第二十六話
御陵島から、光の柱が立った。
その中心から、漆黒の大蛇が空に向かって立ち上がる。
その様子は、どの島からでも見えたに違いない。
――オオオオオオ。
まるで風の吹き抜けるような、太い鳴き声。満足と憎悪に満ちた叫び声。
早暁のなれの果ては、ミズチなど足下にも及ばない大妖蛇と化した。全身にくろいもやをまとい、無数の触手が背から生えている。瞳は太陽のごとく光り、口は四つに裂ける。
その姿が太陽の光を浴びて、堂々と屹立する様は、世界への冒涜であるとさえ思えた。
石室から脱出したヒノには、その姿を見ている余裕はなかった。傷ついた姫子を地面に座らせる。ヒノは自分の袖を裂くと、姫子の傷に当てた。布が赤く染まる。
「姫子! 姫子、しっかりしろ!」
「ヒノ、さん……」
「大丈夫だ。見た目より多く血が出てるだけで、傷は深くない」
頭部の傷を手当てしながら、励ます。
「ヒノ! 姫子ちゃん!」
「おスミ! 啓介!」
誰よりも早く、二人の眷属が到着した。
「姫子ちゃん……ひどい怪我」
「だ、大丈夫です。それより、あれを、何とかしないと……」
姫子の瞳には、巨大な蛇が映っていた。
「思いついたことがあるんです」
打った頭を押さえながら、姫子は落ち着いた声で言った。
「わたしも、飛べます」
「え……?」
ヒノは目を見開いた。一瞬、姫子が錯乱しているのかと思ったほどだ。
姫子が続ける。
「四人の力を合わせて、飛ぶんです」
「姫子……」
「短い時間でしょうが、きっと飛べます」
姫子は確信を持って言っている。
ヒノにはそれが真実だと感じ取れた。
すでにすみれと啓介も、自分が何をすべきか悟っている。
「今度こそ、死ぬかもしれないぞ?」
「いいえ、死にません」
「そう……だな」
ネガティブになってはいけない。
いつでも――四人の想いは、同じはずだった。
「オレは姫子を守る」
「わたしはヒノさんを守ります」
「あんたたちは、あたしたちが守るわ」
「頼むぜ」
姫子が目を閉じる。
「玄武防禁術、装身纏開」
一瞬、姫子は光に包まれた。光が消えると、全身を漆黒のウェットスーツのようなものに覆われていた。だがつやのあるそれは、ボディラインを美しく描き出し、翡翠色の線がきらめいている。その上に、古の天女のような羽衣が何枚も重なる。
黒い飛天。なまめかしく玄天を飛ぶ仙女の姿だ。
「姫子……」
ヒノは姫子の傷にそっと口づけた。
血という〈ケガレ〉を、身の内に取り込むために。
「朱雀比翼術、装身纏開」
ヒノは鎧に包まれた。炎のように伸びた髪、強い生気を宿した瞳。かぎ爪で覆われた指先と足先はその力を見せつけ、剣を連ねたような翼を広げる。
朱い飛天。凛々しく蒼穹を飛ぶ戦士の姿だ。
「行こう!」
「はい!」
二人は空を飛んだ。
「青龍夢幻術、桜花!」
大量の花びらが、竜巻となった。それを足がかりにして、ヒノと姫子が空を駆け上がる。
朱黒に輝く比翼の鳥。二人の姿はまさにそれだった。
――ルウアアアアア……!
大妖蛇は即座に二人を見つけた。ビョルン、と触手が伸びて二人を拘束しようとする。
「白虎戎器術、銀箭!」
だが四人の方が早かった。啓介の弓から銀色の矢が放たれ、触手を撃ち抜く。
ヒノと姫子は大妖蛇の周囲を猛スピードで旋回する。
「蛇の姿に触手か。大きさは変わっても、血は争えないと見える」
おそらくあのミズチも、この姿をもとに造られたのだろう。
そう思うと、ここでこの大妖蛇を葬ることにためらいはなくなる。
(早暁さんは、もういない)
兄のように慕った。慕われていた。
実力があって、人望があった。
何度も助けられた。それに報いたいと思っていた。
――すべては嘘で、すべては真実だった。
「千年の幻想、ここで終わらせるよ。早暁さん!」
ヒノは大妖蛇へと突っ込んだ。迫る触手を避け、切り払い、肉薄する。
「朱雀比翼術、華落!」
全体重と、すべての思いを乗せて、大妖蛇を殴りつける。
すぐさま触手のカウンターが飛んだが、ヒノはかぎ爪で切り裂いた。
「わたしだって……朱雀の妻、玄武の血を引く破邪の一族!」
姫子が叫んだ。気弱な少女の面影は、今は消えている。彼女が回転すると、羽衣が硬質化して触手を阻む。阻んだだけではない。ヒノの翼と同じように、触手を切り裂いた。
「玄武防禁術――碧流!」
青緑色の光が、八角形の壁となってあらわれる。姫子が手を広げると、壁は大妖蛇へと飛び激突する。
――オオオオオオ……ン。
――オオオオオォ……ン
大妖蛇は身をよじって苦しむ。
早暁は、もとの姿に戻ると言った。だが今までと違いすぎる巨大な体を持てあましているようだった。
「哀れな……」
千年の恨みは、こうも人を愚かにしてしまうのか。
破滅へと向かっていく大妖蛇に、ヒノは怒りさえ覚えていた。
世界に抗うような異形の姿に何の意味もない。ただおぞましいだけの道化だ。
早く。早く屠ってやった方が、彼のためだ。
「姫子! 今のをオレの技でぶつける。できるな!」
「はい!」
「玄武防禁術、碧流!」
「朱雀比翼術、華落!」
強大な拳の力で、堅牢な結界をそのままぶつける。人間の拳だけではとうてい不可能な破壊力が生み出された。
大妖蛇の体が大きくひしゃげ、揺らぐ。おそらく骨を破壊しただろう。
「ヒノさん!」
「ああ!」
二人は空中で手を取り合った。回転しながら、おたがいを引き寄せる。
「呼ぼう、二人で。――わかるな?」
「はい、もちろん」
二人は生命を燃やしていた。二人の司る力が、天へと届く。
ヒノの持つ、朱雀――炎の力。
姫子の持つ、玄武――水の力。
青空がまたたくまに失われ、暗雲へと変わる。
だがそれは大妖蛇のせいではない。四方神一族の直系、千年の血筋が起こす奇跡だ。
二人は高度を上げ、雲の中へ飛び込んだ。
「我が朱雀の力」
「わが玄武の力」
「祖霊に祈り奉る――我らに力を!」
炎と水の力が高まり、ひとつの剣を呼び起こす。
天にありて雨を呼ぶもの。
地に落ちて炎と成るもの。
閃光と轟音を帯びし、天地の剣――雷。
雷光が天地を結ぶ。
天と地をゆく、赤き比翼の手に乗って。
「行くぞ、姫子!」
「はい、ヒノさん!」
二人は稲妻となって、黒き大妖蛇へと落ちた。
頭を割り、口を割り、胴体を引き裂いて、雷光は御陵島の中心部深くまで到達する。
大蛇の体が真っ二つに裂け、炎に呑まれて消滅する。直後、衝撃と爆音があたりに響いた。
そして陵墓は完全に崩れ、雷光となった二人を巻き込んで沈黙した。
雲がゆっくりと晴れていく。
四方神島を襲った災厄に、終止符が打たれた。
初出:2015年乙未01月26日




