異世界、ゴブリン、与えられた力
「はぁっ、はぁっ、はぁっ──もう、どーなってるんだよーっ!」
勇希は叫ぶ。
ショートカットの髪をなびかせ、見知らぬ森の中を走りながら。
その息はやや切れているが、ボーイッシュな顔立ちにはまだいくらかの余裕が残っていた。
彼女は幼い頃から剣道を習い、体を鍛えている。
その体力は折り紙付きだ。
一方、勇希のすぐ横を疾駆する神琴も、空手の有段者だけあって勇希に劣っていない。
ポニーテイルの黒髪を揺らしながら、凛とした表情を崩さずに勇希に答える。
「ハロウィンの仮装──ではなさそうだな」
「もう、冗談言ってる場合じゃないよ神琴! 何なのあいつら?」
「私が知るわけがない。真名は『ゴブリン』などと言っていたが」
「そうだ、真名は……?」
勇希は後ろを振り向く。
二人にだいぶ遅れて、もう一人の少女がほうほうの態といった様子で走ってきていた。
それを見た勇希が、慌てて呼びかける。
「ああもう真名、早くっ! 追いつかれちゃうよ!」
「ぜぇっ、ぜぇっ……そんなこと、言われても……勇希や神琴みたいな体力バカと、一緒にしないでほしい……もう無理……」
小学生のように小柄で童顔な少女──真名はそう言ってついに、その場にへたり込んでしまった。
「真名!」
勇希が駆け寄る。
神琴も何かを覚悟したような顔で、真名のもとへと歩み寄った。
彼女は途中、足元にあった棒状の太めの木の枝を拾いあげる。
「真名はそれ以上動けそうにないし、やるしかないようだな。──勇希、これでいけるか」
「ま、ないよりは百倍マシだね」
神琴が木の棒を放り投げると、勇希がそれをパシッと受け取った。
勇希と神琴の二人は、へたり込んだ真名を守るように立つと、自分たちが走ってきた方角を向く。
するとその先から、何やら子供のような小柄な生き物が群れを成してやってきた。
数は全部で三十体ほどか。
子供のようと言ってもその姿は醜悪で、気味の悪い緑色の肌、大きく裂けた口、醜く伸びた鼻や耳などが特徴的な、到底人間とは思えない姿をしていた。
手には木製の棍棒、あるいは石槍や石斧など、思い思いの武器を持っている。
勇希たち三人は、この小さな怪物たちから逃げていたのだ。
──勇希、神琴、真名の三人は、日本の学校に通う普通の中学生だった。
それがある日、学校帰りの道端で謎の光に包まれ、気が付けば見知らぬ森の中にいた。
何が起こったのか分からない。
自分たちがいるのがどこなのか分からない。
右も左も分からないまま、仕方がないので周囲の散策を始めてみると、最初に出遭ったのが件の小さな怪物の群れだった。
話をしようとしても通じず、それどころか武器を手に襲いかかってくる様子だったので、少女たちは一目散に逃げだしたのだ。
そうして、現在に至る。
逃走を諦めた少女たちは今、小さな襲撃者の群れに敢然と立ち向かおうとしていた。
なお最初の遭遇時に、真名だけがあの怪物に心当たりがあるような口ぶりだった。
そのことに関し、神琴が真名にあらためて問う。
「真名、あいつらが何だか知っているのか?」
「……知らない。……でも、ゲームとかアニメでよく見る『ゴブリン』に似てる気がする……」
「ゲームとかアニメねぇ。真名はそういうのに詳しいからね」
「……詳しくはない、普通」
勇希の茶々入れに、真名はへたりこんだまま首を横に振る。
漫画研究部に所属する立派なオタクである真名の「普通」は、一般における普通とはだいぶ外れていた。
「……でも勇希、神琴……あいつらに勝てるの……?」
真名は顔を上げて、二人の友人に問う。
すると勇希は、あははっと笑う。
「さぁねぇ。多勢に無勢だから、厳しいんじゃないかなぁ」
「絶望的な状況なのは間違いないな。だが、やってみなければ結果は分からない──そうだな勇希? なに、一人二十体ずつも倒せば釣りがくる」
「うわぁい。達人の世界だね」
軽口をたたき合う勇希と神琴。
それを聞いた真名は悲鳴のような声を上げた。
「だったら勇希と神琴だけでも逃げて! ボクを置いていけば、二人だけなら逃げられる!」
そう悲痛な様子で言われれば、二人の武道家少女は互いに顔を見合わせる。
「だって。どうする神琴?」
「どうするも何もないだろう。親友を見捨てて逃げるぐらいなら、ここでともに果てたほうがマシだ」
「だよねー。というわけで真名の提案は却下します。自分だけ悲劇のヒロインになろうったって、そうはいかないからね」
「うっ、ぐすっ……ごめん、ごめんね二人とも……」
三人がそんなやり取りをしている間にも、異形の小人たちは少女たちを取り囲んでいく。
そうして包囲網が完成すれば、次にはそれをじりじりと狭めるように、獲物である少女たちにゆっくりと近付いてきた。
「さぁこれで逃げるのもできなくなったね──いくよ、神琴!」
「ああ──勇希、左は任せる。私は右を」
「了解!」
勇希と神琴、二人の武人少女は軽く拳を合わせると、それから左右に散った。
そして二人の少女の大立ち回りが始まった。
勇希は木の棒を竹刀のように扱って、敵の攻撃をさばき、はじき、いなしては、隙を見て面や小手、突きなどの打ち込みを行っていく。
一方の神琴は空手の構えをとると、静かに呼吸をし、襲い来る敵の攻撃を見切ってかわすか無手で受け流しつつ、チャンスと見れば正拳や回し蹴りをたたき込んでいった。
二人はいずれも、一対一で戦うならば、彼女らを襲う小さなモンスターよりも遥かに強かった。
一体、また一体と仕留めていく。
だがいかんせん、多勢に無勢だ。
多数の襲撃者に立て続けに、あるいは一斉に襲われた勇希と神琴は、やがて息があがり、動きに精彩を欠いていった。
そして──
「くぅっ……!」
左手からの襲撃者のほうがやや多かったこともあり、先に限界を迎えたのは勇希だった。
ついにさばききれなくなったところ、石槍の一撃が勇希の左肩をとらえたのだ。
「あ、ぐっ……! このぉっ!」
頭に血が上った勇希の大振りが、彼女を刺したゴブリンを殴りつけた。
それで、そのゴブリンは頭から血を流してどうと倒れる。
だが大振りでできた隙を突いて、別の一体のゴブリンが勇希に襲い掛かった。
「くっ、勇希……!」
それを見た神琴は助けに行こうとするが、彼女にもそんな余裕はまったくない。
自分の目の前のゴブリンたちをどうにか凌ぐ以上のことはできない状態だった。
そして──
「──うぁっ!」
その間に勇希は、飛び掛かってきたゴブリンによって地面に押し倒されてしまう。
「くそっ……! 離せよ……!」
もがく勇希だが、すぐには振りほどけない。
そうこうしているうちに、別のゴブリンたちが近寄ってきて──
「──このゴブリン野郎! 勇希を離せ!」
そのとき真名が棍棒で、勇希につかみかかっていたゴブリンを思いきり殴りつけた。
先に倒れたゴブリンが持っていた棍棒を、拾って使ったのだ。
それで勇希にのしかかっていたゴブリンは昏倒し、勇希はその下から這い出て、体勢を立て直すことができた。
「ありがとー真名! 助かった!」
勇希は片腕で真名にぎゅっと抱きつく。
制服越しに親友の体温を感じた真名が少し、頬を赤らめる。
「……それはこっちの台詞。でも勇希、その怪我……」
「大丈夫、かすり傷だよ──っていうのは、さすがに無理があるかな……」
石槍の一撃を受けた勇希の左腕は、だらりと力なくたれ下がっていた。
その指先からは、赤い血がぽたぽたとたれ落ちている。
「そろそろ年貢の納め時かもしれないな」
近くにいたゴブリンをどうにか追い払った神琴が、二人に合流する。
涼しい顔をしているようでありながら、その額にはじっとりといやな汗が浮かんでいた。
互いに背を合わせ、周囲を睨みつける勇希、神琴、真名の三人。
そこに、まだ二十体以上は残っているゴブリンたちが、じりじりと詰め寄ってくる。
それを見た勇希が、小さくボヤく。
「あーあ、こんなことなら恋のひとつもしておけばよかったかな」
「ほぅ、意外だな。勇希がそんなものに興味を持っていたとは」
相槌を打つ神琴。
勇希はあははと笑いかける。
「ちょっとだけね。一番は剣道だよ。神琴は?」
「似たようなものだな。空手の全国大会の猛者どもと渡り合うには、色恋にうつつを抜かしてなどいられん」
「……さすが、わが校の誇る高嶺の花、一号と二号。言うことが違う」
そう言って笑うのは真名だ。
彼女にも少し、本来の明るさが戻っていた。
自分を置いて逃げてとは言ったが、そんなのは強がりで、真名も本当は友人たちと一緒にいられることが嬉しかったのだ。
その真名の様子を慈しむように見ていた勇希は、次にはわざと口をとがらせてみせる。
「えー、そう言う真名だって、よく漫研の男子とかに告られてたじゃん」
「……あいつらはダメ。ボクを二次元の萌えキャラと同じだと思ってる。それにちっともカッコ良くない」
「そんなのこっちだって一緒だよ~。あたしに言い寄ってくるやつなんか、ろくな男がいやしない。旦那にするなら神琴のほうがよっぽどカッコイイし、お嫁さんにするなら真名のほうがよっぽど可愛いよ」
「……百合が咲いた。それいただき」
「残念だが真名、いただいてもらっても描く機会がないだろう」
真名の冗談に、淡白なツッコミを入れる神琴。
事実、少女たちが軽口をたたく間にも、ゴブリンたちは包囲網を狭めてきていた。
もう、あとがない。
そのとき真名がハッと、何かに気付いたという様子を見せる。
「そういえば……こういうとき漫画だったら、何か現代の道具を使って一発逆転……何か……」
真名は、何か使える物はないかと自分の制服のポケットを探る。
すると──
「……あれ? ……何これ?」
真名が不思議そうにポケットから取り出したのは、トランプほどの大きさの一枚のカードだった。
トレーディング・カードゲームのカードのように美麗なイラストと、文字や数字などが描かれているのだが──
「……ボクの絵が描いてある……コスプレ?」
驚いたことに、そこに描かれているイラストのキャラクターは、真名にそっくりな姿をしていた。
厳密には、真名が魔法使い姿のコスプレをしているような絵柄だ。
もちろん真名はそんなカードを持っていた記憶はない。
いったいどこで紛れ込んだのか。
「真名、よそ見とは余裕だな」
「ううん……神琴、勇希、これ」
「何それ、カード? ……ほえー、相変わらず絵うまいね真名。もうプロ級じゃん」
「……違う。これ、ボクが描いたんじゃ」
そう言おうとする真名だったが、その言葉は神琴によってさえぎられる。
「与太話は終わりだ勇希、真名。──来るぞ」
「おっと、そうだね。──最後のひと暴れ、百合の花より、剣士の華を咲かせてあげるよ!」
景気のいい言葉で戦意を鼓舞する勇希。
少女たちは各々に武器を、あるいは拳を構える。
この交戦で決着になるだろう。
やられるにしても、ただでやられてなるものか。
三人が決死の覚悟でゴブリンたちを迎え撃とうとした──そのときだった。
「異世界の少女たち、カードを掲げて叫ぶんだ! 『ブレイブ・イグニッション』だ!」
どこかから、聞き覚えのない声が飛んできた。
突然のことに、少女たちは戸惑う。
「なんだって! ぶれいぶなんとか!? 誰だよ!」
「ブレイブ・イグニッション──勇気に火をつけろだと? 今更……!」
勇希と神琴が、殺到するゴブリンを追い払いながら声を張り上げる。
しかし「カード」を手にしていない彼女らには、何も起こらない。
一方の真名は、自らの手にある不思議なカードを見て、決意する。
「……なんだか分からないけど、こうなったら破れかぶれ、やってみる……! ──ブレイブ・イグニッション!」
真名はカードを天に掲げて、その言葉を叫んだ。
すると──
「えっ……?」
真名が着ていた制服や靴などが、突如として光り輝く。
そして──
──パリンッ。
真名の制服類が光の粒となり、一瞬のうちに消え去った。
「わわっ、何これ……!?」
突然下着姿にさせられた真名は、慌てて両腕で身を隠そうとする。
だが変化はそれで終わりではなかった。
さらに新しい光が真名の身にまとわりつき、代わりの衣服を形どっていく。
やがて光が消え、具現化した衣装が残った。
それは真名のカードに描かれていた姿だった。
一言で言うなら、ファンタジー世界の魔法使いの姿。
足元までの末広がりのローブに身を包み、頭には三角帽子、手には捻じくれた木の杖だ。
「え……変身した? ……コスチューム?」
真名も自分の姿に驚いていたが、ゴブリンたちの反応はそれ以上だった。
その魔法使い姿の少女を見て、小さな怪物たちは恐れるようにして一歩、二歩と後退る。
「ゴブリンたちが、怯えてる……? ……それに、分かる……これならボクも戦える。……魔法を」
真名は精神集中するように瞳を閉じ、杖をゴブリンたちに向けて掲げる。
その身がうっすらと輝きをまとい、小柄な少女の腰までの綺麗なロングヘアーが緩やかに舞い上がる。
そして──真名は瞳を開き、声をあげた。
「──フレイムアロー!」
ぼっ、ぼっ、ぼっ。
杖の先に、三つの火の玉が浮かび上がると、それがゴブリンたちに向けて放たれた。
狙われたゴブリンたちは慌てて逃げ去ろうとするが、間に合うわけもなく。
「「「──グギャアアアアアッ!」」」
火の玉が直撃した三体のゴブリンたちは、その身を炎で焼かれ、やがて紫色の靄になって跡形もなく消え去った。
それを見た勇希と神琴が、呆然とする。
「何あれ、すっごい……」
「真名……なのか? どういうことだそれは……」
二人の親友の声に、魔法使い姿の真名は首を横に振る。
「……ボクにも分からない。……でも分かるのは、ボクも戦えるっていうこと──もう一つ、フレイムアロー!」
ぼぼぼっ!
真名が杖を横薙ぎにすると、生み出された三つの火の玉は別の三体のゴブリンを焼き払った。
さらに──
「……ん? 真名が持ってたみたいなカード、あたしもあるよ? 格好は……剣士みたい?」
「私もだ……。これは、神官か……?」
勇希と神琴の二人も、自らの制服のポケットからカードを探り当てていた。
真名のそれと同じように、美麗なコスチュームに包まれた姿の自分が描かれている。
「だったら、神琴!」
「ああ、勇希。私たちもやってみよう」
「「──ブレイブ・イグニッション!」」
二人は真名の真似をして、その言葉を叫んだ。
すると真名のときと同じように、二人が着ていた制服や靴などが失われ、その下着姿があらわになる。
そして次の瞬間には、二人は新たな衣装をまとった姿になっていた。
勇希は、胸当てや小手などの軽装鎧を身につけ剣を手にした、勇ましくも可憐な剣士姿に。
一方の神琴は、純白のローブをまとった凛とした美しい神官姿である。
「おお、すっごい! 体が軽い! 力もみなぎってくる!」
勇希がそう叫んで興奮するが、すぐに「痛てて……」と左肩を押さえる。
超常の力を得ても、傷が癒えたというわけではなかった。
「私のほうは身体能力にそう代わりはないようだが──勇希、傷口を見せてくれ」
「……ん、こう?」
神琴に言われて、親友に肩の傷を見せる勇希。
それを見た神琴は、安堵した顔でうなずく。
「よし、この程度ならば問題ない。勇希、少しじっとしていてくれ──ヒール!」
神琴が勇希の傷口に手を当て、力ある言葉を口にした。
すると、その手から柔らかな光が生まれ、勇希の傷口をみるみるうちにふさいでしまった。
あとには傷ひとつ残っていない、乙女の柔肌。
「おおっ……!? すごい、もうちっとも痛くないよ。完全に治ってる! 神琴すごい!」
左腕をぐるんぐるんと回して全快アピールをする勇希。
それに神琴がうなずく。
「うむ。どうやらこれが私の得た力のようだ」
「よーし、だったらあたしも……!」
勇希が生き残りのゴブリンたちを鋭く見すえる。
ゴブリンたちは明らかにうろたえていた。
そこに向かって、勇希は地面を蹴った。
その動きは、まるで稲妻のようだった。
剣士姿の勇希は迅雷の速度でジグザグの軌道をとり、二体のゴブリンの間を駆け抜ける。
その間、剣光が二度、閃いた。
「「──グギャアアアアッ!」」
一瞬後に、二体のゴブリンが悲鳴を上げ、紫色の靄となって消滅した。
勇希は背後で消え去ったゴブリンたちを見て、口元を緩ませる。
「ふっふーん♪ これはご機嫌だね。体が軽いどころの話じゃないよ、まるで何かの力に覚醒したみたいだ。これならゴブリンが何体いたって──」
勇希は自信の笑みを浮かべ、残るゴブリンたちに向って駆けていく。
その一方で──
「フレイムアロー! さらにフレイムアロー!」
「──はぁああああああっ!」
多弾の火の玉を撃ち込む真名と、元より戦闘能力の高い神琴までもが、ゴブリンたちを蹴散らしていった。
そうして少女たちは、大量にいたゴブリンの残党をあっという間に平らげてしまった。
最後の一体を切り捨てた勇希が、残る二人のもとに戻ってくる。
「やったね、神琴、真名♪ 一時はどうなることかと思ったよ」
「まったくだ。……しかし真名、これはなんなのだ?」
そう問う神琴に、真名は首を横に振る。
「……さっきも言ったけど、ボクにもわからない。……でも、あの人なら知ってるんじゃないかな」
真名は杖の先で、ある方角を指した。
その先の木の陰には、一つの人影があった。
人影は、ゆっくりと少女たちの前に歩み出てくる。
「危ないところだったけど、間に合って良かった。この世界の住人を代表して歓迎するよ、異世界の少女たち──ようこそマナリスフィアへ」
そう言って現れたのは、一人の見目麗しい少年であった。