第十九話
血相を変えた喜代輔の弟子が、その知らせをもたらした。
「ミズチが浜に来たじゃと!?」
「はい!」
すぐさま、ヒノたちは美波浜へと向かった。
あたりはすでに、警官や四方神会所属の退魔士らが封鎖していた。
「ミズチだ……」
まるで岩のように座していた。静かに目を閉じている。
「敵意は……ないようじゃな。なにか、訴えようとしておる」
喜代輔がうなる。
「巫女をあてがった方がいいのう」
「巫女ったって……」
「あたしの出番ね」
すみれが進み出る。
「で、できるのか?」
「青龍園の血をつぐ女は、みな巫女の素質がある。もちろん、あたしにもね」
すみれは得意げに笑った。
「交感できるかどうかは、あっちしだいかな」
「おスミが通訳するとして……誰が話を聞きに行く?」
その場にいるのは、喜代輔、明紀兼、ヒノ、すみれ、啓介だ。姫子はミズチに狙われたことがあるため、夕香子とともに屋敷に残った。
「ぼくと啓介君が残りましょう。父さん、ヒノ君、行ってきてもらえるかな?」
「わかった。援護はまかせるぞい」
まずはすみれがミズチに近づかなくてはならない。最も危険な行為だ。
「おスミ、気をつけてな」
「ええ」
すみれが大きく息を吸いこむ。青みがかった髪を、ばらりとほどく。閉じた扇を胸元に持ち、ゆっくりとミズチの前に進む。
扇がふわりと舞い上がった。
扇ではなかった。光る花のつぼみであった。白い花弁が閉じている。
つぼみが宙に舞う。ゆっくりとすみれの頭上で止まった。
「ひらけ……」
つぼみが開いていく。ミズチとともにすみれを包んでいく。
すみれの魂が萌ぎ、ふるえあがるのがわかる。彼女の魂が体という枠を超え、さらに外に向かって大きく開き、異形の魂を受け入れようとしている。
すみれの体がくるんと回転した。ヒノたちに向き合うように。
「ヒノ」
「ああ」
喜代輔とヒノは光の中に足を踏み入れた。すみれの横に立つ。
光の色が変わった。影をはらみ、明確な形を作る。
牡丹の花弁だった。
ミズチと三人を包み、ふわりと閉じる。
人と異形が、巨大な牡丹の花のうちで相まみえた。
「これで貴殿との話は、我らしか知り得ぬ。さあ、語るがよい」
喜代輔が告げる。
『おれは人だよ』
すみれの口から、男の声がほとばしった。
若い男の声だった。
「……人、だと?」
『おう。そして神である。駒でもある』
「人の霊魂を、神に祀り上げたか」
『察しがいいな、さすがは四方神の一族』
死した人間を、神と扱う例は多い。強い不満を残して死んだ彼らは、怨霊となる。怨霊はこの世を脅かす。その怨霊を神として祀る。死してなお荒ぶる彼らを、神として祀ることで鎮め、崇め、慰める。
そうすることで怨霊を味方につけることさえできる。人は人への恐怖を材料として、神を造り出すのだ。
このミズチもまた、そのようにして「造られた」神であるらしい。
「問おう。貴殿を神とする目的は何ぞ?」
ミズチがちろりと舌を出す。
すみれの目が細くなる。
『おれは裏切られた。おれはもう人間に戻れない』
「裏切られた?」
『金も力もくれると言ったのに』
恨みの言葉だ。おぞましい声だった。
『あのきれいな娘も嫁にしてやると言ったのに。あの玄武のきれいな娘……』
「何だと!?」
ヒノは思わず声を上げた。
(まさか、姫子を襲った理由は――!)
彼女を追ったのは、それが目的だったのか。
ヒノの心臓を強烈な不快感が襲った。ズキズキと痛むようだった。
喜代輔が尋ねる。
「それが、玄武の娘を襲った理由か」
『もはや我が手のみで得られるものはそれしかない』
すみれがうつむく。すみれに乗り移ったミズチはグツグツと笑った。
『愛しきものよなぁ……』
底冷えのする声だった。
ヒノは直感した。もはやこの者にも人の面影はない。次に対する時は、殺し合うことになるだろうということを。
「答えよ。貴殿を裏切ったのは、いずこの者だ?」
突如、結界が消えた。
「!?」
すみれが支えを失ったように崩れ落ちる。ヒノはあわてて受け止めた。
「退治せよ!」
「オルギム……!?」
オルギム・アームズの隊員らが、封鎖を振り切って浜辺に突入してきていた。
ミズチがカッと目を開く。
「バカ、刺激するな!」
ヒノの制止はかき消された。
『シギャアアアアアアアアッ!』
怒りの声が、ミズチからほとばしった。
水中ですさまじい速度を見せたミズチは、陸上にあっても俊敏だった。巨大な蛇体がさながらムチのように飛び、隊員に襲いかかる。
「うわ、うわ、うわああああアアア――――!!」
隊員のひとりが噛みつかれた。胴体が真っ二つに折れ、ミズチの口の中に消えていく。
「喰った……」
「喰った! 人を喰ったぞ!」
「喰いおったぞ!」
朱雀島の退魔士のあいだに、戦慄が走った。
「全員、退避!」
「し、しかし!」
明紀兼が鋭く叫ぶ。
「命令だ! お前たちの敵う相手ではない!」
「ヒノ、おぬしはおスミを!」
「ああ!」
倒れたすみれを、ヒノは担ぎ上げる。
オルギム・アームズはその間にも、ミズチに攻撃を加える。
だがミズチの方が強かった。隊員たちが次々とやられていく。黒いもやを触手にしたミズチは、隊員の武器をはたき落とし、締め上げ、噛みつき、無残な骸を量産する。
「総員、攻撃をやめよ!」
やがて岐矢の命令で、わずかに残った隊員たちも攻撃をやめる。
『シュウウウウ……』
ミズチは身をひるがえし、湖へと飛び込んだ。
同時に、黒い雲が空に垂れ込めはじめた。
意識を失ったすみれは、朱雀門家に運ばれた。
「すみれの様子はどうじゃ?」
「強制的に感応が解けたので、意識を取り戻すにはまだ時間がかかりそうです」
夕香子がすみれの容態を看て、部屋を出てきた。
「大丈夫、なんですよね?」
「ええ、それは」
あの時、すみれとミズチの感応は突如として断たれた。つながっていた回線を乱暴に切断したようなものだ。下手をすれば、意識をミズチ側に持っていかれ、廃人になる可能性もあった。
「やれやれ、危なかったのう」
喜代輔が安堵する。だが事態が深刻になってしまったことに変わりはない。
「ミズチは人に対し、明確に敵意を示した」
「でも、あれはオルギムのせいで……」
「制止しきれなんだは、わしらのミスでもある」
誰もが暗い気分になった。
「神堕としをせねばなるまいて」
「神堕としって言うけどさ、まず神って何だよ?」
「そうじゃな……」
西洋における神や精霊とはまた異なる存在だ。神霊と呼べばまだ理解しやすいだろうか。妖怪に似た存在であるが、ずっと高位の存在だ。
人はそれを祀り、崇拝する。
神霊はそれに応え、守護や福を与える。
「まあ、神社に祀ってある神様だと思えばいいんだよな」
「そうじゃ。じゃが人に害をなした場合、我々は神霊への敬意を捨て去り、排除する」
祟り神、邪神、呼び方はなんでもいい。人に仇なす神霊は、その座から引きずり堕とす。それが「神堕とし」だ。
「神堕としは多大なリスクをともなう」
「リスク?」
「祟りじゃよ」
神霊を退治したのち、その怨念がさらに災いをなす場合がある。
「じゃから四方神島では、神霊を殺すのは四方神一族の仕事としてきた」
「大蛇退治の件、ヒノたちにも協力してもらいたい」
現総領・明紀兼が若者たちに言った。
「君たちは退魔士ではないから、拒否する権利はあるけど……」
「やるよ。それが仕事なんだろ?」
ヒノが真っ先にうなずいた。
「姫子」
「は、はい」
「オレたちは戦わなきゃいけない。……ついてきてくるか?」
「もちろんです!」
「危険な任務だ。命を落とすかもしれない」
「ヒノさんと一緒なら……どこまでも」
ヒノは頬を赤らめた。照れくささがぬぐえない。
そこへ、四方神会で喜代輔の秘書をつとめる男が顔を出した。
「総領代、相武大臣がいましがた到着されました」
「さーて、嫌味のひとつでも言うてやるかのう」
「祖父様、やりすぎんなよ」
「む、ヒノに心配されるとはな。やはり異常事態じゃ」
「どういう意味だよ!」
「まぁまぁ、ぼくも愚痴のひとつは言いたいくらいさ」
明紀兼が苦笑する。
喜代輔と明紀兼は、大臣を迎えるべく出かけていった。
初出:2015年乙未01月19日




