリアたんに匹敵するレベルではありましたが、だからといって代わりを任せるというのは……」
「我ながらいい考えだろう?」
サリア以上の演奏力、ネームバリューを持つ聖王に代わりを任せれば、フェスの大成功は間違いなしだ。
その上神曲を思う存分堪能できるし、俺の作った曲を聖王が演奏するというのもまた面白い。
これぞ皆が幸せになれる最高のアイデアである。うーん、自分の発想力が怖い。
「いやいやロイド様よぉ、サリア姉君の気持ちってもんがあるでしょう。演奏が出来なくなって、きっとスゲェ悔しいはずですぜ。フェスだって楽しみにしてたはずだ。なのにそれをやった張本人に代わりを任せちまうなんて、幾らなんでもヒドいですぜ!」
「そうかなぁ……」
どうせ弾けないなら誰かに任せるしかないんだし、俺なら落ち込んだフリして思う存分自分のことを研究するぞ。
「おいおい全くだぜロイド君。君には人の心がないのかい? 彼女の気持ちになって考えてみろよ。張本人の僕に代役をやらせるだなんて、納得するはずが――」
「いいわよ。あんたがやりなさい」
きっぱりと言い放つサリアに、聖王は慌てる。
「ええっ!? い、いいのかい? 幾らなんでも気が引けるんだけれど……考え直した方がよくない?」
「何よ。男が一度吐いた言葉を引っ込めるっての?」
「そんなつもりはないけどさ……だって君、僕の演奏をまともに聞いてないだろ?」
「あんたがそれなりの腕前なのは見ればわかる」
例えば剣の達人は所作振る舞いだけで、その人物の実力を見極めるという。
同じく音楽の申し子と言われたサリアからすれば、わざわざ聴くまでもなくその実力が分かるのかもしれない。
「でも……そうね。あんたのことを皆に納得させないとダメよね。ロイド、ちょっと走って皆を呼んできなさい」
「は、はい!」
サリアに部屋を追い出された俺は、皆を呼びに行くのだった。
聖王が「強いなぁ」と苦笑する声が部屋の中から聞こえていた。
◇
そうして俺はアルベルトたちを呼び出し、戻ってきた。
道中、状況を話したが、皆信じられないと言った顔をしている。
「あのサリアが楽器を演奏出来なくなったとは……到底信じられんな……」
「しかもその代わりが聖王だとぉ? 何が起きてるのやらサッパリだぜ」
「大丈夫なのでしょうかサリア姉さん……私、心配です……」
「聖王だか何だか知らんが、サリアより僅かでも劣っていたら代役など絶対に認めんぞ!」
「あぁ、穴を開けた方がマシだぜ。さ、お手並み拝見といこうか」
各々が思い思いに言葉を並べる中、サリアは聖王にピアノを押し付ける。
「ほら、早くあんたの実力を見せつけてやりなさい」
「はいはい、わかりましたよ……では――」
聖王は苦笑いしながら鍵盤に指を這わせる。
――♪
それはまさに文句のつけようがない演奏だった。
神曲ではないようだが、それでも十分。皆はただ黙ってその素晴らしさに涙する。
「……文句はあらへん。いい腕や。サリアに負けずとも劣らん、な」
「えぇ、素晴らしい演奏でございます。私個人としてはとても気に食わないですが、腕前には何の問題もないでしょう」
ビルギットに加え、シルファまでもが太鼓判を押す。
勿論他の皆も、誰一人文句をつける者はいなかった。
「……でもエエんかサリア、こんなのに任せてもうて。嫌やったら撤回しても構わんのやで?」
「構わないわギルビット姉さん。フェスの成功が私の望みだもの」
「アンタがそう言うならエエんやけどな……あとビルギットな?」
本人であるサリアがそこまで言う以上、誰も何も言うことはできなかった。
◆
――もうすぐ祭が始まる。
その前夜、サリアは月光の下にてピアノに座っていた。
構えた両手で鍵盤を叩こうとするが――動かない。
懸命に指を動かそうとするが、全身は小刻みに震え額には脂汗が浮かび出す。
「……くっ」
ガーン! と、両手を叩きつけ大きな音が鳴り響く。
静かな夜に響いた音は夜の闇に溶けるように消えてしまった。
サリアは肩を震わせ、息を荒らげ、拳を強く握りしめる。
「……ダメ。どうしても弾けない……!」
あれから何度も挑戦したが、どうしても弾ける気がしない。
本当はフェスに出たかった。イーシャと合奏したかった。ロイドの作った曲を弾きたかった。……でもダメだった。このままではあの男に任せるしかない。
「心の問題、か」
聖王とかいうのが何かやったらしいが恐らくそれはきっかけに過ぎない。
少し前から自身の演奏に満足が出来ず、もしかしたら近いうちに弾けなくなるかもしれない、と心のどこかで感じていたのだ。
覚悟はしていたとはいえ、いざ弾けなくなるとその事実のみが重くのしかかってくる。
弾きたいのに弾けない、こんなことは今までなかった。故に対処法も分からない。
「どうすれば……いいってのよ……!」
まさか一生このままなのだろうか。
音楽にしか興味のない自分からそれを取り上げたら、一体何が残るというのだろう。
そうなった自分に生きている価値などあるのだろうか。
ぐるぐると悪い考えが頭の中を回り、無力さを呪うことしか出来ずにいた。
そんなサリアの背後にて、建物の影が伸びていく。
瞬間、首元に刃物が突きつけられるような感覚とともに、影は声を発した。
「貴様の原点、そこにヒントがあるかもな」
そこにいたのは黒い男。
影に包まれたその姿は殆ど見えないが、鋭い目だけが闇の中からサリアを見つめている。
「音楽に限らず、あらゆる芸術分野において製作者の手が止まり動かなくなることはままある。そんな時は己の原点を振り返ること……最初のモチベーションこそが復活の切っ掛けになるものだ」
「私の、原点……?」
「自分が音楽を始めた切っ掛け、その時の気持ち……それを考えるのだな」
そう言い残し闇に溶けようとする影を、
「待って!」
サリアは呼び止める。そして言葉を続ける。
「あんた、悪い奴でしょ。なんで私に助言なんかするの?」
「ふん、勘違いするな。これは俺の為だ。……貴様の演奏は中々よかった。俺の耳を癒すに値する程の才の持ち主がこのまま埋もれるのが惜しいと思った。それだけの話だ」
影はそう言って、今度こそ闇に溶け消えていく。
「偉そうに……」
呟き返してサリアは己の両掌に視線を落とす。
静寂の中、己の記憶を掘り起こしていく。
「そういえばいつだっけ。初めて楽器を弾いたの」
確か……三歳くらいの時だったろうか。
兄たちと遊んでいた時にどこぞの宮廷音楽家が入ってきて自分に音楽を教えようとしてきたのだ。
そんな彼に「自分より下手な人に教えて貰いたくない」とか言った気がする。
彼は苦笑いしながら演奏を始め、それを私は返す演奏で黙らせたんだっけ。
以来、色々な音楽家が私の下を訪れたがそのたびに返り討ちにしていった。
そんなある日イーシャに出会い、その歌唱力に彼女を生涯のライバルと認定した。
ずっと二人で歌って、奏でて……イーシャはきっと楽しんでいただけだろうけど、自分は演奏のたびに心の中で競い合い、勝敗を付けていた気がする。
……うん、言われてみれば私の根源は闘争心なのかも。
「でも本当にそれだけ……?」
違和感、何かを見落としている感覚にもっと記憶を遡る。
……そう、イーシャと出会った後だって今ほど音楽に夢中ではなかった。
普通に兄たちと毎日遊んでいたし、ニ、三日何も弾かない日だってあった。普通の子供をやっていた気がする。
4歳、5歳、6歳……弟が生まれ、妹が生まれ、また弟が生まれ――そう、7歳の時にロイドが生まれたんだっけ。それで――
「サリア姉さん?」
突如、耳元で話しかけられる。声の主はロイドだった。
「ロイド……」
「すみません驚かせて。……でも大丈夫ですか? 汗がすごいですよ?」
気づけばサリアは全身汗びっしょりであった。
全身を強い疲労感と倦怠感が襲い、足元がフラつく。
「な、何でもない、わよ……」
「何でもなくないですよ。顔が真っ青じゃないですか。すぐ部屋に戻りましょう。さぁ、肩を貸しますから」
「……本当に大丈夫、だから……」
何かが掴め掛けていた。
もう少しだけ、記憶を辿れれば何かが掴めるかもしれない……あと、少し……
だがそんな思いとは裏腹にサリアの身体は崩れ落ちる。
「サリア姉さん!? 大丈夫ですかサリア姉さんっ!」
ロイドの叫び声を遠くに聞きながら、サリアは意識を手放すのだった。