チーム
鈴木邦子は60歳の誕生日を迎えた。
そんな事一々言わんでもよろしい。そもそも女性の年齢をあからさまに公表しちゃぁいけない。
孔子曰く「六十にして耳順う」。日本にも「耳順」がある。
しかし、邦子はどうしても聞けない、聞く訳にはいかない、聞きたくない言葉があった。
「尿検査の結果、糖が検出されました。血液検査でも血糖値が高く出ています」
「もしかして、私……」
「そうです。糖尿病です。これからは糖分を沢山摂取しないように心がけて下さいね。そんなに顔色を変えなくても大丈夫ですよ。鈴木さんのは、まだ初期の段階なので糖分を摂取しなければ大丈夫。お菓子類は食べれませんが、食事は普通に食べてもらってOKですよ」
孫と誕生日ケーキを食べたいし、TV番組で紹介された飲食店にも行きたい。老後は好きな事をして暮らしたいのに、スイーツ好きの私にお菓子を食べたらいけないなんて、拷問よ!!
邦子の心の叫びは医師に届かない。医師は淡々と処方を邦子に渡した。
「お薬を出しておきますね。糖尿病の薬は結構重要ですので毎食忘れずに必ず飲んで下さい」
邦子は支払いを済ませて薬を受け取った。中味を見てみる。ラムネのような白い錠剤。お菓子のようでお菓子じゃない。
これを毎日口に入れないといけない。しかも丸飲み。まるで詐欺の被害にあったような心境だ。
家に帰り、主人や子供たちに糖尿病になったと告げると、
「年がら年中、甘いものばかり食べているから糖尿病になるんだ」
と主人は言い、
「糖尿病は進行すると、診察代や薬代にすっごいお金がかかるようになるんだからね。医者のいう事をちゃんと聞いて、絶対に甘いものは食べないでね」
と子供たちは口を揃えて言う。
甘いものを食べるしか生き甲斐がなかった邦子は、事有るごとに家族から言われるようになり、笑顔の無い日が続くようになった。
そんなある日。
買い物の途中、近所の芳子さんとばったり出会った。芳子さんは59歳。年齢が近いせいで話が合い邦子と仲良し。
「え! 邦子さんが糖尿病。なんか気の毒だわ」
話しているうちに、もう一人が買い物カゴをさげて現れた。知子さんはまだ46歳だが、彼女の聞き上手な性格を邦子は気に入っている。
「糖尿病! 本当なのですか?」
邦子は二人に、家族の冷たい言動や、甘いものを制限される辛さをぶちまけた。
芳子と知子は、邦子の話を自分の事のように聞き、邦子をなぐさめる。
「邦子さん、元気を出して。早期の糖尿病って、症状がよくなれば治ったも同然で、甘いものが食べれるようになるっていうじゃない」
「そうですよ。ちょっとの我慢じゃないですか」
「そのちょっとを我慢するのが辛いのよ」
「大丈夫よ。私たちがついているわ。ねえ、知子さん」
「ええ。私も邦子さんが早くよくなるように応援するわ」
「邦子さん、これをあげるから元気を出して」
芳子は、ポケットからアメを出すと邦子の手の平に載せた。
「でも、私糖尿病で、甘いものはダメって言われてて」
邦子は困った表情をする。知子は邦子の肩をポンと叩く。
「小さなアメ1個くらい大丈夫よ。内緒で食べちゃえばバレやしないわよ」
「そうね。1つくらい、どうって事ないわよね」
邦子は戸惑いながらもアメを口に入れた。アメの甘さが口の中に広がり邦子の表情は笑顔になった。久し振りに戻った邦子の笑顔はとても清々しい。
この日を境に、芳子と知子は、何かと理由をつけて邦子を家の外へ連れ出し、一口くらいの大きさの甘いものを邦子に渡すようになった。
時には家族の目を欺き、脇の下に甘いものを隠し移動してから渡すしぐさが、さながらラグビーのパスのようで、次第に邦子の糖尿病を知った人々に目撃されるようになり、
人々は、邦子を含めた三人を、チームと呼ぶようになった。