若い兄妹
日本、某所とある、小さな1Kアパートの一室。
「ねぇ、お兄ちゃん。今日は帰ってくるのは何時ごろになるの?」
俺は、味噌汁を啜りながら答える。
「わかんねぇな……最近、バイトの残業も多いからな。」
「そうか………無理しないでね。中学生になったら、私も働いて楽させてあげるね。」
「…………そんな事、お前は心配しないでいい。」
俺の言葉に妹は、焦る様にもじもじとカチャカチャ食器を鳴らして黙り込む。
「いいか、琴華? お兄ちゃんは怒っているわけじゃないぞ?
ただ、まだ小学生のお前に心配させる程お兄ちゃんの甲斐性は低くない。」味噌汁のお椀を机に降ろして、俺は妹、琴華と目を合わせる。
「うん、わかった。お兄ちゃん。これからもお勉強とお仕事、頑張ってね。ことか、お兄ちゃんの好きなちらし寿司作って待ってるよ。」俺は、その笑顔で体に生気がみなぎるのを感じた。
俺と妹が、この小さなアパートで二人暮らしを始めたのは、丁度一年前になる。昨年、両親の結婚記念日に俺達兄妹は、北海道への二泊三日の温泉旅行をプレゼントした。
三日目、母親からメールが届いた。
「今から、帰ります。美笛、琴華。旅行、プレゼントありがとう‼いっぱいお土産持って帰るね。」
それが、両親からの最期の連絡だった。
「さて……と。じゃあ、鍵閉めるぞ? 」
鍵を学ランのポケットから出す。慌てて妹が玄関に来る。
「あわわ、お兄ちゃん。ちょっと待って。あ………ガス栓、ちゃんと閉めたかなぁ? 」
俺は、妹の顔を見る。
妹がこうやって以前の様に笑顔を見せてくれるようになったのは、つい最近だ。突然の両親との別れは、高校生の俺にすらとんでもない衝撃を与えたのだ。まだ小学生の妹には耐えがたい事であったのは想像に容易い。
俺が、凝視している事に気付くと、妹は自分の顔をペタペタ触り。
「なに? お兄ちゃん? ことかの顔に何か付いてる? 」と、不安そうに尋ねてくる。
「もうすぐ、誕生日だな。なにか、欲しい物あるか? 」俺は、誤魔化す為に、そう言った。
「へ……?
ん、んーと………そんなの、すぐに出てこないよぉ……」妹が指を頭に当て、困っていたので、俺はそのままその柔らかい髪を撫でてやった。
「遠慮はするなよ? でも、そうだな……高い物は………なるべくやめて頂けると……助かります。」俺の言葉に、妹は満面の笑みを浮かべた。
「何にもいらないっ。お兄ちゃんが元気でいてくれたらそれでいいよ。」本当に、俺には勿体無いよく出来た可愛い妹だ。
眠気を抑えつつ、授業をこなすと、周囲が楽しそうに放課後の遊ぶ予定を話す中、バイト先に向かう準備をする。
両親の事故の保険や、国からの補助金等もあり、実を言うとバイトをこんなにこなさなくとも、生活をしていく事は可能だ。
しかし、俺は出来る事なら、この金は出来るだけ使わずにとっておきたかった。死と言う概念から遠く離れて過ごしていた気になっていた俺は、両親の事故から少し考えが変わった。
人は、いつ死ぬかなんて本当に誰にもわからない。
ならば、常に自分も、自分の大切な者もその立場にあることを把握しておかなければならない。
俺に何かがあれば、妹が一人になってしまう。勿論そんな事にならない様に最善の努力をする。だが、それでも何が起こるかわからないのが人生だ。
そんな時、俺に残せるものは、両親が俺達に残してくれたこのお金だ。
このお金をそっくり妹に残してやれれば。
その後の生活も何とかなるだろうし、大学までも進める筈だ。
妹はしっかりしている。それ目当てで近付く悪い大人に、騙される事もないだろう。
「疲れたなぁ。」思わず口から零れる。
今日は夕方から夜九時までスーパーの精肉部門で働いた。精肉は重く、割と重労働なので身体に響く。
疲れから俯いて歩く俺に、眩しい光が差し込んできた。
雑貨屋だ。夜遅くまで開いている店も、最近はそう珍しくもない。その入り口に、大きなぬいぐるみがいざなう様に、こちらを見つめていた。
そう言えば………妹も前の家では、部屋をぬいぐるみでいっぱいにしていたな。
…………誕生日の贈り物……その金額の目安にもここで、見てみるのがいいかもな。妹に少し帰りが遅くなるとメールを送ると、俺はそのメルヘンチックなぬいぐるみの世界へと足を踏み入れて行った。