魔神との邂逅
ミスリムが職員室の前の廊下を歩いていると、聞き知った男子の声が聞こえた。その声は穏やかではなく、さりとて怒鳴っているわけでもない。教師を問いただし、引き下がらない様子。
「朝から騒々しいですわね。その元気を勉強に注げば、あなたも少しは当校の学生に相応しくなるでしょうに」
職員室に入ると、想像通りの男子生徒がそこにいた。彼はミスリムの顔を見るなり、これ見よがしなため息をついた。
「おまえか」
「あなたにおまえ呼ばわりされるいわれはありません」
二人がそろったことで、男子に対応していた教師はげんなりした。
ミスリムと、表情が乏しく無愛想に思われがちな赤い髪をオールバックにした男子生徒――リュサック=エレクタール。
共に成績優秀で、高等部に入ったばかりだが上級生に負けない実力を持つ、学園が誇れる一年A組の二人…………であるが、二人がそろうとうるさいというより厄介だから始末が悪い。
「朝から盗み聞きとは、大したお嬢様だ」
「少しはご自分の声を省みたらいかが? 騒音を垂れ流していることに気づきません? 聞きたくもないものを聞かされて大層不快ですわ」
「おまえの耳を心地よくするための声なんて必要ない」
素っ気なくリュサックはミスリムに背中を向ける。
「それで先生、ベスター先生はどうなされたのですか?」
リュサックはこの時間、いつもベスター教師に特別な朝練を受けている。だから、ミスリムは彼の声が職員室から聞こえて気になったのだ。
ベスター先生は実技を担当する武芸百般の驚異的な教師で、単純な身体能力だけで言えば学園最強の教師と言われている。熱心な教育者で、希望する者に朝と放課後に訓練をつけてくれるが、とても熱心なので三日と続けられる生徒はいない。
だが、このリュサックは中等部の時からほぼ毎日そのシゴキを望んで受けている。その彼が朝練を受けずにここにいる。となれば、教師側に何かあって朝練が中止されたのだと容易に想像がつく。
「エレクタール君にも言ったが、ベスター先生は少し体調を崩されてお休みだ」
『ウソだ(ですわね)』
セリフがかぶった。それでミスリムは苦い顔でリュサックを見るが、彼は彼女を見もしない。
「ベスター教官が少し体調を崩したぐらいで学園を休むわけがない。事前に休むつもりなら俺に教えてくれるし、こんな急な休み方は始めてだ。何があったんですか」
それで食い下がっていたのかと、ようやくミスリムは分かった。
普段ならほとんどのことを冷めた様子でこなすリュサックが、恩師のことになると気になって仕方ないらしい。そういう一面を知れると、相手の上に行った気がしてミスリムは気分が少し良くなった。
「だから何もない。ベスター先生だって人だ。突然の体調不良ぐらい――」
「そう言えば、先生もこの前お体をお悪くしてお休みになっていられましたわね。大変でしたでしょう? それなのに双子のお兄さんか弟さんは先生を放って、女性と楽しそうに温泉にご旅行。わたくしとある伝手からそれを聞き、愕然としました。なんて薄情なのかしらっと。あら? ですけど変ですわね。先生にご兄弟はいらっしゃらなかったような」
遮られた教師の顔色が分かりやすいほど変わった。そして、次に教師の口から出たのはリュサックが知りたがった真実だった。
真実を口外しないよう言い含められた二人は、職員室を出てきた。
ミスリムは気にしていない素振りで隣に立つリュサックの顔を窺う。彼の切れ上がった細い目が揺れている。分かりやすい動揺だ。
しかし、それも無理ない。彼がいまだに一本も取れないベスター先生が、転入試験の実技審査で病院送りにされたなど。
これは確かに大っぴらにできないことだ。メイジスタンプ随一の教師が転入しようとする人に負けるどころか、病院送りにされるなど学園のレベルが疑われる。
そして、その転入生は今日から登校してくる。
気を遣う言葉がすんなり出せるほど気安い間柄じゃないし、彼女のプライドも低くない。
「サンキュ」
「お待ちなさい」
ボソッと不快でない言葉を残して去ろうとしたリュサックを、ミスリムはすかさず呼び止めた。
「相手のことを何も知らずに挑むのは愚か者のすることですわ。まずは相手のことを調べ上げ、相手の能力・実力を正確に把握しなければ」
「随分と乗り気だな」
リュサックが意外そうな目を向けると、ミスリムは優雅に髪をはらって、
「使えそうなら欲しいですもの。あなたに潰されないように保護してあげなければ」
意地の悪そうな笑みを見せた。
「知っているか?」
「何がじゃ?」
校門に立つ男性教師二人は登校してきた生徒に挨拶をして、一旦話を切る。教師が持ち回りでやる立ち番で、挨拶の他生徒の著しい服装の乱れも注意するのだが、二人はやる気が無さそうで、挨拶はするが生徒の服装に関しては何も言わない。
「今日、転入生が二人も来るらしいぞ」
「急な話じゃな。ワシは何も聞いとらんぞ」
「俺だってそうだよ。何でもすごい後押しがあってトントン拍子で決まったとか。一人は人間で、一人は龍族らしい」
「最近でも変わった組み合わせじゃの~…………ということは、もしかしてアレはその転入生のせいか?」
「そうなんじゃないか。休み前は何でもなかったんだから」
と、週明けの朝、のんびりやっていた二人の前に憤然とした女子生徒がやってきて、
「先生、こいつの指導をお願いします!」
グイッとマントを引っ張って男子生徒を前に立たせる。
たたらを踏んで登場したのは三角帽子にマント姿、おまけに杖を持ったレイだ。ただマントの下はちゃんと制服を着ている。杖を持っていない方の手はコスモスが握っていて、こちらは制服をしっかり着こなして可愛らしい。
教師二人の前にレイを引っ張り込んだのは、言うまでもなくカレアラだ。前述したような姿のレイと学園までの道を一緒に歩いてきたのだ。生活圏内でそれは罰ゲームどころか精神的なイジメに近い。
「これはまた……」
「何かのコスプレかの」
どこか感心したような様子でつくづくと眺める。二人の反対に驚いているのが、なんとレイだった。
「魔神マラクスと魔神フルカス」
「魔神ではなく今は先生だ」
注意をしたマラクスは雄牛の被り物をつけ、ワイシャツの上に白衣を着ている。ちゃんとネクタイも締め、身なりは整っている。
「ん? お主どこかで……」
長く白いあごひげに手をやって考えているのがフルカス。見た目は高齢の老人で、髪は綺麗に真っ白だ。こちらはきちんとスーツ姿だ。
二人は呆然としているレイの帽子を上げて、彼の顔をじ~っと見つめる。
そして、二人は同時に気づいて声を張り上げ、
「まさかおまえ!」
「ロッド家の!?」
「はい。レイ=ロッドです」
顎が外れかねないほどの大口を開けて止まった。
そこでカレアラは「ウソでしょ!?」と思った。いや、確かに永い時を生きる魔神ならば七〇〇年前も一昔で、レイが生きていた時と重なるだろう。
でも、今ならばいざ知らず、魔界と地上の行き来が難しかったはずの大昔で、レイと魔神が顔見知りだとは考えも及ばなかった。
(マズイ! もし会長の時のように先生達が暴れ出したら……)
想像するだに恐ろしく、カレアラは真っ青な顔でレイを引っ張って背後に隠し、言い訳をしようとするが、「あの~、その~、これはえっと~」など言葉がまるで出てこない。
ヌッとカレアラを飛び越え、レイの三角帽子にフルカスのシワだらけの手が伸ばされた。
カレアラの視界の隅に、拳を構えて臨戦態勢に入るコスモスが見えた。
(ドラゴン娘と魔神二人が本気で戦い合ったらどうなるのよ~!)
などと声に出せず絶叫していると、
「会いたかったぞ、坊」
「ホントだぜ! いきなりいなくなりやがって、天使に魂ごと消滅させられたのかって魔界で噂になったんだからな」
歓迎ムードたっぷりの気安さ――マラクスはレイの首に腕を回し、フルカスは目を細めてあごひげを撫でながら笑っている――に、カレアラは肩すかしをくらってコケた。
「ちょっと待ってください!」
立ち直ったカレアラが困った顔でこめかみに指を当て、まず何を聞こうか迷った。そして、決まって三人を指さす。
「どういうご関係で?」
「こいつの先祖に世話になったんだ。封印されていた俺達を解放してもらったんだよ」
「それからチョクチョク力を貸すようになっての~。この一族が言い出すことがまた面白いんじゃよ~。変わった研究ばかりしておってな」
「そうそう。俺達を解放しただけじゃなく、亜人を人間に人間を亜人にしようとして自然の摂理を曲げようとしたから天使に狙われて」
「この坊の一族が原因で天界との戦争に入りかけたの~」
楽しそうに笑い合っているが、カレアラは全く笑えなかった。彼女は二人の間にいるレイを引っ張り出し、
「あんた、何をやってたのよ」
「いや、あの話は僕のひいひいじいちゃんあたりの話で、僕は全く無関係だよ」
ウソだと言わない所が恐ろしい……驚きも呆れも通り越し、カレアラは無言で頭上にぐしゃぐしゃの線を浮かべて項垂れた。
「父さんが魔神召喚をしていたからお二方のことも覚えていますが……こんな所で何をやっているんです? お二方の三十と二十の魔神軍団はどうしたんですか?」
聞かれたマラクスとフルカスは言い難そうに視線を明後日の方へ向ける。そこへ、コスモスがレイのマントをクイクイと引っ張って耳打ちする。
「えっとね、魔界も近代化に伴って軍縮政策が取られたの。しかも、一部の身分制度が見直されて爵位を失った魔神もいて、能力を生かして新しい仕事に就いた方も多いんだよ」
「……それは~……何とも……え~」
レイがコメントに迷っていると、
「ええい! そんなことはもういいんじゃ!」
「そうだそうだ! これはこれで俺達は楽しいんだ!」
やけっぱちのように叫んだ。
「というわけで仕事をするが、別に校則にはマントや帽子の着用を禁止する項目はないし、下にちゃんと制服を着ているから問題ないだろ。あ、授業中は帽子を取れよ」
「そうじゃの。杖だって武器の一種じゃ。お主だって剣を装備しとるじゃろ」
切り替えの早さとその判断にカレアラは仰天する。
「これアリですか!?」
『アリ』
ガックリするカレアラの後ろで、レイは嬉しそうにコスモスと手を叩き合っている。
「ところで、何であいつは今にいるんだ?」
今頃その疑問かと、カレアラは半ば呆れつつ、
「タイムスリップしてきたらしいですけど、そのことは秘密で」
「ほう~だからあの時代から突然消えたのか」
「あまり驚かないんですね」
「あの一族だからな~」
それだけで全てに納得がいくとは……本当にどういう一族だと、カレアラはうろんげな目を後ろのレイに送る。
「しかし、お主もラッキーじゃな」
「ハァ?」
何を言っているんだ、このじじい。とやさぐれかけているカレアラは素直に思った。
その時、チャイムが鳴り始めたので立ち番が終わった教師二人は校舎に戻っていった。登校してくる生徒も増えてきたから、レイに集まる奇異の視線も増える。
急いでカレアラはレイとコスモスを引っ張って学園に入り、玄関にあるゲートの入り方を教える。
「あんたはまだ学生カードを持ってないだろうから、来校カードを出してもらって」
壁にある事務室の窓口に行き、手早く説明して二枚のカードをもらって二人に手渡し、
「こうやって機械にかざして通る」
ゲートを通過して自分の学生カードが入るパスケースを振る。
見よう見まねで通過したレイはまた試しに戻ろうとしたので、カレアラにマントを引っ張られた。
レイとコスモスを連れて、カレアラは廊下を足早に進む。周りの視線や声は意識的にシャットアウトする。だが、二階の窓からグラウンドを見た時、カレアラの足が止まった。
「ねえ、グラウンドに見慣れない大穴があって、周りにロープが張ってあるんだけど」
「まだ整地してないみたいだね、パパ」
「だから直しておきましょうかって言ったのにな」
「……常識が無いのは仕方ないけど、ドラゴン娘の手綱ぐらいしっかり握っておきなさいよ!」
「え?」
レイの呆けた声を聞き流して、カレアラは目元を手で覆う。本当にこの二人は何をやったんだか。
「あ~も~いいわ。あそこが職員室だから、後は先生方の言うことをちゃんと聞いて、所属の組に案内してもらいなさい。それじゃね」
「わかった。ありがとう」
職員室を近くに見ておきながら、そこまでカレアラはもたなかった。
そこでレイ達と別れた彼女は、一年F組の自分の席に座るやいなや突っ伏した。休める内に休んでおきたいのだ。彼女はバカではない。この平穏がかりそめのものだと分かっている。
だから、朝のホームルームで担任が転入生を呼び込んだ時、驚きは全くなかった。
知り合いがいるからレイをあまり深刻にしないようにしていますけど、そのせいかカレアラがすごい大変そう。
そして、その大変はまだまだ続きそうでクラスメイトになりましたね。
あと、亜人を人間にというのは人魚姫的なね……あれですよ。
それでは、次回は授業でのアレコレです。