70 月光寮にて
ヨハン視点です。
授業が全て終わった放課後、アリス様の傍仕えも非番の俺は、割り振られた私室の二段ベッドに腰掛けていた。
「ふぅ……」
通常の剣術の授業に加え、放課後になりすぐにヴィルヘルムに剣術の稽古をつけてもらった。体はくたくただ。
体を清めてベッドに座り込み夕食の時間を待っている訳だが、最近色濃くなってきた悩みに心は沈んでいた。
『よくぞ側近になった。お前はひとまずオーキュラス家に潜り込み、令嬢を信用させて情勢を探れ。今はエドムンドとハイメの力は拮抗している。だが、これからどうなるかは分からない。いざと言う時すぐに動けるよう、構えておけ』
父上の言葉が脳裏をよぎる。
それは俺が夢見、思い描いてきた騎士道……一人の主に誠心誠意尽くすことと相反する言葉だった。そんな言葉を自らの父が吐いたことに、嫌悪感を覚えた。
だが、デュカー家が置かれた状況を思えば、わずかに致し方ないという感情も浮かんでくる。
我がデュカー家の長男であるクリフォード兄上は、第一皇子の側近を任されていた。幼い頃からの側近ではないが、学園で知り合い意気投合し、側近に抜擢されたそうだ。
だがその第一皇子はとある事件で力を失い、かつクリフォード兄上は職務中に殉職した。
その兄の殉職により、家は揺れた。
次期当主のクリフォード兄上がいなくなった時、第二皇子の側近の座はとっくに他の貴族で埋まっていた。
俺たちは、クリフォード兄上のような「デュカー家自体を正当な貴族に取り立ててくれるほどの権力者」とのパイプがなかった。つまり長年我が一族の夢であった、騎士階級から貴族階級への昇格の道が遠のいたのだ。
その事実は、家の悲願を達成しかけていた父上の願望……いや、権力欲、出世欲のようなものに未練の火をつけた。
「あともう少し、もう少しという所だったのだ!クリフォードよ、なぜ……」というのが父上の口癖になった。
一代限りの男爵を何人か輩出した我が家だが、父はそうなれるほど有能ではなかった。それが、その欲望に拍車をかけているのかなんなのか……。
その上、腹違いの兄弟が多いのは、そのまま父の性格を表している。母の暗い様子を見るに家計もあまり良くないらしい。
そうして俺がローヴァイン入学を控え、側近として誰かにつくことになった時。
父はこの国の中でも大きな勢力である、ハイメ派閥とエドムンド派閥の両方に、同時にさりげなく近づくことを決めた。
兄のひとりをエドムンド派閥へ近づかせ。そして俺を、アリス様の所へ。
悩みはあったものの、機会に恵まれた俺はなんとかオーキュラス家に受け入れられた。
……それ自体は、この上なく嬉しいことだ。
アリス様は想像していた以上に令嬢としても貴族としても素晴らしい。
クリフォード兄上のように、高貴な主の元で立派な騎士になりたいと思っていた俺は、心が躍った。
俺は俺自身として、アリス様に尽くしたいと思った。
だからこそ護衛として剣の腕を磨き、アリス様についていけるよう勉学にも力を入れている。
……だがそれに比例して、不安も増えていく。
『先日、学園長の新方針が三校会議で認められた。それにより、新学期から一部授業の免除と特別研究活動の推奨が始まる。皆、心してかかるように』
脳内で月光寮の寮監の言葉が響く。そしてその新制度に向けて、昼食時にアリス様が楽しそうに俺たちへ語った内容。
それは、秘匿するべき情報が多く含まれているように思われた。
もし、この先。
兄が上手くエドムンド派に取り入り、父が一族でエドムンドにつくことを決めたら?
そうなった時、ひっそりとこちらの情報を流せと言われたら?
……アリス様に、皆に信頼してもらえたところで、どんな形であれ裏切れ、離脱しろと言われたら。
いいや、そんなことを気にするよりも、俺自身がより努力してデュカー家をハイメに引っ張ってくればいい。
……だが、万が一があったら?
……そもそも俺は特別有能な訳じゃない。側近でい続けられるだろうか?
……そんなの努力するしかないだろう。
……でももしもの時、全てを捨ててアリス様だけに仕える覚悟はあるのか?
……実家を、母を捨てるのは正しいことなのか?
そんな、様々な不安や思考がごちゃごちゃと堂々巡りする。
まだ何も決まっていない。事態が大きく動き出した訳でもない。
でも、いざ決断の時が来たら、俺は…………。
実は悩み多き、若者ヨハンの事情でした。
次話がマチルダ&ユレーナ視点、その次がヴィル兄様の視点の予定です。
アリス視点が欲しい方、ちょっとだけお待ちくださいませ。




