戦力差、異分子
逃げずに立ち向かおうとする勇者たちを見て、炎獣将軍モーガルバンはよだれをたっぷりと垂らした口から、くぐもったいやらしい笑い声をあげる。
「ぐへへへ……さっき逃げていれば、ひょっとしたら逃げきれていたかもしれないのになぁ? わざわざ俺様に食われるために立ち向かってくるとは、いい度胸だ。──勘違いをしたガキどもには、自分たちが世界を救うヒーローになんてなれないってことを、その身にしっかり刻み込んでやらないとな」
そう言って、どす、どすとゆっくり歩み寄ってくる、燃える牛頭の巨体。
その言葉を聞いて、軽装の鎧を身につけた剣士姿の勇希が、地面にペッと唾を吐く。
「はっ、べらべらとよくしゃべるモーモーさんだよ。反吐が出るね」
少女はそう言って剣を構えて前に立つが、その強気の表情にも関わらず、額にはうっすらと汗がにじんでいた。
また純白の神官服をまとった神琴も、勇希の隣に進み出ると、腰を落として拳を構える。
「同感だが──しかし、あれはすさまじく強いな。どこに撃ち込んでも、まったく倒せる気がしない。一見隙だらけだが、本当の意味での隙が微塵もない」
「あ、それ言っちゃう? テンション下がるじゃん」
「ということは、今の勇希のその身体能力でもダメか?」
「ダメダメ。多分、子供と大人が喧嘩するようなもんか、それ以上だね。──でもさ、それでも」
「──ああ。退けぬ戦いなら、どんな相手だろうと打ち倒すしかない」
二人はのしのしとゆっくり歩み寄ってくる恐怖を前に、必死に己を奮い立たせる。
一方、魔法使いの服装に身を包んだ真名はと言えば、その目でじっと炎獣将軍モーガルバンを見つめていた。
それは彼女が新しく手に入れたスキル、【モンスター識別】を使うための動作だ。
どうすればスキルを発動できるかは、真名には「なんとなく」分かっていた。
──ターゲッティング、そして発動。
真名の視界には、以下のような情報が表示される。
***
名前 炎獣将軍モーガルバン
レベル 34
HP 320/320
MP 80/80
攻撃力 180
防御力 80
魔力 160
魔防 70
素早さ 50
特殊能力
飛行能力
炎の吐息
ブランディッシュ
弱点・耐性
×:死/石
△:炎/毒/眠/目/痺/乱
〇:雷/封
◎:氷
***
単純な数字で見て、各ステータスが真名たちの四倍ぐらいは強い相手だった。
それが実戦においてどの程度の差になるのかは、やってみないと分からないが。
「……やっぱり、今戦うには、ありえない強さだよねこれ」
真名はつぶやく。
この強敵に対し、戦力として最も期待できるのは、おそらくは賢者ユアンだろう。
真名は彼の能力も見たいと思った。
だが同時に、それをするためには「モンスター識別」の上位スキルである「ステータス識別」が必要であることも、彼女は認識していた。
一方、期待を向けられている当人の賢者ユアンは、逃げようとしない勇者たちに気付いて苦笑する。
「……勇者っていうのは、なかなかどうして、合理的に動いてはくれないものだね」
「……そりゃあ、あの二人はヒーロー気質だからね。……ボク一人だったら、ユアンのことは見捨ててたよ」
真名がしれっとそんな言葉を返す。
すると賢者ユアンが、ふっと笑った。
「でも、僕が逃げろと言ったあとのキミの声、震えていたよね」
「…………。……どうでもいいよ、そんなこと」
図星の指摘をされ、恥ずかしげに頬を染める真名。
そんな様子を賢者ユアンは微笑ましげに見て言う。
「じゃあどうでも良くない話をしよう。──逃げるつもりがないなら、一緒にあいつを倒すしかない。ここで全滅するかもしれないけど、その覚悟はあるんだね?」
「……戦う前から負けたときのことを考えていたら、ダメでしょ。……と言いつつ、あいつがボクたちを殺さないように命令されてるぽいことは、計算に入れてる」
「あはは、抜け目ないね。ただそうだとすると、ひとつ残念な知らせがあるよ」
「……何?」
「あいつ──炎獣将軍モーガルバンは、それほど頭が良くない。頭に血が上ったら、命令なんてどこかに吹き飛ぶかもしれない」
「……最悪。……ロジックをぶち壊すから、脳筋は」
真名は嘆き、天を仰いだ。
それから彼女は、思い出したかのようにユアンに尋ねる。
「……ところで、ユアンのレベルは、いくつ?」
「僕のレベル? 17だよ。ここが僕の限界だった」
「……賢者の肩書きを持つユアンでも、ダブルスコア。……あの牛さん、バカっぽいのに強さがチート過ぎる……」
「あれでも魔王軍四天王の中では最弱って言われてるけどね」
「うぇぇ……聞きたくなかったな、その情報……」
だがその二人のやり取りに、己の強さを誇示するように悠然と歩み寄ってきていた炎獣将軍が、ピクリと反応した。
そして彼は突然いきりたって、叫んだ。
「ブモォオオオオオオオッ! 俺様は魔王軍四天王、炎獣将軍モーガルバン様だぞ! 俺様を最弱と呼ぶなぁあああああっ!」
そしてモーガルバンは、本物の暴れ牛のように猛然と突進してきたのだった。
***
一方その頃。
アルディールの街から続く街道を歩いていた一人の旅人が、遠くから聞こえてきた怒鳴り声に、耳をそばだてる。
薄汚れた旅のマントに身を包んだその男は、年の頃は二十代の後半といったところか。
その赤髪は片目が隠れるほど前が長く、合間からは眼光鋭い切れ長の目がのぞいている。
彼は自らの行く先を見すえ、静かにほくそ笑む。
「……魔王軍四天王、炎獣将軍モーガルバン、確かにそう聞こえた。──ふっ、ふふふふ……どうやら今日の俺は、運がいい」
そして、彼はすぐさま地面を蹴って、風のように走り出した。