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3 逆光


 両親の不仲の原因となった人物。

 

 その内の一人はぶっちゃけ、私だった。

 

 それと言うのも、三歳を過ぎた頃に豹変した私を気に病んだ母は引きこもるようになり、社交にも健康にも影響が出た。それを外部の人間に格好のネタにされ、更に塞ぎこんだ。

 母はどんどん病んでいき、夫婦仲がこじれる原因のひとつになった。

 

 そしてもう一人の原因となった人物は、このお屋敷に勤めるとあるメイド。

  

 こいつこそが両親の仲を悪化させ、私にいらんことを吹き込み、そして私の声を奪った根本的な犯人なのである。

 

 事の起こりは三歳のあの日、そのメイドが私にあることを囁いたのが始まりだった。

 

 

 ◇

 

 

 その日、私はスペルを覚えるために、簡単な本を眺めていた。英語に似たこの世界の言葉だ。

 

 場所は日の光で明るく照らされた広い温室で、肌寒かったので、ぽかぽかと暖かいこの温室内の白いガーデンテーブルで勉強していた。

 

 アラサーの記憶があるわけでもない三歳の子供が、なぜ大人しく勉強しているのか?

 

 それは母が読み聞かせてくれる物語の本を、逆に読んであげたいと思ったからだった。

 読んでもらうのはワクワクしたし、親密な時間が過ごせてとても嬉しくなる。

 だから、大好きな母にも同じことをしてあげたかった。


 集中していた所に呼ぶ声がかかり顔をあげると、赤い髪につり目が特徴的なメイド、ルージがお茶を運んで来ていた。

 

「アリス様、お茶をお持ちしました」

 

「ありがとう、るーじ」

 

 舌足らずにお礼を言うと、ルージはにこりと微笑んで本を覗き込んできた。

 

「お嬢様は本当に勉強熱心でいらっしゃいますね。流石は旦那様と奥様のお子様です」

 

 褒められた私はえへへ、とほっぺを赤くする。

 元々人見知りで大人しい私ではあったが、ルージは私が生まれた頃にはお屋敷にいたメイドのため、ある程度懐いていた。

 それにルージは、今のように私を「流石は父と母の子供だ」と誉めてくれるので、それがいつも嬉しかった。

  

「おかあさまみたいに、じょうずによめるかしら?」

 

「ええ、すぐにでも読めるようになりますよ。そしたら奥様に本を読み聞かせて、寝かしつけて差し上げるんですよね?」

 

 いたずらっぽく笑いながらルージが言うので、私はふくっと頬を膨らませて抗議する。

 

「もう、わらわないで!ぜったい、よろこんでくれるの!」

 

「うふふ、そうですね。きっと喜んでくださいますよ」

 

 ルージは目を糸のように細めて、柔らかに微笑んで同意してくれた。

 ちなみに、伏し目がちに目を細めて微笑むのはルージの癖だ。目は三日月の形になり口元は柔らかく微笑む。私はこの笑顔が好きだった。

 

「この本もしばらく使っていますね。そうだ、お嬢様。どうせならもう少し難しいものに挑戦してみませんか?」

 

 難しいもの?ときょとんと返すと、ルージはお父様の書斎の掃除をしているときに面白そうな本を見つけたという。

 

「お嬢様がもっと字を読めるようになったら、お譲りになる予定なのではないでしょうか?挿し絵のついた本がいくつかございましたよ」

 

「わぁ、たのしみ!……でも、かってによんじゃだめよね?」

 

 そう答えると、ルージはいたずらっ子のような顔をして私に言う。

 

「お嬢様、少し先取りした問題に取り組むことは上達の鍵なのですよ!それに、旦那様と奥様に内緒で上達して、びっくりさせたくありませんか?」

 

「うう……たしかにびっくりさせたいけど……うーん、うーん」

 

 するとルージは私がやや話に乗ってきたと感じたのか、さらに声を小さくして耳元で囁いた。

 

「入って一番右の本棚ですよ、お嬢様。その一番下の棚に簡単な本が集まっていました。そこにお姫様が表紙の本がありましたよ」

 

お姫様が表紙、と聞いて私は俄然興味が出てきた。

 

「おひめさま?!わぁ……!ねぇねぇ、どうぶつのえほんもある?」

 

「はい、ありました。お嬢様はお姫様や生き物が大好きですものね」

 

 私はワクワク感に包まれた。お父様が私に譲ってくださるつもりなら、ちょっとだけ早く見てもいいよね?

 それに、上達したらきっと凄く驚いて、誉めてくれるに違いない。

 

 そう思った子供の私は、さっそくその日の夕方に書斎に忍び込むことにした。

 

 ◇

 

 夕食前にお父様が書斎にいることは少ない。

 その時間は執事も給侍の準備で書斎にはいない。この短い時間は狙い目だ。

 

 なんとなく堂々と入って読むのは怒られる気がしたので、抜き足差し足で書斎に入った私は、重厚なオーク材で出来たブラウンの本棚が壁一面にあることを確認し、ルージに聞いた通り右の棚から見て回ることにした。

 

「えーと、いちばんみぎの、したの……」

 

 足元の棚を覗きこんでみると、確かに他とは違った鮮やかな絵の表紙が数冊置かれている。

 いくつか見ていくと、その中に恐らくルージが言っていた本を発見した。

 

「わぁっ!きれい」

 

 床にぺたりと座って重たい本を開いてみる。羊皮紙の匂いとインクの匂いがして、私は期待に胸を膨らませた。

 

 しかし実際に目を通してみると、この本はとても難しいことがわかった。簡単な単語はひとつふたつわかるのだが、古風な表現や知らない単語が多すぎるのだ。

 一ページ粘ってみたが、ほとんど読めなかった。

 

「やっぱり、わたしにははやいっておとうさまはおもったのね」

 

 だから渡してくれなかったのだ、としゅんとしつつも納得して本を棚に戻そうとすると、1枚の紙がするりと落ちる。

 

「きゃっ!やぶれちゃった?!」

 

 慌てて拾うと、それはピンとした1枚の書類だ。どうやら破れた本の一部ではない様子だったので安心した。

 しかしすぐにぎょっとすることになる。

 

「ここ、ありす……って、かいてある」

 

 その紙の一部分には、私が一番最初に覚えたつづりで「アリス・リヴェカ・オーキュラス」と書いてあった。

 

「どうしてわたしのなまえ?」

 

 気になって他の単語も拾い集めてみる。父の名前もあった。

 

「このすぺるはなんだっけ……ええと……」

 

 その書類には、次のような単語が何回か出てきた。

 

「これは……ひみつ……これはなんだっけ……あっ、やくそくする、だ。あとは……」

 

 私はその単語の羅列を見てひゅっと息を飲んだ。

 

 

「すてた……こども……?」

 

 

 頭の中で警鐘が鳴りだす。

 

 手足がドッと冷えて、紙を持つ手は震えすらせず、ぴしりと固まってしまった。

 

 この書類の意味を、これ以上推測するのは危険だ。

 

 単語を少しでも繋げたら、認めたくない現実が待っているのが本能的にわかった。

 

 しかし私は、中途半端に放り出すよりも読み間違えだったと安心したかった。そうして読み進めてしまった。

 

「ひみつ、やくそくする、アリス・リヴェカ・オーキュラス、すてた、こども、うる、ハイムニス、……ジークムント・シュテファン・オーキュラス、へ」

 

 私は書類を断片的に読み上げた。詳しいことは半分以上もわからないが、拾えた基礎的な単語はどのように組み合わせを変えても私を安心させてくれそうになかった。

 

 その紙を咄嗟に握りしめ、本を何度も取り落としつつ棚に戻すと、私は震える足で書斎を飛び出した。

 そして、この出来事のきっかけになったルージを真っ先に探した。

 

 昼間から夜へ切り替わる準備に忙しい屋敷の中で、ルージはすぐに見つかった。私の部屋の前に控えていたのだ。

  

「あっ!お嬢様。どうでしたか、本は見つかりましたか?」

 

 お屋敷に入り込む赤い西日が、ルージの赤い髪をより燃え上がるように照らしている。

 

「あ、ぁ……、るー、じ……」

 

 それと対照的な真っ青の顔で震える私を見たルージは、 一瞬ピタリと動きを止めて、すぐに素早い動きで私を部屋の中に入れた。

 

「まぁ、まぁ、どうされたんですか、そんな真っ青なお顔で……お可哀想に」

 

 ……大人の記憶を持つ今になって思えば、お屋敷の一人娘が尋常でない様子でいるのに、誰も人を呼ばず部屋に連れ込んだ時点でおかしかったのだ。

 

「るーじ……へんなもの、みつけたの」

 

「あら、どんなものですか?」

 

 ルージはいつものように、静かな微笑みを浮かべた。

 

「これ……」

 

 大人の人なら、ルージならちゃんと読めるはずだ。私はおかしい現実を否定してほしかった。

 

 ブルブルと震える手に握りこんだ紙を渡そうとしたが、指先の動きがパニックで麻痺しており上手く開かない。

 

 その手を取って、ルージが指を一本一本開いていく。

 

「あら、これは旦那様のお仕事の書類ではありませんか?怒られてしまいますよ?重要な書類だったら大変だわ」

 

あらあら、という顔をしたルージは丸まった羊皮紙を開き、内容を読み上げだした。

 

 

「孤児売買契約書。当書類の内容について双方ともに守秘義務厳守とする。ハイムニス離宮孤児院院長インフィドスは、当孤児院預かりの女児一名をジークムント・シュテファン・オーキュラス侯爵へ金貨100枚で売却する」

 

 ルージは穏やかに微笑んだまま、それを読み上げた。

 そしてすっと顔を上げて、私を見つめる。

 

 ルージと目が合うと、体が一瞬で固く硬直した。

 

 そして次の瞬間、卒倒しそうになるほどの強烈な悪寒が体の内側を這い始めたのを感じた。

 

 

 おかしい。おかしい。おかしい!

 

「…………お嬢様?何も、なんにも変なことは書かれておりませんよ?」

 

 今まで見せてこなかった、笑うルージの瞳が初めて開かれていた。

 

 それを初めて直視する。


 

 

 そこには、狂気が浮かんでいた。


 

 

 傷つけること、脅かすことが楽しくて仕方ないとそう書いてあった。そしてそれと同じだけの何らかの憎しみが浮かんでいた。

 

「ひっ……!」

 

 頭の中の警鐘は、今や鼓膜を突き破って現実になってしまうのではないかというほど鳴り響いている。

 視界に入ってくる現実も上手く認識できない。得体の知れない冷たく黒いモヤが体をずるずると這い上がってくる様な気がする。

 

 書類の内容よりも、今危険を感じるのは目の前のルージだった。

 

「ぁ……あ……?」

 

逃げようとした私は足をろくに動かせず尻餅をついた。そこにルージが膝をついてより顔を近づけてくる。

 

「流石は旦那様と奥様のお子様です。愚鈍で、愚図で、何にもお知りでないのですね?」

 

「っ、!っ!!」

 

 ルージの言葉を遮ろうと大声を出そうとするが、喉がひきつって声が出ない。手をバタバタと動かしてとにかく遠ざけようとしたが、片手で手荒く両腕をまとめて押さえつけられ、腕に跡がつきそうなほどギリギリと締め付けられる。

  

「さぁ、アリス様、お勉強しましょう?この単語が孤児院、ですよ。これが売却。売られてきた孤児というのはアリス様のことですねぇ」

 

 ルージは暗い目を見開き、私の目の前へ書類を見せつけてくる。

 興奮しているのかその目はギラギラと潤んでおり、こちらを舐めるように見つめてきた。

 

 今まで好きだと思っていた笑顔の下に、こんなおぞましい目が隠されていたなんて!

 いつも、いつも笑うときにはこんな風に内心嘲笑っていたのか?憎しみの籠った目を隠して表情を作っていたのか?

 

 暖かいと思っていた関係が、記憶が、音を立てて崩れていく。

 

「あっ、そうですわ!今夜は奥様にこれを読み聞かせして差し上げたらどうでしょう?こんな難しいものを読めたらきっと誉めてくださいますよ!」

 

 ルージはまるで昼間に見たような優しい微笑みを作って楽しげに言う。

 私はもはや悲鳴すらあげることも出来ずガタガタと震えた。

 

「奥様はなぁんにもお知りでないのです。自分の子供が生まれてすぐに死んだことも、あなたがその日の夜に近くの孤児院で拾って来た、髪の色が同じなだけのただのそっくりさんなことも。知らないなんてお可哀想でしょう?教えて差し上げたいと思いませんか?」

 

 ルージはうっとりとしたような声で続けた。

 

「私の愛しい旦那様と、あの女の間には子供などいないのです。愛の結晶などない!!……私の旦那様、嗚呼、私の旦那様はあのような女を今すぐに捨てるべき……私が幸せにして差し上げるべきなのです。ひ、うふふ、ふふ」

 

どこか虚空を見詰めて、私の愛しい旦那様、と呟いたルージは再びこちらをぐるんと向いた。

 

「お嬢様、貴族が、孤児や……いやしい平民をどう思うかご存じですか?」

 

 え、と乾いた声が出る。ルージは私を孤児だという。ならば私のことだ。

 

「普通の貴族は平民と直接声を交わすのも嫌がります。その上、身分すらあやふやな生まれのものなんて目にするのも嫌になるそうですよ……奥様は大層な博愛主義の方ですが、果たしてどうなんでしょうねぇ?」

 

 私はそれを聞いて、現実を受け入れられない頭がぼうっとしてくるのを感じた。手足の感覚はもうあまりなかった。

 

「愛している一人娘はとっくの昔に死んでいて、横で寝ていたのが薄汚い平民の他人だったと知ったら。旦那様に騙されていたと知ったら!……狂ってしまうかもしれませんねぇ?ねぇ、アリス様!やっぱり奥様には秘密にしないといけませんねぇ?!私もウッカリしないよう気を付けますねぇ……」

 

 ねっとりとした声で言いながら、ルージは押さえつけていた私の腕を解放した。そして小指を持ち上げて無理やり指切りの形にする。

 

「旦那様の優しさで作られたお人形さん。余計なことはお喋りしないようにしましょうね。アリス様は何も喋らない。奥様を一緒に守りましょうね?お約束できますか?」

 

 ……私は、はい、と震える口を動かした。

 

 お母様に真実を突きつけて絶望させること、嫌われる事や、用済みだとお父様に捨てられる事を一瞬でイメージして反射的に答えたのだ。

 

 しかしひきつる喉からもう声は出なくなっていた。

 

 そしてそこで私の意識は途切れた。

 

 最後に見えたルージは西日が逆光になってきており、もはやどんな顔をしているのか真っ黒で分からなかった。

 

  

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