毒と裏切り
当然の話だが、その日のお茶会はお開きとなった。
毒を盛った犯人は誰か、皆はそれを調べるべく各々手を尽くすということらしい。
ノアとガゼルも自分たちを狙った犯人をなんとしてでも探し出す、と意気投合していた。
二人の仲がある程度改善されたようでそこは良かったのだが……
「それにしてもグリモ、か」
俺は部屋に戻り、ジリエルの話を聞いていた。
「えぇ! 茶会の準備をしている時、何やらコソコソしていたのを見ておりました。間違い無く奴の仕業です。それを証拠に今もどこぞへ姿を眩ませている!」
歯噛みするジリエル。確かに現在、グリモの気配は全く感じないい。
思えば今朝からグリモを宿している手の魔力密度がやや少なかったな。
恐らく俺が寝ている間に自身の一部のみを残し、本体は抜け出していたのだろう。
茶会で聞こえた声もどこか遠くで喋っているようだったしな。
「しかしだとしても何故グリモが二人に毒を? 動機がないだろ」
グリモはノアとガゼルと初対面、それに俺の身代わりをさせていたグリモへの二人の反応も悪くはなかった。つまり上手くやっていたのだろう。
なのに何故? 二人を殺そうとする理由が見当たらない。
「……実は先日深夜、グリモがロイド様の身体から抜け出す私は見ました。こんな時間に一体どこへと思いながらもこっそりついていくと、グリモが謎の男と密会する現場に遭遇したのです」
ごくり、と息を呑むジリエル。気づけばその肩は震わせ始めていた。
「あ、あの男は危険です! 薄暗かったのでよくは見えませんでしたがその身体には凄まじい、そして、邪悪な魔力を内包しておりました! 間違い無く魔族! それもかなり上位のです!」
――魔族、それは魔界にいる貴族的な存在である。
魔人たちの支配者として君臨しており、その力は魔人が束になっても敵わない強さだとか。
以前戦ったことがあるが、実際かなり強かった記憶がある。
「はい。恐らくこの学園には魔族が潜んでいたのでしょう。そいつがグリモに仲間になるよう強要した。魔族相手に魔人程度が逆らえるはずがありませんからね。その魔族の命令でロイド様を裏切ったグリモは二人に毒を盛ったのでしょう。……くっ、私がロイド様に進言していればこんなことには……」
ジリエルは悔しそうに歯噛みしている。なんだかんだで二人は仲が良い。気のせいだと思いたかったのだろう。
そういえば以前魔族と対峙した時のグリモはかなりの怯えようだった。
魔人に刻まれた本能とでも言うべきか。
あの様子では脅されれば何でと言うことを聞くだろうな。
「なるほどわかった。つまり元凶であるその魔族を倒せばいいんだな」
あれから色々研究をして魔術の幅も増えたしな。丈夫な魔族を相手に思う存分実験するいい機会である。
しかし俺の言葉にジリエルは押し黙っている。
その額に脂汗が一つ、二つと増えていく。そして長い沈黙、ゆっくり答えた。
「進言しなかった理由はもう一つあります。あの魔族の持つ魔力――ロイド様よりも遥かに多いと感じました。ロイド様でも危険かと……」
◆
「おいおいおいおい、俺はあの兄弟にキチンと毒を盛って来いっつったよなぁ!?」
暗闇の裏庭にて、男の声が響く。
燃えるような赤髪、漆黒の外套に身を包んだ男。
苛立ち故か鋭い目つきはさらに吊り上がり、まるで半月のように歪んで見えた。
「聞いッてんのかグリカスよぉ!」
男は長く伸びた脚で、地面に這いつくばる黒山羊を踏みつける。
黒山羊――グリモは「ぐっ」と声を漏らしながらも額を床に擦り付けたままだ。
「へ、へいヴィルフレイの旦那! 確かに毒は入れやしたんですが……」
「馬ァ鹿、毒を入れてこいってのは毒殺して来いって意味に決まってるだろが! くだらねぇ言い訳してんじゃねぇ!」
「いでぇっ!?」
ヴィルフレイと呼ばれた男は、ブーツの底で何度もグリモの頭を踏みつける。
「魔王軍の進撃を退けた一族の末裔……人間如きにそこまで気を回す必要はねぇと思うが、念には念ってことでわざわざ面倒くせぇ手を使ったって言うのに……何で俺の気遣いを無駄にしてるんだオラぁ!」
がんっ! と一際大きな音を立て、グリモは蹴り飛ばされる。
地面を転がり、壁にぶつかり、倒れ伏すグリモをヴィルフレイは冷たく見下ろしていた。
「まぁテメェは昔からクソでカスだったからなぁ。折角魔軍四天王、緋のヴィルフレイ様が何百年も前から目ぇかけてやったってのに微塵も成長しやがらねぇんだからな」
ヴィルフレイはグリモを罵りながらも口角を歪める。
「拾った頃はそりゃもー弱くて弱くて、泣いてばっかりいたなぁお前。ま、その弱っちさがイイんだけどよ。くくっ、つーかお前、久々に会ったらまさか人間如きの使い魔なんぞやってるとは思わなかったぜ? 魔人の片隅にもおけねぇ弱さだろ? しかもガチで戦って負けてるしよ。雑魚すぎにも程があるぜ。生きてて恥ずかしくねぇの? ひゃはっ!」
数日前のロイドとの戦いもまた、ヴィルフレイの命令で行われたものだった。
本気で戦え、さもなくば殺す。そう言われて。
「まぁ確かにあのガキ、人間にしてはそれなりの魔力はあったな。ガキだが身分もそこそこ高そうだ。こっちでの俺の身体として使ってやってもいいかもしれねぇか?」
「ヴ、ヴィルフレイの旦那! そいつは約束が……!」
慌てるグリモを見て、ヴィルフレイらニンマリと笑う。
「ぷっ、なぁーにを必死になってんだグリモワールちゃんよ。んなもん冗談に決まってるだろ? 大体幾らそこそこ魔力があるっつっても人間如きに俺の大事な魔力体を預けられると思うのかよ? お前が面白ぇからちょっとからかっただけだっつーの」
「う……そ、それならいいんすが……」
「それに俺の仕事をこなすには、今この状態の方が便利だしな。元々あんなガキの身体には興味ねぇよ」
そう言って、ヴィルフレイの雰囲気が変わる。
「……だがテメェ、今あからさまに安心しやがったな? 人間如きに随分と懐いたもんじゃねぇかよ。えぇオイ」
ヴィルフレイはつかつかとグリモに歩み寄ると、その身体を片手で持ち上げた。
そして深紅の目で睨み付ける。強く、冷たい瞳。グリモはその迫力に硬直した。
「言っておくがグリカス、弱ぇ弱ぇテメェの飼い主は未来永劫このヴィルフレイ様以外ありえねぇ。俺は優しいから今までのことは水に流してやるが、次に俺を裏切ったら――消すぞ?」
その迫力にグリモはコクコクと何度も頷く。
全身から脂汗が垂れ、唾液を飲み込むのも忘れ口からは涎が零れていた。
ヴィルフレイはそんなグリモをしばし眺めた後、乱雑に放り投げ踵を返す。
ようやく解放されたグリモは闇に溶けていくその姿を見送りながら、息を荒らげている。
「ハァ、ハァ……ハハ、やはりヴィルフレイ様はすげぇぜ。凄まじいまでの魔力の奔流、あいつとは比べ物にもなりやしねぇ。これが上位魔族の力ってやつか。逆らえる奴なんかいやしねぇだろ。……へへ、わかっていたのによ。なんで俺は人間なんかに従ってたんだろうな。あんな生意気で、好奇心だけで動いてるだけの魔術バカによ。へへ、へへへ……」
グリモの乾いた笑い声が響く。
どこか自分に言い聞かせるような言葉だった。
「……ま、もうあいつとは会うこともねぇか。ヴィルフレイ様が展開したこの裏面は魔族でも限られた者にしか作れない特殊な結界。いくらあいつがすげぇ魔術師だっても来るのは不可能。それにヴィルフレイ様の企みが成れば、人間どもはおしまいだ。くくっ、ざまぁみやがれってんだ。この俺様を封印しやがってよぉ。あまつさえ自分勝手に封印を破り、俺を掌に宿らせ、好きなようにこき使って、危険なことに巻き込んで……」
グリモの脳裏に浮かぶのはロイドとの思い出。沢山のそれが浮かんでは消えていった。
気づけばその目には涙が浮かび、ぼろぼろと流れていた。
「ちくしょう。もう、会えねぇんだな……」
消え入りそうな呟きを残し、グリモもまた闇に溶けた。
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