206 改善
若干の沈黙が流れる。
これは想定していなかった。魔獣というのは決して人間に媚びない不思議生命体、基本的に相容れない人類の敵だと聞かされていたからだ。ところがこれである。
まぁ、例えば、場合によってはカード一枚で竜を支配……そんなことがサックリと簡単に出来てしまうとか恐ろしすぎるために、無意識に可能性を排除していた可能性もあるが。
ふむ、と考え込んでいたアベルさんが青い顔で口を開く。
「いままでの実験だと、一度タロットの支配を受けた生き物は効果が消えた後も使用者に従順になる傾向があったが……。完全版のタロットを使われたあのオルコットは、どうだろうな」
一度完全に御された動物は、タロットの使用者に対して懐いたり、服従する傾向があった。
それ自体は不思議なことではない。普通の動物の躾でも、飼い主がリーダーとして振る舞うことで相手を従順にさせるというのは、普通に見られる光景だ。
力のタロットの使用でも同じ事が起きていると考えて良いだろう。
そしてこれまでの実験結果だと、力の大きい生き物ほどタロットの正確さか消費魔力が多く必要で、逆に弱い生き物はざっと書いた線のみのタロットでも術にかかっていた。
つまり、あのあんまり強くなさそうなオルコットという魔物は、その身に対して十分すぎるタロット魔術を受けた後と言うことになる。
……では、どうなるか?
これは確認せねばなるまい。
恐る恐る、オルコットに向けて口笛を吹いてみる。
呼ぶようにしてぴぴぴ、ぴーゆ、と音を出しながら見つめてみると、自分への合図だと気づいたオルコットがふわりと飛び立ち……差し出した私の腕に止まった。
おっかなびっくり、頭を指で撫でてみると、クルクルと喉を鳴らして擦り寄ってくる。
「な、懐いています……」
「懐いているな……」
絶句だ。タロットが人知を越えたやばいものであるというのは重々承知であるが、世界の法則をあっさり無視しすぎである。
これはなんだろう。単純に懐いたと言うより、対等かそれ以上だと認められたということだろうか。
度し難い現実に眉間のしわを揉んで唸るアベルさんを横目に見つつ、衝撃の事態にしばらく呆然とする。
……しかしこれ、私の願望にジャストなんじゃないか?
「アベルさん」
「駄目だ」
「アベルさぁん」
「……駄目だ、危険すぎる」
もはや呼びかけだけで私が言わんとしていることを察したらしい。自分でも、輝きだしたであろう自分の目が自覚できる。
「飼いたいとか言い出すんだろう」
「流石アベル様、分かっていらっしゃるじゃないですか」
「……」
そう、これを上手く使えば、将来的には夢のサーベルタイガー的生き物・カロちゃんの飼育も夢ではないのではなかろうか!?
いよいよ頭痛がしてきたという顔をされているが、アベルさんは意外と押しに弱い。これはなんとしても押し通さねば。
「ほら、どんな魔獣に効くのかとか、効果がいつまで続くのかとか、なんで服従するのかとか、人間全般に対して無害化するのかとか、長期的に様子を見て実験しなければいけないじゃないですか!」
「それはもっともだが、実のところ飼いたいだけだろう。君が生き物好きなのは話を聞いていれば分かる」
「いえいえいえ、タロットを完全理解するためには必要なプロセスですよ? 決して私利私欲のためじゃないですよ?? 効果が分かっても使い方を知らなければ意味が無いじゃないですかぁ~!」
お。「若干むかつくが確かになぁ」という顔をしている。これはあと一押しだ。
「しかし、どこで飼うつもりだ。まさか学園か?無許可で飼ってバレれば停学や退学の可能性もある」
嫌な予感がしたらしい。その問いに至るのはもっともだが……それはもちろん。
「ここですよ?」
「……」
あ、眉間のしわが増えた。
「だって、生徒が怖がって近寄ってこなくて、敷地内の森にも近くて、周りから見えない屋上もあって、研究室は隠し部屋になってて、下の階にはまったく使ってない部屋がいくつもあって……条件完璧じゃないですか」
「……まさか私に世話をしろとは」
「いえいえ、お手を煩わせたりはしませんよ。ただ一切無しとなると、私やうちの側近がちょっとばかり頻繁に研究室に来るようになるかもですが」
嫌そうな顔してる。まぁ、そうなればいい加減顔合わせくらいはしなければならなくなるもんね。
今も廃塔研究室……その幻覚の壁の前では、ヴィル兄様がそわそわしながら待機している訳だが、それもそろそろ心配の限界っぽいし。
まぁまぁ、リハビリだと思って欲しい。
……あ、もう好きにしてくれって感じの顔になった。諦めるのが早いぞ青年。
ついでに思いついた提案もしてみる。
「もし実験にご協力くださるのであれば、魔道具も試作していただけませんか? アベルさんの“隠匿のモノクル”の改良版を作ってみるのにも、良い機会じゃないかなと思いまして」
「改良?」
アベルさんが普段使っているモノクルは魔道具で、使用者を意識して見ない限り他人から認識されないという珍しい魔道具だ。もちろん、当然のようにアルへオ文字が刻まれている。
何故か私には通用しなかったのだが、通常はパーティー会場に紛れ込んでいてもバレない位の効果がある。
しかしこうして鍛錬の時には外してしまう様子を見ると、あまり普段使いに適していない。なにしろモノクルである。
どうせなら腕輪とかネックレスとか、安定して身につけられるアクセサリーの方が楽なんじゃないかなとは前から思っていたのだ。
「できる限りバレないように、アベル様さえ良ければ、魔獣達にも隠匿の道具を作って欲しいんですけれど……せっかくですし、アベル様ご自身も違う形のものを作って予備で持っておくのもいいんじゃないかなと思いまして」
一理あるなって顔してる。ふふふ、ではトドメだ。
「魔道具作りの材料は……もちろん、全て提供しますよ?」
「…………」
よし、ものすごく不本意そうだけど通った。アベルさんは道具や資材の調達手段があまり無いから、これは美味しい条件だろう。
なにより、生活改善の欲求が出てきたのが良いことだ。
勿論、本気で嫌がるようならこんなにいろいろ無理を言ったりはしない。
しかし最近そこの線引きというか、ニュアンスは感じ取れるようになってきたので、多分大丈夫だろう。
「ふふふ、魔獣隠し用はやっぱり首輪でしょうか? 鈴なんかつけたら可愛いかもですね」
「やっぱり飼いたいだけだろう……」
そんな呆れの混じった声を受けつつ、私はるんるんで帰る用意をするのだった。