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318 霧の晴れた先


 船を漕ぐ音と微かな水音を聞きながら目を覚ます。

 ひんやりとした霧が頬を撫でて、今度こそ夢の中ではなく、現実の世界に戻ってきたという感じがした。

 

「ん……」

 

 身動ぎする。

 何か温かいものを下敷きにしている……と思ったところで、ようやくパチリと目が開いた。

 

 ガバリと身を起こせば、私の下にはアベルさんがいた。

 船のふちに背中をあずけ、座るような姿勢で眠っている。

 

「抱えてくれてたんだ……」


 慌てて退こうとするが、クラリと目眩がして動きを止める。

 夢に次ぐ夢、そして多すぎる情報量に、まだ頭がついてこれていないようだ。

 無理もない。

 自分の過去だけでなく、アベルさんの過去と未来まで覗いたのだ。

 

 その記憶たちを鮮明に思い出し、なんとなく胸元を押さえる。

 アベルさんは確かに一度、押しつぶされてしまっていた。

 どれほど苦しかったことだろう。

 

「アベルさん」

 

 アベルさんの目元をやんわりと撫でる。

 叶うなら、悪夢の記憶を全て忘れて目覚めればいいのに。

 

 そう願って、祈るような気持ちで顔を寄せる。

 気づけば、自然と瞼に唇を落としていた。

 母親が悪夢を見た子供にするような、気持ちだけのおまじないだ。

 

「…………っていやいやいや」

 

 思わずセルフツッコミする。あまりにアベルさんが不憫で、自然としてしまったが……。

 いくら私のガワが幼女とはいえ、こんな美青年にちゅーするなど到底許されない。

 静かに自戒していると、銀の睫毛が震えるのが見えた。

 

「ん……」

「アベルさん?」


 呻いてから、アベルさんがうっすらと目を開く。

 かなりぼんやりしているようだ。

 

「アベルさん、大丈夫ですか?」

「……ああ」

 

 ゆっくりと船のふちから身を起こしたアベルさんは、頭が痛いのか額に手をやって目を瞑っている。

 それから軽くかぶりを振り、口を開いた。


「……ここは、現実……だろうか」

「現実ですよ」

 

 返事をすると、アベルさんはようやく意識がハッキリしてきたらしい。

 

 混乱している記憶を整理しているのか、アベルさんはしばらく黙って湖面を眺め……それから、ふいに私を見た。

 

「アリス」

「はい」

 

 返事をして言葉を待つと、アベルさんはもう一度ゆっくり瞬きをした。

  

「……ありがとう、迎えに来てくれて」

 

 ──しっかりとした口調だった。

 今まで見てきた中で、一番柔らかく、一番落ち着いている声音だと思った。

 例えるならば、地に足が着いたというか。

 

「……どういたしまして……?」

 

 お礼に応えるが、気になることがあってもぞもぞとしてしまう。

 するとアベルさんが小首を傾げた。

 

「なぜ……歯切れが悪いんだ? 助けてくれただろう」

「その、ええと。まぁそうなんですけど……無我夢中だったとはいえ、アベルさんの過去や心の中を勝手に覗いてしまいましたから」

 

 素直にお礼を受け取れないのは、そういう負い目があるからだ。

 あれほど隠したがっていた過去、そして恐ろしい未来を見られて、嫌じゃないはずがない。

 そう思うのだが、アベルさんは「そんなことか」と首を横に振った。

 

「構わない。それに君が来てくれなければ、恐らく私は戻って来られなかった」

「嫌じゃ、なかったですか?」


 恐る恐る聞くと、アベルさんから優しく髪をくしゃくしゃされた。

 それに驚いてぎゅっと目をつぶると、頭上から柔らかい声が聞こえてくる。

 

「君に怖がられるのなら嫌だった、という言い方になるな」

「……?」

「でもそうじゃないんだろう」

 

 それは勿論だ。

 怖いことは沢山あったし、あんな未来は阻止しなければとは思うが、アベルさん自身を怖いとは思わない。

 怖い、逃げたいと思うのならあんな「約束」はしない。

 

 そう思ってから、はたと凄い約束をしてしまったなと思い至った。

 

 これまでも、私とアベルさんは仲良くしてきたとは思う。

 しかし関係に名前をつけるとしたら、「共同研究者」であり、かつ「お互いがこの世の脅威になると判断したら抹殺する」ことを約束した、盟友というか……常に何らかの使命や利害が絡む関係だった。

 

 だけど、今日、夢の中で交わした約束は全然毛色が違う。

 

 名前をつけるとしたら、「アベルさん完全見守り宣言」とでも言おうか。

 彼がまっとうな生き方をしたと、最後の時に太鼓判を捺す係を名乗り出て、それに彼が頷いたのだから……それはつまり、できる限り人生を共に過ごす約束をしたということになる。

 考えてみると物凄く重いというか、とんでもないっていうか、ヴィル兄様やお父様が聞いたら卒倒しそうっていうか。

 

 具体的に言うと、ほぼ逆プロポーズっていうか……。

 

 そこまで考えが至って、なんとも言いがたい羞恥心がわいてきた。

 凄いこと言うなコイツ……って引かれてないだろうか。

 いや。すでに夢の中で「君はそういうとんでもないことを言う子だったな」みたいなことを言われていたような。

 でもでも、アベルさんの不安を少しでも和らげる方法はそれしか思いつかなくて。いやまぁ見守ったから何って話かもしれないが。いやいやいやでも私が正してみせますとか逆立ちしても言えないし出来ないし……。

 

 うーんうーんと知恵熱を出しそうな勢いでグルグルしていると、アベルさんが小さく吹き出した。

 

「何を考えているのかは大体分かる……が、できればしばらくその調子で悩んでいてくれないか」

「えっ、なんでですか?」

「顔が面白い」

「ひどい!?」

 

 くすくす笑いながら、クシャクシャにした髪を手ぐしで直される。

 何だかなぁと思うが、そうして笑っていると、不思議とアベルさんが普通の青年に見えた。

 秘密が無くなったからかもしれないが、私の中でアベルさんという存在がよりリアルになったのかもしれない。

 

 うーむとなされるがままになっていると、アベルさんは気が済んだのか手を離し、座り直した。

 そして軽く息を吐く。

 

「……実は、まだ心の中が滅茶苦茶なんだ」

 

 そう言う声は、少し小さかった。

 

「何も整理出来ていない。この苦しい感情をどうすればいいのか、失望や怒りをどこにぶつければいいのか、どう贖罪すればいいのか……なにもかも、皆目見当がつかない」

「アベルさん……」

 

 それは当然だ。むしろ、今が落ち着きすぎているという気もする。

 私が同じ立場なら、あれだけの惨い情報がまとめて来たらもっと取り乱していると思う。

 しかしアベルさんは穏やかに続けた。

 

「だが君といると、全てが整理されていく気がするんだ」

「私と、ですか?」

「ああ。次々にやるべき事が出来るから悩む暇がない。それなのに、いつの間にか悩みが勝手に解決していたりする」

「……??」

 

 そうなんですか、と相槌を打つが、よく分からない。

 そういえば夢の中でも「君は危なっかしいから見とかないと」みたいなことを言っていたし、前にも「君の面倒を見るのに忙しくて他に手が回らない」みたいなことは言われたことがある。

 そう考えていると、アベルさんが私の疑問の表情を見て言った。

 

「そうだな……。例えば私は幼い頃、アルヘオ文字の研究をしたせいで“泣く女”を呼び寄せ、災いを発生させたと思っていた。今では研究したこと自体は関係ないと分かっているが、それでも塔に閉じ込められている間、ひとりで研究することはしなかった」

 

 “災い”というのはおそらく皇室に目をつけられるという意味だし、泣く女を無視していれば一応問題は無いから、確かにしようと思えば研究はできただろう。

 

「本当はイレに復讐するためにも、文字やタロットや“泣く女”がなんなのかも、研究して知るべきだとずっと思っていた。それなのに、過去の失敗を理由にして動けなかった……。だが君を見ていると、悩むのが馬鹿らしくなった」

「それは……、ありがとうございます……?」

「恐ろしい兵器を楽しそうに研究するわ、自分が信頼した人間にはほいほいと全部教えるわで見ていられなかったが……その結果として自分のやりたいことを全て成して周囲も守っているのだから、どんなこともやりようだと思わされた」

 

 褒められているのか微妙だが、要するに、好き勝手しまくっている私に巻き込まれるうちにやりたいことをやれるようになった……という事だろうか?

 なおもアベルさんは続ける。

 

「孤独を嫌だと思ったことは無かったが、それも今思えば感情が麻痺していただけだ。だが、もうそのことに気づいた時には悩む必要自体が無くなっていた」

 

 アベルさんが指折り数える。

 私の名前を挙げた後、夜明け団の人々の名前をいくつも出して。

 それからふと小さく笑った。

 

「これだけ手助けしたい人がいるのなら、孤独に苦しむ暇などないだろう?」


 そう言う顔はやっぱり、今までに見たことないような……少しだけ大人びた、普通の青年の顔だ。

 誰にも言えない秘密を抱えて硬い表情をしていた彼と明らかに違くて、なんだか私は不思議な心地がした。

 

「なんだか、ちょっとだけ吹っ切れていませんか、アベルさん?」

「そうかもな」

 

 そう言ってアベルさんは洞窟の高い天井を見上げた。

 

「自分の罪がどのようなもので、どの程度のものなのか、それすら判然としない。それでも忘れることはないだろう……が、だからと生きたまま死んだように過ごしても何も変わらない」

 

 その横顔は考え込むと言うよりは、来るべき戦いや未来を待ち受ける毅然としたものに見える。

 もしかすると、重大情報が多すぎて一周まわってしまったのかもしれない。

 

 アベルさんがふとこちらを見る。

 その瞳は優しい色をしていて、私はなぜだかドキリとした。

 

「君が見ていてくれると言うのなら、無様な格好を晒す訳にはいかない」

 

 ……乙女ゲーの攻略対象、恐るべし。

 なぜだかそんなセリフが脳裏を過った。

 

「過去を変えられないというのなら、今できることをするだけだ。君もそう言っていたしな」

「今できること?」

「例えば……岸に着いたらどうするか、とか」

 

 アベルさんの言葉でハッとする。

 見れば、濃い霧の先に、地底湖の終わりが見えてきていた。

当社比:乙女ゲー要素。

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