あの子
小さな庭の、所々にある鉢植えには、澄子が育てている季節の花が咲いている。
今、咲いているのは沈丁花。上品な香りが心を落ち着かせる。
澄子が庭を見ながら、午後のティータイムを楽しんでいると、ドアホンの音がした。
「はぁーい」
「こんにちは」
「あら、いらっしゃい。お絹さん、どうぞあがって」
絹は、澄子のご近所仲間。
今日は小春日和。といっても、沈丁花が咲く季節はまだ肌寒く、外で雑談するのが辛いため、絹はお菓子を持って澄子宅に遊びに来たのだ。
澄子はさっそく紅茶を入れて、沈丁花が見える窓際のテーブルの上に置いた。
「お絹さん、どうぞ」
絹は紅茶を受け取りながら言う。
「澄子さん、今日はマドレーヌを焼いたの。食べてね」
「まあ。私の大好きなマドレーヌだわ。嬉しい。頂きます」
二人は人心地着くと、いつもの雑談が始まった。
「うちの息子、爪を噛む癖が直らなくて、どれだけ言っても聞かないのよ」
絹は、腹を立てているのか、ふくれっ面でマドレーヌを食べている。
「でも、お絹さんの息子さんは、ご立派じゃない。爪を噛む癖だってサマになっていて羨ましいわ」
「うちの息子を誉め過ぎよ。あの子、そんなんじゃないわ。外面がいいだけ。澄子さんのように、娘が欲しかったわ」
「うちの娘のだって、マヨネーズが手放せなくて困っているのよ。お陰でまた太っちゃって」
澄子は、困った表情をしながらマドレーヌを食べている。
「どこが太ったのよ。最近、痩せたんじゃないかと心配しているんだから」
「あの子が痩せるはずないじゃない。お絹さん、あの子の前で痩せたなんて言ったらダメよ。調子に乗って、なんにでもマヨネーズをかけるに決まってるんだから」
二人は同時に息を吐いた。
「はぁー、本当にあの子にも困ったもんだわ」
同じ言葉を同時に言ったため、澄子と絹は一緒に笑い出した。
澄子はマドレーヌに手を伸ばす。
「あの子は、いくつになっても私の子なんだと思い知らされるわ」
絹は紅茶を口に含み、口の中のマドレーヌを喉の奥へ流し込む。
「本当よね。私もいつも思うわ。自分の息子なんだと」
絹は、今年76歳。爪を噛む癖が直らない息子は、妻子持ちの51歳。
澄子は、今年103歳。マヨネーズ好きの娘は、夫に先立たれ今は独身。絹と同じ76歳だったりする。
親にとって子は、いくつになっても子なんですね。