王と王妃 上
「意図せぬ復讐」後日談、その後のリーシアと旦那様の様子です。
たぶん甘くはならない。でも余所見はしない。
「君ががんばってくれたら要らないよね、他の妃なんてさ?」
ファラングという大国の頂点に君臨する男は、そう言ってリーシアに笑いかけてみせた。
リーシアの夫であるファラング王レザリオには、リーシアの他に妃がいない。そもそも彼はリーシアの生国であるシグルム併合後に妃を娶るとしており、それを待たずにリーシアを王妃に据えたことは電撃的と言えば電撃的であった。
ファラングの先代国王が掲げた版図拡大によって併呑された国は最終目的地シグルムを除いても軽く二桁に及ぶ。実際にシグルムを併合して版図拡大を成し遂げた当代の王レザリオは絶大な支持を得ており、ファラングの有力貴族はもちろんのこと、併合した各地域の元王族との縁談も多数持ち上がった。王妃については版図拡大を成し遂げた後に考える、として結婚を先送りにしていたレザリオだが、彼はシグルムからのありがたい「贈り物」であったリーシアと邂逅した際に彼女を王妃にすると即決した。
それだけの価値をリーシアに見いだしたのだ、と思えばリーシアも悪い気はしない。しないのだが、恐らくそれほどリーシアに都合の良い話ではない。
その分析が正しかったことを、彼女は身を持って知ることになる。
一夫多妻を容認するファラングでは、王族や貴族が政略的に意味深い妻を多く娶ることは珍しくない。
先代国王には正妃と二人の側妃、合わせて三人の妃がいた。過去の例を見ればむしろ少ないぐらいである。
正妃が第一王子を産んだ後、先代国王は側妃たちを寵愛し第二及び第三王子が生まれた。その後寵愛は再び正妃に戻り、レザリオと弟が生まれた。
王子が五人ともなれば血生臭い継承争いが起きても不思議ではないが、第四王子であるレザリオが王位を継いだのは別に争奪戦に勝利したからではない。母親違いであっても兄弟仲は悪くなかった。第二及び第三王子は優秀な第一王子を補佐することを受け入れていた。しかし第一王子は暗殺され、先代国王は次の王太子にレザリオを定めた。異母兄たちはやはりその決定を受け入れた。彼らは正妃腹に生まれた兄弟たちの優秀さを認めており、そして第一王子が命を落とした理由もよく理解していたのである。
かくしてレザリオは異母兄たちと同母弟の協力を得つつ、先代の没後王位を継いだ。
それから四年、一切の縁談を断り続けたレザリオが突如迎えた王妃リーシアの存在のおかげで、レザリオと縁を結ぶことを望んでいた者たちの胸中は複雑であった。正妃の座を逃すことにはなったが、レザリオが妃を迎える気になったのだと思えば悪いことばかりではない。
側妃の子どもであっても王位継承権は平等に与えられる。元より正妃の座は政略的に最も有意義な者に与えられることが多いのである。歴代のファラング王の系譜を紐解けば、正妃腹の王は意外に少ない。王の寵愛さえ得られれば、側妃でも十分権力を持ち得るのである。
そんなわけで、正妃を迎えたばかりのレザリオのところには変わらず大量の縁談が持ち込まれていた。それに対してレザリオが言うには。
「えー、だってリーシアは一夫多妻が容認されていないシグルムで育ったんだよ? そもそもの価値観が違うんだから、一夫多妻を受け入れろって頭ごなしに言うのはかわいそうでしょ」
どうやらなし崩しで大勢の妻を持つことはしないようである。
この時点で既にリーシアは疑問を持っている。
レザリオの発言はまるでリーシアのためを思っているかのように聞こえるし、確かに幾ばくかはリーシアへの気遣いも含まれているだろうが、それは単なる口実であって、本音としてはレザリオ自身がただ煩わしがっているだけだとリーシアは考えている。
彼女の役割は、もちろん防波堤代わりなどという程度では終わらない。
使えるものは何でも使う合理主義者のレザリオがそれだけで終わらせるはずもない。
リーシアはシグルムの最後の王妃から王妃となるための教育を施され、その際外交についての教えと訓練も受けた。それはシグルム王妃が外交面で特に有能であったがゆえのことであり、それによってリーシアは「王妃」としての素養に加え「外交官」としての付加価値も持ち合わせることとなった。
版図拡大によってファラングの領土は肥大化した。既に征服したとは言え元は別の国々、ただファラングのやり方を押し付けるだけでは軋轢が生じやすい。圧倒的な強者として無理を通すことはできるが、それではいずれ瓦解する。せっかく多くの国を呑み込んだと言うのに、ただ不穏分子を身の内に抱えただけとあっては骨折り損である。相手が元は他国である以上、余計な反発を防ぐために求められるのは優れた外交手腕であった。
国と国との交渉も、突き詰めれば人と人との付き合いである。事実、シグルム王妃はその顔の広さでもって近隣諸国との同盟を実現させ、最後までファラングを手こずらせた。その後継者であるリーシアが期待されるのも無理はなかった。
敵対関係にある者たちを結びつける上で婚姻を結ぶのは使い古された手であった。使い古されてはいても、今もって十分に有効な手段である。
レザリオとの縁談を望むうちの約半数はファラングに併合された国の元王族たちであった。政略的な優先順位をそのままレザリオの妃の序列に反映させるとすれば、恐らくはそうした元王族の側妃たちがぞろぞろと送り込まれてくるに違いない。
それは体のいい人質、ファラングに対する恭順の証である。或いは懐柔して威を借る算段か。
いずれにせよファラング側としてもその手の有効性は当然理解しているわけだが、できれば別の手段で併合した地域との関係を良好に保ちたいのが本音である。そうすれば、レザリオが政略的な側妃をやたらと持つ必要はなくなり、後々の継承問題に発展することもない。
後の面倒事を避けるために今面倒事を片付けてしまいたい、というレザリオの考えは分かる。分かるがしかし、実際にその面倒事を片付けるのはどうやらリーシアになりそうである。
「君ががんばってくれたら要らないよね、他の妃なんてさ?」
夫がにっこり笑って言い放った台詞である。
なぜだろう、聞き様によっては甘い睦言と捉えることもできそうだと言うのに、面倒事を丸投げされた感じが否めないのは。
リーシアの耳にはこう聞こえた。
――他の妃なんて必要ないくらいがんばって働いてね。
側妃問題、ひいては併呑した地域との交渉を、王妃にして外交官のたまごでもあるリーシアに任せる。
すばらしい起用方法である。適材適所である。
引き換えに、リーシアは当分ゆっくりできそうにないけれども。
普通なら正妃と側妃の間でバチバチ火花が散る展開が来そうですが、とりあえずそんな話にはならないです。ジャンルを恋愛にしようか迷ったんですが、主人公たち恋愛はしてないわ、と開き直りました。