13 紅葉と探検
季節は秋真っ只中。
紅葉した木々が町を飾り、皇都の中心近くにあるここオーキュラス邸の庭の一画も、黄色や橙色、赤色に彩られている。
しかしそんな外の彩りを無視して、私はまた豪奢な全身鏡に向かい合っていた。
「いやー、……ほんと怖いくらい美少女だな」
そう、転生した後の自分の姿を吟味していたのだ。
転生してすぐは、家庭が修羅場過ぎて自分のことを考える暇がなかったからね。
秋のはじめの頃に起こったルージ粛清事件を終えて、両親の夫婦仲は元通りになった。
ちなみに元通りというのは、いちゃラブ激甘である。二人が隣り合って立ってるだけでも砂糖を吐きそうな程の。
二年間離れていた心の距離を埋めたいと常に一緒にいるようだ。うん、よかったよかった。
こうしてまったりとした日常が戻ってくると、今度気になるのは当然自分のことだ。
なにしろ疲れきっていた二十九歳のアラサーが瑞々しい美少女に転生だ。これだけ日が経てば夢ということもあるまい。吟味したくもなる。
「表現するとしたら、無表情な氷の令嬢?……自分で言うとウケるな」
こうして落ち着いてから改めて見てみると、私は表情筋が無表情で固定されていた。
意識して持ち上げないと、表情が仕事をしてくれないのである。
そこに加えて白銀の髪に、純金色の瞳。基本的に寒色というか、貴金属めいた色。
おまけに肌は真っ白。唯一、頬と唇が薔薇色ではあるが、これは生きていれば当然の色であるし。
「んー、……取っつきにくそう」
個人的な感想としては、そんな感じなのである。
ついでに言うと、寝込みがちだった体は華奢で、細くて力が入らない。長時間歩くのも今は難しいと感じる。
ま、中身が社会の波に揉まれた社畜だ。
酸いも甘いもそれなりに経験して胆力もある。どちらかというと笑いの沸点も低い。そのうち表情筋も仕事をしてくれることだろう。
一応、顔の筋肉を鍛えるためにあいうえお変顔体操を毎朝の日課にすると決めた。
「あと、意外と精神的ダメージ少ないんだよなぁ。私って薄情なのかな……」
最も自覚しやすい外見の検分が終われば、次は内面だ。
私は日本で、普通の両親に普通に育てられて育った。友達もいたし恋をしたこともある。慕う先輩もいたし可愛がってた後輩もいた。
なのに、もう二度と会えないだろう状況にいながら、取り乱していないのだ。
否、何も感じないに近い。
これは、変だ。
過去の自分と周囲の人々の、顔と名前が思い出せないだけと思っていたが、それ以外の何かもシャットアウトされているように感じる……ような気がする。
だって、家族も友達も大好きで、大好きで。過労死しそうなほど忙しくても、彼らが健やかに生きててくれれば幸せだなぁなんて思う人間だったのだ。
なのに今は、それらの記憶がまるで分厚いガラスの向こうのような……熟睡して起きた後の昨日の事のような、曖昧な感じなのだ。
「……とりあえず動こう!」
私は切り替えて宣言した。
考えてもわからない問題に、うずくまって悩んでも状況は変わらない。
正直言って、自分の見た目や内面以外にもめちゃくちゃ気になってることはある。
でもそれは、確認しようのないことだ。確認したからって何が出来ることでもない。
それなら、今の状況を改善しなければ。そうして出来ることや、解決の糸口を増やした方がきっといい。
第一の問題として、ルージ事件から少し経つが、基本的にお屋敷から出ていない私にはとにかく体力がない。
一日起きているだけでも体が疲れてしまうし、あのお墓参りの後は一日寝込んだほどだ。
でも外出に備えて、体力はつけておきたい。とにかく歩かねば。
ドアノブを握って重たいドアをんしょんしょと押していると、外に控えていたメイドのコニーが開けてくれた。
「まぁお嬢様、お出かけですか?コニーもお供させてくださいな」
そう言ってにこにこと同行を申し出るコニー。
ちなみにこのコニーちゃんは、私が目覚めた時に真っ先にお父様の所へ飛んで行ってくれた善良なメイドだ。
私の様子を口止めされたのだが、それを律儀に守ってくれた。そのお陰でルージに怪しまれず、夜に捕縛に至れたのだ。
くすんだ金の巻き髪にブラウンの瞳という、この国では標準的な色をしている。そばかすが可愛らしいふにゃっとした雰囲気の女の子だ。
ふんわりまったり牧歌的なコニーは私の癒しである。
「うん。どこがいいかしら?」
「うーん、そうですねぇ。サンルームで日向ぼっこはいかがですか?」
「日向ぼっこ」
魅力的な提案だが、たぶん体力のない私に気を使ってくれているのだろう。それでは体力はつきそうにない。
「もっとこう、体を動かせるような……」
「ううーん?」
コニーと一緒に頭を捻るが思い付かない。
「じゃあお嬢様、なにか面白いものがないかお屋敷の中を見て回ってみましょう!」
コニーがふにゃっと笑って提案する。
「そうするわ!じゃあ、コニー」
ん、と片手を差し出すと、コニーはにこにこと嬉しそうに手を握ってくれた。
「よし、れっつごー!」
「れっつごー!ですね!」
◇
オーキュラス邸探検隊を結成した私たちは、ひとまず適当な部屋を覗いて回っている。
私室が3階(私室棟は3階が最上階である)なので、そこから順繰りに階を降りていく。
アリス3歳時代は何を壊すかわからないので、ヨーロッパ風の文化らしく決まった場所以外に一人で入ってはいけなかった。
なので、それほど屋敷の中を知っているわけではない。ルージ事件以降はほぼ引きこもりだったので言わずもがなだ。
なにより現代日本人として、物珍しいものがなくても純粋に西洋風の貴族の屋敷というのは面白く感じた。
細かい部屋割りはわからないが、ぼんやりと覚えているお屋敷の構造はこうだ。
・私室区画棟(私室やリビング、茶会用部屋などプライベートな用途の区画)
・公的区画棟(ミニ礼拝堂、執務室や書庫、食堂、使用人部屋など)
・私室区画と公的区画の間にある中庭
・裏庭(イギリス風ガーデンの中に温室、ハーブ園。離れた場所に厩、物置など)
・正門前の小広場
大きな規模に感じるが、領地の城ではなく皇都の上屋敷なのでひとつひとつがコンパクトで小さめだ。とは言え現代人の感覚からしたらやっぱり大きい。イメージとしてはかなり小さめの小学校くらいだろうか?
ちなみに、領地の城にはもっと小さな頃にしか行ったことがないので記憶がなかった。
「オーキュラス邸は少し変わったお屋敷なんだそうですよぉ」
コニーがふわふわ笑いながら教えてくれる。
「お屋敷に小さな礼拝堂の塔がくっついてますけど、あれはいつ頃からあるのか正確にはわからないそうです。面白そうですよねぇ」
「えっ、面白そう!なんで正確にわからないの?そんなに古いの?」
「なんででしょうねぇ?とりあえず行ってみましょう〜」
コニーはうーんと首を捻って曖昧な返事をしつつ、私の手を引いて歩き出した。
一階廊下の赤い絨毯の上をてくてくと歩いて行くと、メイドがサンルームにワゴンでお茶を運んでいくのが見えた。
「あら、奥様と旦那様はブランチですね」
コニーが嬉しそうに言う。
この世界でも貴族は朝食を私室で食べる文化があるのだが、どうやら両親は朝からデート気分のようだ。
ひょこっと顔を覗かせると、父が母にあーんしている。
うおお。
10代カップル並に仲の良い姿にちょっと固まっていると、父がこちらに気付いて「アリス!!」と顔を輝かせた。
背景にキラキラエフェクトが見える。
母もこちらに気付いて「まぁ、今日は体調が良いのね?こちらにいらっしゃい〜!」と花を飛ばしながらご機嫌に手招きしてくれた。
「お父様、お母様、お早うございます」
「はい、お早う。私の愛しい宝物、アリス」
側に寄るなりお父様に抱っこで膝の上に乗せられ、なでなでされる。ほほう、恥ずかしい。
父親とはいえとんでもないイケメン(確か28歳位だったかな?)に抱き上げられ、イケボで愛を囁かれると、親子の親愛とはいえ物凄く恥ずかしい。恥ずかしいが、両親がそれで幸せそうなのでじっと耐えることにしている。
「アリス、昨日は微熱があったけれど、今日の体調はどうかしら?」
心配と愛しさを蜜で溶いた様な声でお母様に問われたので、安心させるように今日のことを詳しく話す。
「平熱で、朝はとてもすっきり起きられました!体を動かしたかったので、朝食をちゃんと食べてから、コニーとお屋敷を探検していました」
うん、花まるな幼女のお返事である。そう聞いて両親は安心したように微笑んだ。
「そうかそうか、探検か。アリスはとても賢い子だから、メイドと一緒ならどこの部屋に入っても構わないからね」
でれっとした顔でお父様が許可をくれる。
先日のルージ撃退からお墓参りまでの私はなんだかんだでテンパっていたので、結局子供らしい口調とか思考を取り繕うこともせずにバッシバシ喋っていた。
唯一取り繕えたことと言えば、素の男みたいな口調ではなく、丁寧なお嬢様寄りの口調にしたことくらいだ。
といっても、お嬢様言葉もよくわかんないのでふわふわした敬語もどきだが。
急に大人ばりに喋る娘の様子を両親がどう捉えたのかしばらく不安だったが、なんと、宇宙レベルの親バカに超解釈されていた。
目元は真面目を取り繕いつつ、口元は娘の賢さに親バカニヤニヤするというイケメン終了な表情でお父様が推測した(のをお母様に話しているのを聞いた)のによると、
「真実を知って毒婦に追い詰められたアリスは二年間悩み苦しんだが、それが修行となって悟りのようなものを開いたのかもしれない。周囲を正確に観察し、知識を積み、無意識に深い推察の力を手にしていたのだろう。そして死の淵で祖霊か神の力を借りて目覚め、あとは我々の知る姿に……。あれは壮絶な苦しみを経て体得した聖女のような賢さに違いない……」
こんな感じである。
新手の新興宗教に父が引っ掛からないか心配である。それを聞いて号泣しながら頷いていた母も心配である。思考誘導ほんとに解けてる??
まぁ両親の深い愛(?)のお陰で、私はアリスとしてこのまま生きていけそうなので良しとする。
そんなことを内心チベスナ顔で思い返しながら両親の様子に意識を戻すと、今度はお母様がお父様にあーんしていた。
引き続き砂糖を吐きそうだが、私の中の子供の部分が勢いよく挙手した。
はい。私も混じりたいです!!と。
そう思ってしまったことは仕方がないので、お母様がお父様にあーんしようとしていたマスカットに向けてぱかっと口を開けてみた。
「あ〜ん」
それを見て固まる父と母。
あれ、駄目だったか?と思う私。
しかし、両親の顔が溶けた。
文字通りほにゃ〜ふわぁぁ(はぁと)って感じに溶けた。
そして優しく優しく口の中にマスカットを差し入れてくれたので安心して咀嚼していると、今度はお父様にサンドイッチを向けられる。
朝食は既に食べていたのでそれほどお腹は空いていなかったが、嬉しいのでそれも半分食べさせてもらう。
ほっぺたを膨らませてもぐもぐごっくんすると、次はお母様から「さ、アリス、お茶も欲しいでしょう?」と言われて唇にカップを添えられる。サンドイッチで喉が乾いたので、喜んでそれをちょびちょび飲む。
飲んだところで、ハッと気付く。お父様とお母様に謎のスイッチが入って滅茶苦茶ハァハァしていることに。
これはあれだ。
推しキャラの一挙手一投足にハァハァしてたり、好きな人を介護レベルで依存させてハァハァしてるタイプの興奮だ。二人ともガチではぁはぁしてるし目がいっちゃってる。やばい。
そう直感した私はしゅばっと父の腕からすり抜けて宣言した。
「コニーと探検に行ってきます!ごちそうさまでした!」
ビシッと敬礼してコニーの手を掴むと、お父様とお母様は名残惜しそうに別れを告げてくれた。
ちなみに、コニーに対してめっちゃ理不尽な嫉妬の視線を送っていた……。
新章というか本編というか。タイトルの要素を含めたお話スタートです。