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9 正妻

私の名前はエレオノーレ・ツェツィリア・オーキュラス。オーキュラス侯爵家の正妻です。

 

 が、それももう今夜で終わりなのかしら……。と私は深い溜め息を吐きました。

 

 ◇

 

昼間に兄の屋敷に呼び出された私は、最近では頻繁になってきた兄の説得に頭を痛めていました。

 

「ほら、その様な暗い顔をして……以前のお前なら考えられないことだ」

 

 2年前から続く我が家の地獄を哀れに思った兄のオイディプスは、ことあるごとに私と娘のアリスを実家に戻そうとします。そんな優しい兄に感謝する気持ちもあるけれど、私はあの人と元の関係に戻りたいのです。

 そして、なにより愛しい我が娘とも。

 

「お兄様、そうは言っても、私はあの家を愛しているのです。離れたくありませんわ」

 

「何故だ?あの男はお前を置いて出かけて不安にさせたりするのだろう?」

 

 うっと私は言葉に詰まる。兄の金色の瞳がギラリと光る。それは確かに私にとっての心労の種なのです。

 

「し、しかし、それはもう子を望めない私が正妻である限り仕方がないことなのです……。それならば、私は耐えるしか……」

 

 すると兄は机を強く叩き、身を乗り出した。

 

「エレオノーレ!そんな家庭はこの兄が許さんぞ!ただでさえ、侯爵の家にこの公爵家から嫁に出したのだ。それをそのような、お飾りの扱いをさせるなど……と、到底許せんっ」

 

 わなわなと震える兄に言葉を返せない。私自身は家の格が下がったことなどどうでも良いのだけれど、兄の心と世間の目はそうではない。

 

そうして、とにかく近日中に覚悟を決めるように、と言った兄から逃げるようにしてオーキュラスの屋敷に戻ってきたのです。 

 

 ◇

 

 兄の死刑宣告のような言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡り、私は私室へ夕食を持ってきたメイドが何か言っているのも耳に入らず呆然としていました。

 そうしてしばらく部屋で鬱々としていた時、予期せぬことが起こりました。

 

 最近では部屋も別になり、1日話さないこともある夫のジークムントが訪れたのです。

 

 私は動揺しました。いつもと違う出来事に、弱っている私の心は怯えて震えました。

 

「エレオノーレ」

 

 ジークムントは部屋に入ってきて私を目に入れると、ふっと微笑みました。

 私はそれを見て驚きました。久しく、そんな顔は見ていなかったからです。

 

「こちらにおいで」

 

 そんな声に引き寄せられて側に寄ると、夫はしみじみとした声を出しました。

 

「こうして近くで話すのも久しぶりだね」

 

「……」

 

 私は怯える心からうまく声が出せず、小さくこくりと頷くことしか出来ません。

 

 すると、夫は少し悲しげな顔をしながら私の銀の髪をそっと撫でました。

 ぴくりと肩が震えます。

 

 何故こんなに優しげなのだろう?

 何故突然、いつもと違うことを?

 

 こんな疑問が頭のなかを嫌にぐるぐると回りました。

 

 すると、夫は私の耳元に顔を寄せて囁いたのです。

 

「今夜で終わりにするから」

 

 !!

 

 私は頭の中が真っ白になりました。

 

 なにを、終わりにするのでしょう。

 

 私との関係でしょうか?

 それとも、新しい妻探しに目処がついた?それとも妾?

 

 悪い予想に頭を支配されましたが、夫はもう一度私の頭をひと撫ですると、出ていってしまいました。

 

 私はベッドに座り込みます。もう夜でしたが、ネグリジェに着替えて寝る支度をすることも出来ず、ただ呆然として座り込んでいました。

 ぼんやりしているうちにルージが暖かいお茶をいれてくれても手をつける気になれません。

 

「奥様……なんとお痛わしい……」 

 

 ルージは辛そうな表情で私に声をかけました。

 思えばこのメイドは、良くジークムントの様子を私に教えてくれます。私は今日の夫の様子を聞いてみました。

 

「ジークムントに……あの人に今日、なにか変わった様子はありましたか?」

 

 そう聞くと、なぜだかルージの肩がひくりと動きました。何かあったのでしょうか?

 

「ルージ?」

 

 すると、ルージは辛そうに顔を伏せて、口元を手で覆いました。

 

「ええ、奥様。少し変わったことがございましたよ」

 

「っ……なにが、あったのですか?」

 

 まさか、本当に離縁しなければならないのでしょうか?

 

 震えた私をよそに、ルージはほう、と息を吐くと、両手で顔を覆いました。

 

 

「はい、奥様……旦那様は私を御所望されました」

 

 

「…………?」

 

 ごしょもう。御所望?

 

 その意味はなんだったかしら、と頭が現実逃避する。

 

「旦那様は、嗚呼、私を御所望なのです。奥様。……私はいつでも旦那様を支えて参りました。声をかけて参りました。特にこの2年……。だからこそ私が良いと、そう仰いました」

 

「ぁ……あ……」

 

 ルージは顔を覆っていた手を退かすと、私の顔を楽しげに覗きこみます。顔が至近距離にあるのに目が合わない事がとても奇妙だとぼやけた頭で考えました。

 

「奥様……私が奥様の分も、お慰めして参りますねぇ?」


 最後にぬるりとした声でそう言い放ったルージは、ぱっと身を翻して部屋を出て行きました。

 

「………………」

 

 私は絶句して、そして――――。


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