第五話
ヒノら三人は、助けた少女を朱雀島の病院に担ぎこんだ。
幸い、少女はかすり傷だった。ただ霊気に当てられたせいか、意識が戻らなかった。現代医療ではどうしようもない。結局、一晩ほど入院させて様子を見ることになった。
「身元を示すものは?」
「たぶん船に積んであったんだろうけど……」
ヒノは肩をすくめた。
少女は、島の人間ではなかった。
小型船は沈没し、荷物も湖の藻屑だ。彼女の身元を知る手がかりはなくなってしまった。
「ま、しゃーない。わかるまで朱雀門家で面倒見るよ」
「面倒見がいいよね、ヒノは。いいところだよ」
「……褒めても何も出ねーぞ」
ヒノは照れたようにそっぽを向く。
「ま、それだけじゃなさそうだけど?」
「どういう意味だ、おスミ?」
「この女の子さぁ~……少なくとも見た目はヒノの好みだよねぇ」
すみれが、ベッドに眠る少女をじっと見つめる。
少女は美しかった。白い肌に、ピンクの唇。まだ湿り気の残る髪は、クセのないストレート。漆黒のつやが美しい。体つきはほっそりとしているが、胸や腰は理想的な曲線を描いている。
「あと、声もちょびーっとだけ聞けたけど……まるで鈴みたいだったわよねぇ?」
扇子で口元を覆い隠しながら、すみれがジットリした目つきでヒノを見る。
「な、なんだよっ」
ヒノはうろたえた。
「おーここじゃここじゃ」
病室に、明るい老人の声が響いた。
「祖父様! どうしてここへ?」
「連絡があっての。話は聞いたぞい」
喜代輔だった。
島の周辺で起こる水難事故は、朱雀門家にも報告がいく。普通の事故ならまだしも、それが怪奇現象の類であれば、朱雀門家が対策を立てる。それも古くからの仕事だ。
「ふむふむ……間違いはないようじゃな」
喜代輔は手帳と少女を見比べる。
「ヒノ、おスミ、啓介。紹介するぞ」
芝居がかった身振りで、喜代輔は少女を示す。
「この娘が、玄武院家総領・玄武院定黒が長女、玄武院姫子さんじゃ」
「はぁ?」
「え?」
「何?」
ヒノが止まった。
すみれも啓介も言葉を忘れ、少女を見つめる。
「この子が玄武院姫子? じゃ、あ……」
ヒノが息をのむ。
「オレの……嫁……?」
ヒノは突然、片手で顔を覆った。肩がワナワナと震える。
「……っ!」
ヒノは逃げるように病室を出ていった。
「ちょっと! ヒノ!」
すみれがあとを追う。
「あ、僕も行ってきます」
「ほっとけほっとけ。見たか、あやつの顔。真っ赤になっとったぞい!」
喜代輔はカラカラカラと大笑いした。
「ん……」
少女――姫子の目元がピクリと動いた。
「あ、気がつく」
姫子はゆっくり目を開け、まぶしそうに細めた。
「ここは……」
「病院だよ。大丈夫?」
「あなたがたは……」
姫子の声は、小さくても澄んでいた。水晶の鈴を転がせば、こんな音になるだろうか。
「わしは朱雀門家総領代理、朱雀門喜代輔じゃ」
「すざくもん……?」
「ようこそ、朱雀島へ。玄武院姫子さん」
姫子が、たちまち覚醒する。
「お、お許しください!」
姫子は飛び起き、いきなりベッドに三つ指をついて頭を下げた。
「いきなり、こんなご迷惑をおかけして、なんとお詫びをしたらいいか……!」
「あ、ああ、うん。まあそう、かしこまらんでええんじゃよ」
喜代輔はとまどいつつも、姫子をなだめる。
「あ、あの……」
ようやく頭を上げた姫子が、おずおずと尋ねる。
「わたしを助けてくださった、赤い鎧の方は……」
「赤い鎧? ああ、ヒノのことかな」
「ヒノ、さん?」
「次期総領、朱雀門炎夜叉丸じゃ。ワシの孫でもある」
姫子が驚いたように、はっと息をのんだ。
「姫子さんや、何があったか……話せるかの?」
喜代輔が尋ねる。
「島を……玄武の島を出て、途中で、襲われました」
「あのミズチに心当たりは?」
「わかりません。あんなのを見るのは初めてで……怖くて」
姫子がうつむく。
「わたし、何か悪いことをしてしまったんでしょうか?」
「なぁに、そうとは限らんさ。理由を調べるのも、わしらの仕事でな」
不安そうな姫子の頭を、喜代輔はなでた。
「安心するんじゃ。これからは、朱雀門家が姫子さんを守る」
姫子はすこし驚いたように顔を上げた。
「特に、あのヒノがな」
喜代輔が病室の入り口をチラと見る。
「こらヒノ! 逃げんじゃないわよ!」
「引っぱんなー!」
ヒノとすみれの声がする。
「はい、入る!」
ドン、と突き飛ばされてヒノが病室に戻ってくる。
すみれがすぐさま続き、ドアを閉めて仁王立ちになる。
「~~……」
「さあ、ご挨拶なさい」
「挨拶、ったって……」
ヒノは照れたように頬をかく。
「初めて会ったときは、フルネームを名乗るんだよ」
啓介がぼそ、とつぶやく。
「す……朱雀門明紀兼が嫡男、朱雀門炎夜叉丸、だ」
これでよかったよな、とヒノは目をそらす。
「玄武院定黒が長女、玄武院姫子と申します」
姫子はベッドの上にかしこまった。
「玄武院家と朱雀門家の永き睦みを結ばんがため、玄武島より参りました。ふつつか者ではありますが、どうぞ末永く……よろしくお願いいたします」
しきたり通りの挨拶だった。
「よ、よろしく」
ヒノは思わず手を差しだした。
姫子が応じ、二人は握手を交わす。
姫子の表情がふっとやわらいだ。ようやく安心を得たようだ。
「さあ、騒ぐのはおしまいじゃ。姫子さん、今夜はゆっくり休むといい」
「ありがとう、ございます」
鈴のような声だった。
初出:2015年乙未01月05日