ここはどこ?
草原の中、青年は目を覚ました。
のっそりと上体を起こして、寝ぼけ眼で短髪の黒髪をボリボリかく。傍らにあった愛用の暗緑色の三角帽子をかぶり、木の杖を持って立ち上がる。
同色のマントと薄緑のローブについている草をはらって、青空を見上げる。
「どこだ、ここ?」
自分がなぜ草原のど真ん中で寝ていたのか、青年はよく分かっていなかった。
思い出せるところから順番に思い出す。
朝に目を覚まし、井戸の水で顔を洗って朝食にパンを食べている時に弟子が顔を見せに来た。「今日から親の仕事の手伝いで都に行かなければいけません」。以前から聞いていたことなので、暇つぶし用の本を持たせて送り出した。
それからはいつも通りで、午前中はゆったりと本を読み、午後は魔法の修練。昼食と夕食を兼ねた食事をしてから研究中の実験に入って…………これまたいつも通り爆発した。そこから記憶が無い。
腕を組んでいた青年は、もしかしたら爆発の影響でどっか知らん場所に飛ばされたのでは? と考えた。過去にも実験の爆発によって弟子の性別が変わったり、自分が若返ったり、モンスターを呼び寄せたりと、予測不能のことが色々起こった。
まあ、現在地を把握して帰ればいいやと、どこかのん気に結論付けた。
とりあえず、所持品の確認。大陸を移動していた場合、船に乗らなくてはいけないから金が必要になる。普段からあまりお金を持ち歩かないので、少しでもあればいいな~と淡い期待を持ってマントの下のローブをまさぐる。
と、何か固いものを掴んだので出してみた。
掌サイズの綺麗なクリスタルだった。見覚えはあった。研究の核としていたものだ。おそらく一緒に吹っ飛んできたんだろう。結局目ぼしいものは他になく、お金は一銭もなかった。
「薬草でも採取して薬師に売ればいいか」
その時、周囲の風と木々がざわつき出したのに気づいた。風に乗ってかすかに感じる獣臭。青年はすぐさま呪文を唱え出した。
待ち構えていると、木々の間から女性が飛び出してきた。その人を追って、大型の類人猿モンスターが木々をなぎ倒して現れた。
「フォトンバースト!」
モンスターに集束した光が激しく爆発し、頭を吹っ飛ばした。巨体が崩れ落ちるのを驚きで見送った女性――薄いライトブルーの長髪――は、背後にいる青年に気づいた。
女性の年の頃は青年とそう変わらない十代半ば。装備は胸や関節、急所を守る軽鎧姿に両刃の片手剣で、一見して戦士系の職種だと分かる。
「大丈夫かい? 剣士さん」
近づいてくる青年を女性は訝しげな視線で上から下までジロジロと見る。
変に警戒をされたくないと思い、青年は少し間合いを開けて止まる。
「僕の名前はレイ=ロッド。見ての通り魔法使い」
自己紹介をしたのに、さらに彼女は不審な目を向けてくる。剣だって鞘に納めてくれない。レイはどうしようか悩んで、杖の頭で三角帽子の上から髪をかく。
「キミは一人かい? 大きなお世話かもしれないけどモンスターが出る野山に行くならパーティを組んだ方が安全だよ。回復魔法が使える僧侶の方がいいだろうけど、あてが無いなら魔法使いでもいい。まあ、何にせよ一人は危ない。怪我をして動けなくなったらどうしようもないからね」
そっちも一人だろって返されたら言葉がないなっと思いつつ、彼女の反応を待つ。
しかし、ツッコミも何もない。仕方なく、レイは黙って彼女と向き合う。
綺麗な子だ。小さな顔立ちなのに瞳は大きく黒い――じっと見ていると吸い込まれそうだ。姿勢正しく手足が長い。それでいてスタイルも良い。鎧に潰されているのに胸が豊かだと分かるし、引き締まっているお腹はくびれて細い。
鎧の下にある服装は旅装だとは思えない軽装だ。白を基調としたジャケットとスカート。あまり見かけたことのないデザインだ。
こんな娘はふもとの村にはいなかった。やはりここは知らない場所だとレイは確信する。彼が何もしないからか、ようやく彼女は剣を鞘に納めた。
「助けてくれてありがとう。私の名はカレアラよ」
素っ気ない声。まだ警戒心は解いていないようだ。
それでも構わず、レイは話を始める。
「尋ねたいことがあるんだけど、ここはどこなのかな? どうやら実験の失敗で飛ばされたみたいで、自分がどこにいるのか分からないんだ。ブリースタイの山に帰りたいんだけど……知ってる? 田舎だから知らないか」
自嘲気味の笑顔を見せると、カレアラは再び不審そうに眼を細め、怪しんできた。
会話のどの部分がまずかったのか分からず、レイは首を傾げる。
「…………あ、もしかして、距離があり過ぎてこんなところにいるはずがないとかって思ってる? いや、実はよく……ではないけど、実験をしていると不思議なことが起こるんだよ。今回もそれの一つなんだ。はからずも空間移動をしたみたいで」
言えば言うほど、カレアラは怪しんでいるようだった。だが、彼女は最初の質問に答えてくれた。
「ここがブリースタイの山なんだけど」
「へ?」
キョトンと目をしばたかせた後に、レイは周囲を見回す。ブリースタイの山に住むレイにとって、山は庭のようなものだ。目隠しをしてふもとまで行けと言われて、行けないこともない。そのレイが周辺の風景を見て、ここはブリースタイではないと思うが、彼女の言葉も否定しきれない。木々の向こうに見えた別の山の形が記憶と重なるからだ。
頭上に疑問符を浮かべてレイが悩んでいると、何やら変な音が聞こえてきた。「ピピピピピピ」と連続する音で、鳥の声ではなさそうだ。
すると、カレアラがポケットから何か小型の箱を取り出した。どうやらそれから音が発せられているみたいで、見ていると彼女は小箱に耳をあてた。
「ちょうどよかった。こっちは無事にモンスターを――」
いきなり箱に向かって話し始め、レイはどうしたのだろうと思った。彼も思考を整理するために独り言をすることがあるが、あまり人前ではやらない。変な人に見られるからだ。つまり、レイは変な人を見る目でカレアラを見ている。
「なんでよ!?」
いきなりの怒声に、レイは肩を跳ねらせて驚いた。自分が怒られたのかと思ったが、カレアラは背中を向けて小箱に怒鳴っている――訳が分からない。
(もしかしてあの小箱は、通信用のマジックアイテムなのかもしれない。見たことない種類だけど)
そうすると、ムクムクと好奇心がわき上がってくる。こっそり近づいて、小箱を観察する。
(四角く薄い――小さすぎるし薄すぎる。しかも、スイッチやボタンの類がない。どうやって操作するんだ? 魔法力に反応して動くのか? いや、待て。彼女は剣士だ。魔法力があるとは思えない……エネルギー源は何だ?)
いつの間にか随分と近づいていて、小箱から耳を放したカレアラにレイは睨まれ、彼女は体を守るように腕で抱いて一歩退いた。
「あんた、ふもとに行って助けを呼んで来てくれる。私の……クラスメイトがドラゴンに襲われているみたいなの。場所はGPSを使えばすぐ分かるから」
カレアラの頼みごとに、レイは首を傾げる。
「本当にここがブリースタイなら、ふもとの村に助けを頼んでも何の力にもなってくれないよ。それにクラスメイト? 都の学校に通っているのか? わざわざこんな辺境の山に何をしに来たの? それに、じ~ぴ~えすとは何だ?」
「何を訳の分からないことを悠長に言ってんのよ! ドラゴンよ、ドラゴン! あんな奴らでも見捨てるわけにいかないし……私は急いで向かわなくっちゃいけないの! とにかく、ふもとに行って助けを呼ぶ! 頼んだわよ!」
カレアラは先程の小箱の表面を指で撫でながら走っていった。レイは前髪をかいてから三角帽子を外して、中に手を突っ込んでホウキを取り出した。それに跨って魔法を唱えると宙に浮き、音もないスタートを切ってすぐに彼女に追いついた。
背後からカレアラの腰を抱いてホウキの柄に乗せる。
「な!? は? へ? ん? って! え? これ? は、はぁ~!?」
最初は怒りの声を上げかけたカレアラだが、ホウキに乗って空を飛んでいると分かってくると、言葉にならない声を次々に上げた。
カレアラを回収し、枝葉の隙間から木々の上に出る。
「僕が手伝うよ。ドラゴンなら心当たりがある。キミのクラスメイトがいるのは洞窟の奥だろ?」
「…………え……あ、うん……」
呆気に取られつつの返事だったが、それにレイは頷いた。
障害物がない空から頂上を目指す。見える頂上の形も記憶にあるブリースタイと同じだが、眼下にある木々の様子は全く違う。密集している場所も開けている場所も違うし、何やら見知らぬ道もある。
そういった疑問は一旦置いといて、レイはかなりの速度でホウキを飛ばす。魔法によって風から身を守っているので、呼吸も会話も問題なくできる。が、スピード感だけはどうにも出来ない。ホウキの柄に座るカレアラを支えているのは、腰に回されているレイの細腕だけ。不安からカレアラはしっかり彼のローブを握りしめる。その力強さは落ちたら道連れする気満々だ。
「キミのクラスメイトの中に、魔法使いか僧侶はいる?」
「あ、当たり前、でしょ!」
「それなら大丈夫だよ。僕の知っているドラゴンなら話の分かる子だ。むしろ、キミのクラスメイトが虐めていないかが心配だよ」
「ななななんだ……ってぇ~?」
どうやら会話をする余裕もないようだ。怖がる素振りを見せず気丈を装っているが、声が震えている。
(まあ、魔法使いでも単独で空を飛べる人は少ないからな。空を飛ぶ経験なんて初めてだろう。慣れていないと怖いよね~)
これからの道順を考えると可哀想だな~っと思うが、急いでいるって言ってたから仕方がない。
頂上についたレイは、カレアラに教えておく。
「あそこから入るよ」
「え?」
眼下にあるのは、黒く狭く深そうな割れ目。
「ちょ、待って」
青ざめてるカレアラの覚悟が完了するのを待っていたらどれだけ時間がかかるか分からない。レイは容赦なくホウキを下に向けて突っ込んだ。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!」
声にならない悲鳴がレイの近くで聞こえる。カレアラは必死に彼にしがみつく。
レイの運転は問題なかった。何度も通った道だし、むしろいつもより幅が広くて簡単だった。しかし、しがみつくカレアラの力強さ。たどり着く前に背骨が折れる方が先じゃないだろうかと本気で思った。
一分もかからず着いたが、カレアラは気づいていない。レイは何度も何度も彼女の肩を叩いた。
「着いた、着いたよ」
掠れる声を出し続けながら、気づいてもらおうと命をかけていた。ようやくカレアラが気づいて、
「なに抱きついてるのよ!」
レイを突き飛ばした。
割れ目から降り注ぐ太陽光に育てられた草花が茂る地面に落ちたレイは、ぶつけた腰をさすりながら起き上がり、その隣にカレアラが下り立つ。
レイはホウキを帽子の中に戻しながら、広い空間に響く激しい音に気づいた。
そっちに目をやると、銀色の輝く鱗を持つ巨大なドラゴンが腕を振り回して人を襲っていた。
すぐに続きを更新します。少々お待ちください。