序章
世界で、一番流通しているぬいぐるみを、ご存じだろうか?
それは、誰もが一度は目にし、その柔らかな感触を確かめた事が有ろう
熊のぬいぐるみ『テディベア』である。
テディベアの歴史は、戦前にまでさかのぼる。
時は、一九〇二年、ドイツ国南部の山間の小さな村、ギンゲンにてぬいぐるみ製作所を営んでいた者が当時のアメリカ大統領『ルーズベルト』氏が熊狩りにて、子熊を撃ち殺すのを拒んだという記事を読み、作りだしたというのが一説に在り。
名前の由来もそこからきて『テディ=当時のルーズベルト大統領の愛称』+『ベア=その時の見逃した熊』となったというのが定説だ。
事実、テディベアは誕生後まもなく、そのルーズベルトの国、アメリカに渡りその記事を読んだ市民たちの中で、社会現象になる程のヒットを収めた。
当時の経済を収めていたアメリカでのヒットは、つまり世界での流行を意味した。
やがて、テディベアはヨーロッパに戻る様に伝え渡り、世界中にその優しく、もふもふな姿を見せてくれたのだった。
それから一世紀を越え、尚その人気は世界中で高まっており、近年では各国のコレクターの存在も珍しくはない。
しかし、一方で人気により価値が高まり、いつしかテディベアは、一般市民、幼子に贈られる物から『高級品』と、その姿を変えていった。
もし、この事が原因でこの先、テディベアと触れ合った事のない子どもが増えるのだとしたら、それは不幸以外の何物でもないし、かつてテディベアを生み出していったアーティストたちにとっても不本意なものであろう。
私は、そんな疑問を抱きながら『最高級品』と呼ばれるテディベアをただひたすらに作り出していた。
ある日、私はふとしたことから、母親の祖国である日本ではテディベアを専門的に製作している工房が減少している事を知った。
理由を訊かれても、困る。
ただ、先述の通り、聴こえた気がしたのだ。
私の中で。
テディベアを生み出していった者達の、叫びが。
そして、テディベアと出逢わぬまま、大人へと変わっていく子ども達の悲しみが。
私は、会社に辞表を出すと、周囲の反対を押し切り、母の祖国へと発った。