194 老紳士
こんこん、と算術学準備室のドアをノックする。
それに応えて中から聞こえてきた返事の声は、渋く落ち着いた男性のものだった。
「おや……? どうぞ、中へ」
そんな穏やかな声に導かれるままにドアを開けると、そこには荷解きの手を一旦止めてこちらを振り向く老紳士がいた。
……訂正しよう。
非常に気品があり、高身長、お洒落、かつ眼鏡の、いわゆるロマンスグレーの老紳士が柔和な微笑みを浮かべてそこにいたのである。
ふお。
ふおおおお……!!??
感嘆の叫びが脳内に迸る。一瞬にして萌えの感情が爆発した。
やばい。好みだ。
私の老紳士萌え属性が連続正拳突きを食らっている。ブートキャンプで培った貴族の微笑み装甲が一瞬で剥がれそうになった。
一瞬にして脳内暴走を始めてフリーズした私の気配を察知し、同時に部屋に入ったイヴァン様とフレッジ様が慌ててフォロー体制に入った。
最近は側近だけでなく、夜明け団で親しくしている子には私の興奮しやすいポンコツな本性がモロリしがちのため、こんなこともある。
「と、突然来てしまってすみません。新任の先生がいらっしゃったと聞いて、ご挨拶したいと思って! ね、イヴァン」
「ああ。ね、そうですよね、アリス様?」
「ハッ……!? そ、そうです。はじめまして、先生」
フレッジ様に続いてイヴァン様が場を繋いでくれたおかげで、なんとかフリーズ解除してぺこりと挨拶できた。
そんな私達を見て一瞬きょとんとした老紳士は、次いでふわりと微笑み、目じりの皺を深くした。
「嬉しいですねぇ。着任してすぐに、こんなに可愛らしい子達に歓迎をして貰えるとは……。私はガルシア。ガルシア・フェリス・カルロウと申します」
「ガルシア先生……」
どうしよう名前までかっこいい。
ガルシア先生、とうっとり繰り返して、恐らく桃色に染っている自分の両頬を押さえる。
すると、後ろに控えていたヴィル兄様が「まさか……」と愕然とした声を漏らした。
ん? と思い振り返るも、兄様は慌てて小さく首を振り普通の顔をした。
それを訝しみつつ、ひとまず全員名乗って挨拶を済ませる。
「いらっしゃったばかりなのですか?」
少々散らかった室内を見回してそう言う。まだまだ荷解きを始めたばかりと言う印象で、問われたガルシア先生はそうなんですよと苦笑した。……あかん、老紳士の苦笑おいしいです。
そんな煩悩を隠しつつ、よろしければ掃除や家具の移動など手伝いましょうか? と申し出ると、ガルシア先生はぱちぱちと瞬きした後に少し意外そうな顔をした。
それを受けて思い出すが、そう言えば私は侯爵家令嬢である。しかも先生の爵位を聞いていない。
それで引越しの手伝いを申し出る令嬢というのは確かに珍しいかもしれない。
……まぁでも、いいよね。相手は先生という目上の立場の人だしやや高齢の人だ。挨拶だけして見て見ぬふりというのもおかしな話である。
側近の皆とダブルリーダーにも目線を送り、了承の意を受けて改めてお手伝いを申し出ると、先生は破顔して受け入れてくれた。