245 手合せ
石造りの部屋の中に、堅い木のぶつかり合う音が響いた。
「てやっ! たぁ!」
「とりゃぁ!!」
木の堅い音に対し、丸くて可愛らしい気合いの声も響く。
……ぽかぽかとした初夏の陽気が窓から差し込む中、私は廃塔の空き部屋にて手合わせを見学していた。
目の前でカンカンと木の棒をぶつけ合い切磋琢磨しているのは、イヴァン様とフレッジ様だ。
「ははぁ~……」
そんな二人を見ている私の口から漏れるのは、感動とも呆れともつかない溜息である。
なにしろ早い。
早すぎて、そして動きがトリッキーすぎて、殆ど二人の残像みたいなものしか目で捉えられていないのだ。
壁を蹴ったり宙返りしたり、床を這うように低姿勢で猛ダッシュしたりもするものだから、たまに見失うし。
「獣人の方々って、前からここまで素早かったですっけ……?」
思わず問うと、私と二人で手合わせを見ていたローリエ様が冷静にゆっくりと首を振った。
「いえ。ですが、アリス様の率いる団の一員ですから当然かと思います」
「なるほど、私の率いる団の一員なら納得……いやいやいや私は絶対関係ないと思いますよ!?」
突然の崇拝めいた発言に思わずノリツッコミを返していると、目の前の二人が同時に棒をガランと投げ捨てて立ち止まり、睨み合った。やっとまともに二人の姿が見える。
「火よ!」
イヴァン様がそう短く叫んだ瞬間、ぼぼんと音を立てて鬼火のような火の玉が複数空中に現れた。
火の玉は大きさにすればピンポン球ほどの小さく淡いものだが、数が多い。五、六個ほどのそれに囲まれたフレッジ様は焦った顔をした。……というより怒っている?
しかしトンと地を蹴ったかと思えば軽やかにバク宙し、あっさりと火球の包囲から脱した。
そしてぶち切れマークを浮かべ、イヴァン様をびしっと指さした。
「この前それで僕の尻尾を焦がしたのをもう忘れたのか、イヴァン!?」
「忘れてない! その節はごめん!!」
「忘れてないなら使うなぁ-!!」
そんな応酬に思わず笑ってしまう。ローリエ様もちょっとだけ微笑んだ。
「尻尾の先に火がついて、大騒ぎでしたね」
「そうですねぇ……。即、水の魔術で消火しましたけど。その後のメンタルケアの方が大変でしたね」
どうも獣人にとって、耳としっぽの毛並みはステータスというか……魅力に直結するものらしい。
そんなしっぽの先端が毛先だけとはいえチリチリになったために、フレッジ様はこの世の終わりのような顔をしたのだ。
「えーとえーと、ちょっと焦げてるのもワイルドで素敵です!」という無茶な励ましが何故かヒットしたおかげで「え、僕がワイルド? ホントですか? えへへワイルドかぁ……」と立ち直ってくれたから良かったが。 どうやら獣人にワイルドはめちゃめちゃ効く褒め言葉、らしい。いやフレッジ様限定か?
そんなことを思い出しているうちにも手合わせは進む。
怒りを思い出したフレッジ様は何か大技を繰り出そうとしているようで、ぶつぶつと詠唱しながらイヴァン様を目で捉えた。
どういうわけか夜明け団の団員の獣人だけが使えるようになった「身体強化」で右手の爪をギシリと僅かに伸ばし、次いで狙いを定めるようにイヴァン様を指さした。
これはケモっ子が最近習得したもので、アサメイとの相性が悪いためか編み出した技だ。
普通ならアサメイを使って精神集中したり魔力を籠めて練ったりするのだが、ケモっ子は強化した指先だけでそれをやれてしまうのである。
それを見たイヴァン様が大技を阻止しようとダッと駆けだし、フレッジ様に迫った。
しかし、一歩間に合わず。
「行け、豪雨の如く打ち付けよ!」
フレッジ様がそう叫んだ瞬間、イヴァン様の頭上に巨大な水の塊が発生した。
それが重力に従ってどっぱんと音を立てて落ちる。
「ふにゃっがばごぼ!?」
どざざざーと流れきった水の後には、びしょ濡れになってへたり込んだイヴァン様がピヨピヨと目を回していた。
「やった!僕の勝ち!」
ガッツポーズをするフレッジ様。「おめでとうございます」とローリエ様と共にぱちぱちと拍手をしながら称えると、えへへとはにかんだ。
しかしすぐにイヴァン様を助け起こしに行く。流石親友である。
そんな光景を見ながら、私は「よいしょ」と年寄り臭い声を出しつつ立ち上がった。
こうした子供達の手合わせや訓練が終わった後に待っているのは、埃だらけ・泥だらけ・もしくはびしょ濡れになった彼らをキレイキレイするお仕事なのである。
「終わったか」
そんな低い声が聞こえて振り返ると、廊下から鍋のような道具とタオルを抱えたアベルさんが現れた。
先ほどの水の音を聞きつけて来てくれたらしい。
……いやはや、驚くなかれ。
なんとアベルさん、こうして訓練が終わった後の「ちびっ子達をキレイにするお仕事」に協力してくれているのだ。
最初は徹底して無関心そうだったのだが、びしょ濡れになったり埃まみれになったり、土の魔術を使った後に泥まみれになったりしている子供達を見て我慢できなくなったらしい。
もちろん私やヴィル兄様も訓練後のサポートはしていたが、魔術のみでドライヤーのように人を安全に乾かしたり、お風呂のように適温なお湯を安定供給するのは誰にでも出来ることではないため、基本的に酷く汚れた日は寮にこっそり戻って身ぎれいにしていたのだ。
しかしアベルさん的には、廃塔にも道具があるのに汚れたまま帰すのが忍びなかったらしい。
ある日突然最上階の私室から降りてきて、「使うといい」と身支度に使う大きな魔道具を貸してくれるようになったのである。
それだけならまだありそうな事だが、それでは終わらない。
その時に丁度手合わせしていたヨハンとニコラスの水魔法が暴発してアベルさんまでずぶ濡れになった結果……。(その瞬間のアベルさんは無表情というより真顔だった)
「仕方ない、まとめてやるか」とぼそりと呟き、てきぱきと魔道具をセッティングしてお湯を沸かし、あれよあれよという間にちびっ子達をわしゃわしゃ温タオルで拭きまくって、さっぱり綺麗にしてあげたのだ。
まぁ、そうすればもう、懐かれないはずがない。
それを見ていた他の子も「まじめで厳しそうだと思ってたけどイイ人だ……!!」「優しい大人の人だ……!!」とキラキラした瞳をしながらワラワラ集まってきて、懐かれ構われ、話しかけられ、当然のようにほだされ、今に至る訳なのである。
そんな微笑ましすぎる近況を思い出していると、アベルさんは魔女の大鍋のような魔道具をごとりと床に置いた。
そして水の魔術で鍋にざっと水を溜め、動力部に慎重に魔力を籠め始めた。
その間に私とローリエ様がイヴァン様とフレッジ様が脱いだ訓練用のシャツを受け取り、私が二人に傷などがないか軽くチェックする。
今回に関しては……フレッジ様はぴんぴんしているが、ずぶ濡れになったイヴァン様はへくちと可愛いくしゃみをした。まぁとにかく、大きな傷はない。
「来なさい」
アベルさんがそう声をかけてきた。お湯が沸いたようである。
タオルを湯に浸してしぼり、あつあつの温タオルにしてから二人を拭っていく。
今回は水の魔術と火の魔術だけだったので大した汚れはないが、これが土とか草だったり、床を転げ回った後だったりするともう大変だ。
しかも最初のころは遠慮するやら赤くなるやらで男子達を綺麗にするのは大変だったのだが、最近ではようやく慣れてきたらしく、嬉しそうにわしゃわしゃされている。
今日は私がイヴァン様を、そしてアベルさんがフレッジ様をやることにした。
初夏の気温とは言え魔術の冷水をかぶったイヴァン様は震えていたのだが、温タオルでもちもちのほっぺをぎゅ~っと挟んであげると、しっぽをぶわりと膨らませつつ喜びの声を上げた。
「ん~~!あったかいです」
「ふふ。風邪を引かないよう、気をつけてくださいね」
「はい、気をつけます!」
そんな私とイヴァン様の横では、アベルさんとフレッジ様も会話している。
「アベル様、ありがとうございます」
「ああ。今回は勝ったのか」
「はい!」
そうか、良かったな。と呟いたアベルさんを見るフレッジ様の目は、完全に懐いた学校の先生を見るそれだった。
う~ん、初めの頃では考えられなかった光景だ。ほっこりする。
……なお、アベルさんが貴族かどうかを彼らは知らない。
というか私も厳密には知らないのだが、どう見ても貴族どころか王族レベルの風格があるアベルさんに対しては、皆、自然と目上の人に接するようにして喋っていた。
「アリス様、床の処理も終わりました」
「ありがとうございます、ローリエ様」
私達から離れていたローリエ様は水びだしになった床を熱めの温風で一気に乾かしてくれた。これは風のアルへオ文字を刻んだ魔石を使ってのことなので、この廃塔の中だけでやれる技だ。
ちなみにローリエ様が私達から若干離れているのは、男子二人の上半身裸を直視するのが恥ずかしいからという可愛らしい理由である。
無表情で頬を染めて照れるローリエ様は、まじめにめちゃくちゃかわいい。
……おっと脱線した。
「よし、こんなもんでしょうか」
「ありがとうございます!」
元気にお礼の言葉をハモらせた二人に着替えのシャツを渡せば、本日のキレイキレイは終了だ。
そうして一段落し、ローリエ様と寮へ帰る途中。
少し物憂げな顔をしたローリエ様がぽつりと呟いた。
「レティシア様……。今日も、来ませんでしたね」
それを聞いて私も俯いた。
そう、ローリエ様いるところにレティシア様ありというくらい二人は一緒にいることが多いのに、今日もレティシア様は廃塔に来なかったのである。
「心配ですよね。どうしたらいいか……」
そう返しつつ考える。
大波乱だった初春の天体観測が終わった後、新学期になって、授業の時間割が変わった。
オルテンシア様の大奮闘により、五大教科と選択教科の時間が午前と午後で入れ替わったのだ。
前までは午前に五大教科、午後に選択授業だったために、私達は午前に空き時間・午後に授業、放課後にまた空き時間という落ち着きのないスケジュールだった。
しかし天体観測の後に発表されたのは、午前に選択授業、午後に五大教科という時間割だったのだ。
つまり免除試験を突破した者は、午後にまるまる研究の時間を得ることになる。
そうなれば、集中しての研究や、次の年度の免除試験の勉強や、許可を得ての外出もしやすい。
いずれにせよ効率が段違いなので、免除試験を突破したものとそうでないものの差は更に開いていくだろう。
……そういう感じなので、本来なら今の午後の時間はフリーなことが多い。
そうなれば黄金の夜明け団の団員は自習室に集まるか、廃塔組ならば廃塔に来ることが多くなる。
しかし、授業が終わるやいなやレティシア様は「今日はお部屋に帰りますねぇ。また明日!」と言ってどこか無理に笑ったり、あるいは私達と別行動して自習室に行き猛勉強したりと、別行動がちらほら見られるようになってきたのだ。
――どう考えてもおかしい。何かある。
そう思いつつも、今はまだ決定的な理由を掴めないでいた。




