11 尋問の陣
「孤児……?」
そう呟いたお母様の声に、私の中のアリスの部分が悲鳴をあげる。
お母様に、知られてしまった。
お父様は恐れていた事態に無言で固まった。
アルフォンスさんも私を抱き締める腕に力を入れ、険しい顔をしている。
「は、はあっ、そうだ、そこの子供は、旦那様とお前の子供でもなんでもないっ!あの日の夜に私は見たんだ!旦那様が死んだ娘を連れ出すところも、そいつを連れ帰ってきたところも!!」
どうだ、とルージは冥土の土産とでも言うようにそう叫ぶ。恐らく頭の中は助かりたいというより、もはやなんでもいいからお母様を害したい一心なのだろう。
しかし、お母様の口から出てきたのは悲鳴ではなかった。
「…………だから?」
「っ?!」
私は思わず目を見開いた。お父様もアルフォンスさんもぎょっとしている。
お母様は、一度深呼吸すると凛とした声で続けた。
「私が、知らないとでも思いましたか」
その言葉に場の全員が静まり返った。
胸を張り、精一杯小柄な体を奮い立たせるようにしてお母様は続けた。
「……知って、いましたとも。産んだ子の魔力は極端に乱れすぎていました。すぐ力尽きるだろう事はわかっていました。そして、生まれた我が子の首にあった小さなほくろが、私が気絶して目覚めた次の日に見たら無かったことも。何も言わない夫が私の様子を慎重に窺っていたことも、知っていました……」
「お母様……?」
私はついそう声をかけた。
お母様はハッとこちらを見た。
「アリス……声が……?」
まじまじと私を見てその様子に感動したようだったが、まず目の前の修羅場を解決するべしとお母様はキッと向き直った。
「私は実子でなくとも、産まれたばかりの幼子であるアリスを見て守らなければと強く思いました。産んだ子でないと知っていてもアリスを愛しました。そしていつか必ず、私の産んだ子の墓を、夫と、恐らく協力しただろう我が兄が教えてくれると信じました」
「エレオノーレ……っ」
お父様が感極まったように口元を押さえる。
私もお母様の秘めたる気持ちに驚き、同時に切ない思いに胸がいっぱいになった。
知っていたのだ。
実子ではないと知っていて、それを必死に隠す夫の気持ちを思い、また新生児だった私を見て守らなければと思い。
お父様と私の二人の危うい心を一人で守ってくれていたのだ。お母様は。
その母の強さを見て、ルージははたじろぐ。だが最後の悪足掻きとでも言うように叫んだ。
「詭弁だ!そんなの、旦那様と別れたくないから!受け入れたふりを……っ?!」
足掻くルージにお父様がより魔力を強めて黙らせる。
「それはお前が決めることではない」
そう冷徹な顔で言い放った父に対して、母が更に言った。
「ええ。そして貴方が一人で決めることでもありませんでした」
「っ!」
苦しげにお父様は俯く。
お母様は続けた。
「子が死んだのなら教えて欲しかった。養子を育むのなら頼んで欲しかった。……妾や後妻だって、必要に迫られれば、自ら信じる者を推薦することだって……」
「そこまで…………!エレオノーレっ………」
お母様の秘めたる覚悟の凄まじさに、お父様は絞り出すようにすまない、と謝る言葉を口にした。
「いいえ、謝らないで下さい……。今、どういう訳か正気になったから言えることでもあるのです。結局貴方に私は何も言わなかったし、聞けなかった。覚悟はあったなんて言いながら、無かったのと同じなのです」
そう言ってお母様は前に進み出た。ルージに近づき杖をかざす。
「そしてそうなるよう、この毒婦に思考誘導を受けていたことにも気付けないほど弱くなっていた。全ては私の心の弱さから、結果として家族を長く苦しませてしまった。……今それを終わらせましょう」
お母様はすっと息を吸うと、呪文のような言葉を口にした。
「オークリンドの月、半月の頃、我このニワトコの魔力の満ちる場にて力を振るう。真実を示せ」
そうお母様が唱えた瞬間、ルージが絶叫した。
「ひッ!?イ゛、アア゛ぁあァァーっ!!」
獣のような甲高い悲鳴。ルージの体に巻き付くように鋭い稲妻が走る。強い魔力がルージを責め苛んだ。
アルフォンスさんが私にその光景を見せまいと抱き込んで隠そうとしたが、これは私にも関係することだ。見届けなければならない。
強くも優しいその腕を掻い潜り、制止する声を無視して涙目の目に焼き付けた。
「示せ。目的を」
お母様がそう言って手を休めると、ルージは電流に体を痙攣させながら答えた。
「ア゛ッ、ひ、離縁をっ、りえんを、ねら、だんな゛さまをっ、ほじくてぇぇっ、ヒア゛アアッ」
びくんっと体を震わせた後、ルージがガクンと力を抜く。
「そう。素直で良いことね」
お母様は無表情でそう言うと、次の質問を口にした。
「何をしたか、示せ」
力を抜いていたルージの体が再び電流に苛まれてばくばくと動く。悲鳴は喉がひきつっているようで音になっていない。
「イ゛イ゛ッひぎ、いっ。嫌だッ言うもんがぁぁっ!!連れでっ逝ってやる゛ぅっっ」
あまりの凄惨な光景に私も体が震えてくる。
しかし、お母様の手は強くなっていく。
「私のように2年間、苦しみたいの?この電流をもっと味わいたいのかしら?さあ、話して」
そうしてお母様が一層力を込めると、ルージは狂ったように悲鳴をあげた。
そしてほんの僅かに手を緩めると、泣きながら話し始めた。
「お嬢様を、脅じましだ……しょるいを、作って、呪で、お嬢様を、おいつめ、……ひぐっ……おくざまど、だんなざまに、嘘を、ふきこみ、ひた……っ」
お母様はそれを聞き、苦しげに表情を歪めた。そして更に電流の手を強めた。
「いっひい゛ィっ!!」
「呪の内容もよ!解呪の方法まですべて話しなさい!」
ルージは悲鳴を上げ、すすり泣き、服や髪は焦げて酷い有り様だった。それでもすべてを中々吐かず、魔法陣に囚われている。
脱力した体はまるで胸ぐらを捕まれた人のように、空中にぶらんと吊り上げられていた。
キッとルージを睨み付けて強気に見えたお母様も、自らが作り出したその凄惨な光景にさっと口元を覆った。それでも尋問を続けようとする。
そこで、お父様がお母様の肩に手をかけた。
「続きは私がやろう……家族に何もできなかったこの私に始末をつけさせておくれ」
抱き込むようにしてお母様を下がらせるお父様。お母様は抗議して前に出ようとしたが、お父様の力強い腕に押さえ込まれて下がった。
震えて俯きながら、なお部屋から出ないお母様の代わりに、お父様は尋問を再開した―――。
◇
こうしてルージの悪事の全ては明るみにされ、呪は解かれた。
あの場にいた成人貴族3名以上による公的な訴えと本人の自白、経緯と状況の報告を行った結果、ルージの裁判は速やかに行われた。
結果は、死罪。
主な罪状は「上級貴族に対する、長期にわたる計画的な攻撃呪の使用」である。他にも書類偽造、仕える家の秘密漏洩、不敬罪など色々あるが、これだけでも処分待ったなしだそうだ。
ついでに言うと、本来ならお父様が使用した「尋問の陣」というあの魔法も日常で使ってはならないものだったが、「呪の攻撃対象であった三歳児が約二年にわたり呪縛され、まもなく呪が完遂され死亡する寸前であったこと」「思考誘導の対象である上級貴族が望まぬ離縁寸前であったこと」から緊急性が認められ、正当防衛であると認められた。
ルージは自らの眼球を媒介として呪をかけていたという。
ルージの呪の攻撃と基本ルールは以下の二つ。
・呪殺およびメインの思考誘導対象は『アリス』
とする。また、メイン対象以外に目を合わせぬことを終生続ける。
・誓約時に定めたサブメインの攻撃対象3名『ジークムント』『エレオノーレ』『アルフォンス』にも自らの意思や目的を悟られず、僅かに思考誘導を出来る効果。
しかし、これほど対象と効果を絞っていても、ルージ程度の魔力では通常なら呪が発動しない筈だそうだ。ましてや強い魔力を持つ上級貴族のオーキュラス家に太刀打ちはできない。
そこでルージは更にルールを設定した。
・満願成就の際に片目の視力と片耳の聴力を贄として消費する。失敗の際にはより多くの反動が自らに降りかかる。
これを追加して自らの体に呪として縛り付けていた。
常人ならば絶対にやらないようなハイリスクローリターンな方法だからこそ、効果は絶大だったのである。
憎むお母様ではなく私を狙った理由としては、魔法抵抗のまだ弱い子供であることと、事態が発覚する可能性を少しでも減らすためだった。
そして、じわじわとお母様を退け、弱ったお父様に自然につけこむためだったそうだ。
この呪を解呪した反動として、ルージは両目の視力のほとんどと片耳の聴力を失った。
更に男爵家の血筋に連なるという記録を完全に抹消され、それを聞いた処刑前日に、獄中にて狂死した。