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4 記憶

 あの後、意識を失った私をベッドに横たえたルージは何事もなかったように仕事に戻り、メイド長に「アリス様は長時間のお勉強にお疲れだったのか、寝入ってしまわれました。お夜食だけ用意してそっとして差し上げた方が良いかもしれません」と報告をした。

 メイド長は微笑ましいその報告を信じ、眠り続けた私の異変が発覚したのは翌朝のことだった。

 

 ただの幼児になっていた私は、このルージ事件を受けてショックのあまり豹変してしまったのだ。

 

 まず、言葉が話せない。

 

 更に、文字を読むことも書くこともパニックを起こしてしまうようになった。

 

 それまでは同い年の子供に比べて格段に出来ていた勉強も、教育係が読み聞かせようとするだけで卒倒するようになった。

 本を、文字を恐れたのだ。今度はどんな恐ろしい事が書かれているのかと震えた。

 

 人と目を合わせることも出来なくなった。ルージの狂気に染まった目を見てしまったせいだ。

 

 屋敷の中ですら誰とも話さず、何もせず、無気力になった。頭の中で暴れ狂う悲しみや恐怖を少しも発散できず、爆発しそうなのを隠すので精一杯だった。


 そうやって、突然の「重度の気鬱の病」になってしまった娘に両親は戸惑った。特に、体があまり丈夫でなく二人目は難しいと言われていたお母様の落胆は顕著だった。


 何かあったのかと聞いても首をふるだけ。慰めようと、大好きだった本の読み聞かせをしようとしてもパニックを起こしてままならない。最終的には近づくだけで怯えられる。お母様は様々な努力をしてくれたが、その時の私にはお母様との接触すら苦痛だったのだ。いつ真実を知られるのか、いつルージのように手のひらを返されるのかと……。

 家族以外の親しい人も僅かにいたが、親しければ親しいほど恐怖心が沸き起こり、駄目だった。

 

 抱き締めても震え、声をかけても下を向いたまま。

 医師に何度も相談したが、とうとう匙を投げられた。

 

 そんな娘は、世間一般的に見れば「勉強を嫌がる社交のできない病気持ちの娘」だ。

 貴族として致命的だった。

 

 茶会に娘を連れていくことも出来なくなり、お母様は肩身が狭くなった。そうして引きこもりがちになった。

 ただでさえ1人しか産めないと言われた体だったのに、貴族の正妻として最も大切な仕事のひとつである後継者作りに完全に失敗したのだと自分を責めた。

 

 お父様はお父様で問題に直面した。

 当主に後継者が望めない場合、親戚を巻き込んだ騒動になる可能性が高い。だからすぐに離婚して再婚するか、せめて妾を囲って子供を作れと周囲に散々言われた。嫌がるお父様をよかれと無理やり社交や出会いの場に連れ回すものもいた。お父様は立場上断れなかったのだろう。

 実際に妾を囲うことはなかったが、当然お母様との関係にはヒビが入った。

 

こうして誰もが傷ついて、お互いに真意を確認し合う事ができない上っ面の家族が完成してしまったのだった。 

 

 

 

  

 あの女、絶許。

 

 私は一連の流れを思い出して怒りに燃える。

 しかも、あのクソメイドは「愛しの旦那様」と「憎い奥様」に対して、周囲にそうと悟られない毒になる言葉を囁き、暗躍しまくったのだ!

 

 例えば父に対しては「奥様は目も当てられぬ状況です……このままでは……」だの、「一度距離を置いてみてはいかがでしょう?気晴らしにお出掛けしてはいかがですか?」と囁いた。

 母に対しては、「お可哀想な奥様。一度ご実家で静養してみてはいかがですか?」だの、「旦那様は今日もお出掛けのご様子です……ああ、奥様、泣かないで下さい」だの、ぶち殺してやりたくなる事のオンパレードだった。

 

 これを、二年。

 

 不謹慎だと咎められないギリギリの言い回しで微量ずつ。しかし着実に両親を不幸へ誘導しようとしていた。

 他の人間がいるときには決してやらなかった。

 しかし私の事はもはや壊れた人形とでも思っているようで、いても関係なく堂々とやっていた。そのお陰で暗躍を知っているわけだが、ひたすら腹立たしい。

 

 こんな感じで拗れに拗れ。

 私は五歳になるまでの大切な二年をそうやって過ごした。お屋敷の空気は冷めきってしまっていた。

 

 そして、そんな過度のストレスに耐えかねた小さな体は頻繁に体調を崩す。数日寝込むことも多かった。

 先ほど目覚めたときにメイドが飛び上がって驚いたのは、今回の寝込み方が半端でなく、すでに十日以上原因も分からず寝たきりになっていたためだ。

 「生きる気力を失われている。もう駄目かもしれない」と医師が言っていたのを朧気に覚えている。

 

 さて、とにかく早急に身の振り方を考えねば。

 

 まず、私がこの両親の本当の子供なのかどうかについては棚上げとする。

 考えても分からないし。

 しかもあの書類、ハンコとか拇印とかがなかった。前世の記憶からして契約書なら普通そういうのがあるはず。

 私が内容を拾えるようにあえて簡単な言葉で書かれていた気もする。

 ついでに言えば、孤児であったことが本当であり契約書があったとしても、少なくともただのメイドであるルージに入手できるとは思えない。

 

 次に、喋れるようになったことをバラすかどうか。これはお屋敷の全員にいきなりバラしたら生死に関わるので駄目だ。

 あの日の事を喋れる状態になったと知ったら、ルージはどんな手を使ってでも私を殺そうとするだろう。食事やお茶に何が入れられるかわからない。

 しかもあのクソメイドは、私が寝込むとよく私室に来た。

 周囲には心配しているふりをしていたが、枕元では言葉でいたぶりに来ていたのだ。そしてあの狂った目で見つめて私をわざと怯えさせて楽しんでいた。

 そんな状況なので、寝込みを襲われる可能性もある。

 

 次は両親との接し方だ。これについては、私はまずお母様よりも先にお父様と和解すべきだと考える。

 

 何故なら、母はすでに深く病んでしまっている。家族の変化についてこれなかった母が、更にまた豹変した娘を見たらそれこそ狂ってしまうかもしれない。

 比較的理性的なお父様をまず味方にしなければならない。人知れず父と意思疏通して、あのクソメイドを追放する方法を考えなければ。

 母のことはそうやって安全を確保してからである。

 

 ベッドに戻りそんなことを考えていると、バタバタと足音が近づいてきた。

 

 

 ◇

 

 

「アリスっ……!」

 

 部屋に一番に飛び込んできたのはお父様のジークムントだ。後ろには一緒に居たのであろう執事のアルフォンスさんがいる。お母様の姿はなかった。

 

「今度こそ駄目かと……!!」

 

 お父様はベッドに横たわる私の手を握りしめて顔を覗きこむ。

 

 これはチャンスかもしれない。

 お父様と執事以外誰もいない。

 

 私は、思いきってお父様と目を合わせた。

 

 「!」

 

 お父様は、長らく合わなかった娘の目線に驚いているようだ。心なしか震えている。

 

 次に、長く使われていなかった表情筋に鞭打ってなんとか微笑む。

 

「……!!」

 

「っ…!!!っ……」

 

 執事は片手で口元を覆った。お父様は泣き崩れた。

 

 ううーん。微笑んで目を合わせただけでこれである。声をかけるのはお父様もキャパオーバーしてしまうだろうか?

 

 しかし、善は急げだ。まぁなるようになるだろう。

 

「……おとう、さま」

 

「!!」 

 

 お父様と執事は、今度こそ目がこぼれ落ちそうなほど目を見開いてざっとこちらを見た。まぁ、驚くよね。声聞くの2年ぶりだよね。

 

「アリス……?今、声が……?」

 

 私は小さく頷いて続けた。

 長くしゃべるのは喉がまだ慣れていないため苦しいが、急ぎのことを伝える。

 

「お、願いです、ひとばらいを……それと、メイドのコニーに、私の様子を広めないよう、口止めを……」

 

「っ!わかった……アルフォンス、頼むぞ!」

 

 唐突なお願いだというのにお父様は迅速に動いてくれた。

 

「かしこまりました!」

 

アルフォンスさんはさっと仕事の顔つきになり、部屋を出ていく。

 

 それを見送ったお父様はこちらに向き直り、改めて私の顔を覗きこむ。

 

「アリス……ああ、アリス。回復したのだね」 

 

涙をこぼしながら、愛しいと言うように頬をゆっくりと撫でてくれるお父様に胸が熱くなった。前世の大人の記憶があるとは言え、この人もまた私の父親なのだ。心配をかけてしまった分、安心させてあげられてよかった。

 

「お父様、ごめんなさい……私のせいでお母様もお父様も大変なことに……」

 

「っ!良いんだ、良いんだよアリス……!こうして回復しただけで良いんだ。生きていてくれるだけで……っ」

 

 お父様は美しい顔に幾重も涙を流している。

 ルージという原因を知らない父から見れば、私が原因で離婚の危機に瀕しているのに、なんて懐の深い人なんだろう。

 ましてや、実子ではないかもしれないのに。ルージの語った事が本当だとしたら、この人は養子の私をこれほどまで案じてくれる人なのだ。

 私はお父様をますます愛しく思った。

 

 しかし、これからお父様に告げることに何とも言えない罪悪感が込み上げてくる。

 

「ありがとうございます、お父様……でも、お母様にはまだ、このことを伝えないで下さいませ」

 

 お父様は狼狽えた。

 

「なぜだい、誰よりもお前の病気に心を痛めていたのだよ?早く教えてやらないと」

 

 駄目なのです、と私は続けた。

 

「私も、1秒でも早く安心させて差し上げたい……でも、この事をある者には知られてはいけないのです」

 

「?!まさか……」

 

 回復を知られてはいけない者。つまりそれは、回復されては困る害意ある者が家内にいるということだ。

 それに勘づいたお父様は厳しい表情で思わずといった風に叫んだ。

 

「なにをされて……まさか、毒を盛られていたのか?!」

 

「毒……。ある意味では、そうでした……」

 

私は包み隠さずお父様に真実を話す事にした。

 

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