そろそろ大人になりなさい
陽子は今年で40歳になる。結婚をせず会社員として事務職に従事している。
陽子は40歳の今でも独身男性が一目置くほど美しい女性だった。性格も朗らかで愛想がよく、冗談や冷やかしを言われても、適当に返事をして職場仲間や友人たちと一緒に笑ったりもする。
そういう器量よしの陽子は職場の上司からも好かれ「どうだ?」と条件の良い見合い相手を紹介された事もある。近所や親戚からの見合い話も、40歳になった今でも尽きる事はない。
しかし、どんなに条件が良くても陽子が首を縦に振る事はなかった。
なぜなら、陽子は誰にも言えない趣味があるからだ。それはメカキャラクターの収集だった。
陽子の部屋には、寺沢武一の『コブラ』ゆうきまさみの『機動警察パトレイバー』士郎正宗の『攻殻機動隊シリーズ』永野護『ファイブスター物語』そしていろいろな作者によって書き下ろされている『ガンダムシリーズ』『マクロスシリーズ』などのコミックや小説が棚に並んでいる。
最近のものになると『エヴァンゲリオン』『蒼穹のファフナー』『創聖のアクエリオン』『天元突破グレンラガン』『鉄のラインバレル』なども棚に入っている。
陽子のメカ系キャラクターのコレクションはまだある。『鉄人28号』『マグマ大使』『ゲッターロボ』『マジンガーZシリーズ』『UFOロボグレンダイザー』『SF西遊記スタージンガー』『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』『無敵ロボトライダーG7』『最強ロボダイオージャ』『戦闘メカザブングル』『聖戦士ダンバイン』『重戦機エルガイム』『機甲戦記ドラグラー』『装甲騎兵ボトムズ』など。メカ系のビデオ・DVDが棚に入っているのも、陽子にとっては当たり前なのである。
とにかく、陽子はメカ系キャラクターが大好きなオタクだった。
本日の朝も陽子はメカ系キャラクターのコレクションに囲まれて気持ちよく目覚めた。
陽子は棚に入っているガンダムプラモデルに「おはよう」の挨拶をする。もちろん陽子の手作りである。『ガルディーン』などほかのプラモデルやフィギュアにも挨拶をする。
しかし、いくらメカ系キャラクターが好きだと言っても、会社へ行く時にメカ系のコミックや小説を電車の中で読むと、周囲から好奇の視線を浴びてしまい落ち着いて読む事ができない。
陽子は代わりに最近知った「いしいひさいち」の文庫サイズの本をカバンに入れた。当然コミックだとばれないようにチェック模様の包装紙でカバーがしてある。
何食わぬ顔をして朝食を食べに来た陽子を見た母親は、目をキラリと光らせた。
「また本を持ってる。それマンガでしょ? 電車の中で読むつもり? いつまで経っても子供なんだから」
母親は昔で言うキャリアウーマンだった。現在は定年退職をしているが、今も会社に残り準社員として働いている。働きながらの子育てだったが、陽子がメカキャラクターを好きなのは母親として当然知っている。陽子がなかなか結婚したがらない理由も、嫁ぎ先へメカコレクションを持っていけないからだという陽子の思いも理解している。だが、自分が死んだ時の事を考えると、親としてメカキャラを手放せず一人身の女性のままの陽子を残すのはたえられない。
母親は、陽子がメカキャラコレクションを手放して家庭が持てる女性になるように促す事にした。
「もう40歳なんだから、そろそろ大人になりなさい。今日からその本はここに置いて仕事に行くように。いいわね」
「お母さん……」
娘思いの母親の心内を知っている陽子としては、母への言い訳を躊躇ってしまう。
陽子が沈んだ表情をしていると、母親は自分の通勤カバンから本を取り出した。母親の本には布地にスミレの刺繍が施された上品な趣のカバーがしてある。
「陽子。代わりにお母さんの本を貸してあげるから、暫くはこれを読んでいなさい。いいわね」
「はい」
陽子は、いしいひさいちの本をテーブルに置いて、母親から渡された本をカバンの中に入れた。
その後、陽子は電車の中で本を開く。
母親から渡された本は、池波正太郎原作、久保田千太郎脚色、さいとうたかお作画のコミック「鬼平犯科帳」だった。
メカキャラに搭乗する爽やかでハンサムな登場人物とは違い、「さいとうたかお」のは凄味を帯びた人間臭い渋めの登場人物が多かった。通勤時に読むいしいひさいちのコミカルで軽い調子も無く、鬼平の周りで起こる人情劇は、陽子が今まで読んできたコミック中では一番の重さがあった。
「これが大人になるって事?」
母の躾けに対し、陽子の心の中で葛藤が起こったのは言うまでもない。