モノクローム(8)
どうしてこんなに、この人たちは自分が欲しているものを与えてくれるのだろう。ほしくてほしくてたまらなかったのは、家族の温もりだった。
嗚咽を堪えながら朱那は話し出す。
「無理を承知で……お願いにきました」
「うん」
純子が微笑んで相づちを打つ。
「……わ、私が高校を卒業するまででいいんです……ここに……私たちを置いてくれませんか……」
純子と誠はどこか驚いたように顔を見合わせた。
朱那は少し純子から離れ、勢いよく頭を下げた。
「大貴だけでもいいんです……置いてやってください……お願いします……!」
「ま、待って朱那ちゃん! 顔上げて! 順を追って話しましょ、ね?」
うろたえた純子が慌てて朱那の肩を掴み起こした。そしてよしよしとあやすように朱那を抱き寄せる。
「向こうのお家で何かあったんでしょう? 大貴くんの顔の怪我も関係してるのかしら。大丈夫、もう恐くないわ。私たちがついてるからね」
「……そうだよ朱那ちゃん。無理しないで」
側に寄った誠が頭を撫でてくれ、朱那の涙腺は完全に緩んでしまった。
両親の葬儀が終わったあの時、こうやって二人にすがりついていれば、自分も大貴も辛い目に遭わずにすんだのだろうか。
二人が親戚だったらよかったのにと、あり得ないことを考えては涙が溢れた。
いるはずのない両親が傍らで慰めてくれているような気がした。
居間に移動してテーブルにつき、誠と純子を前にして朱那は伯母の家での出来事をポツポツ話して聞かせた。
菜月は大貴の側にいると言ったので和室に残っている。
時刻は既に十時を回っていた。
ある程度話し終わった頃、突然純子がバンとテーブルを叩いた。その音に朱那は震え上がった。
「……最悪だわ」
頭を抱えて彼女は長いため息を吐いた。
自分に向けられて言われたような気がして、朱那は息が苦しくなった。
やはり、純子たちにも受け入れられてもらえないのだろうか。
視線を落として縮こまっていると、誠が苦笑した。
「ごめんごめん、純ちゃんって怒ると止まんなくなるんだ。朱那ちゃんに言ったんじゃないから安心して」
穏やかな口調で誠が言い、朱那はおずおずと視線を上げた。
彼はテーブルの上で両手を組み、微笑んでくれた。
「あのな、朱那ちゃん。達也と陽子が死んだ時、実は俺たちが君たち二人を引き取るって、君の親戚の前で進言したんだ」
「そう、そうなのよ。やっぱりあの時もっと強く言っておくべきだったわ」
純子が心底悔しそうに床を踏み鳴らし、誠は苦笑しながらなだめるように彼女の肩を叩いた。
初めて聞かされる話に、朱那は目をぱちくりさせて二人を見つめた。
「親戚は君たちのことを押し付けあっていたからね。でもいざ俺たちが引き取ると言ったら、他人が引き取ると親戚の体裁がとか、面目がとかああだこうだ言い始めて、俺たちもあまり強く出られなかった。それも一理あると思ったからね」
「でも他人だから何だって言うのよ、体裁だけでは子どもは育てられないのに。そんなもののせいで朱那ちゃんたちは酷い目に遭ってしまったじゃない。そんな所に引き取らせた自分が不甲斐ないわ」
「……そうだな。達也のお姉さんとは俺たちも顔見知りだったから、大丈夫だろうと思ってたけど……。あの時は朱那ちゃんたち自身がどうしたいのかって気持ちを、誰も聞こうとしなかった。それは俺たちにも非があると思ってるよ」
ごめんな、と誠に謝られ、朱那はぶんぶんと首を横に振った。
誠と純子がそんな風に見えないところで自分たちのために働きかけてくれていたことは、素直に嬉しかった。
「あと、これは口約束でしかなかったんだけど……俺たち二人と、朱那ちゃんの両親の間で約束してたことがあってね」
もったいぶるように誠が言葉を切り、朱那は「約束?」と首を傾げた。
頬を膨らませて未だ拗ねている純子に一瞬目をやり、誠は微苦笑して告げた。
「協力してお互いの子どもたちの面倒をみようってね。それが守れなかったから純ちゃんは拗ね……いや、怒ってるんだよ、自分自身に」
「え……?」
「んーとね、お互いに何かあったとき、子どもたちの第二の親になれる権利を与えあってた、って言えば分かるかな」
朱那は二人を見つめて瞬きを繰り返した。
それはつまり、誠と純子は、自分と大貴の親にもなれるということだろうか。
解釈に困ってキョトンとしていると、誠がくすりと笑った。
「聞いたことないかなぁ。実は朱那ちゃんの名前、四人で考えたんだよ」
「……ええっ、初めて聞いた」
朱那は思わず腰を浮かせた。純子が頬杖をついて付け加える。
「初めてできた子どもだったから、朱那ちゃんの名前なかなか決まらなかったのよ。菜月と大貴くんはすぐに決まったのにね。まあ大貴くんの時は、まこちゃんと達也くんが陽子に内緒で考えてたみたいだったけど」
「ええ、うそ。大貴の名前言うとき、お父さんあんな自信満々だったのに」
「あはは、それ俺も考えたからだろうな」
誠がケラケラ笑う。
「大貴の時は、男の子がいいって達也がずっと言っててな、二人とも男の名前しか考えてなかったんだよ」
「本当に男の子だったからよかったものを、女の子だったらどうするつもりだったの?」
「慌てて考えただろうなー」
純子の咎めるような問いに、誠は肩をすくめた。
朱那も思わずくすりと笑ったが、急に胸に込み上げるものを感じ、そしてそれは目から溢れ出た。
記憶の中にいる両親の姿が瞼に浮かんでは消えていった。
幸せな日々は突然終わりを告げて、朱那と大貴だけ取り残された。
何で自分の両親が死ななければならなかったのだろう。そう考えるだけ無駄だと分かっていたはずなのに、今は溢れて止まらない。
何で自分たちがこんな目に遭わなければならないの、何で。
朱那は両手で顔を覆い、俯いた。みっともないと思えたので嗚咽は必死に堪えた。
するとカタンと音を立てて純子が立ち上がり、朱那の両肩を優しく包み込む。
「朱那ちゃん、あなたちょっと背負いすぎよ。両親のこともちゃんと悲しんでないんじゃないの?」
「でもっ……大貴がいるし……私がしっかりしなきゃ……」
朱那は大きくしゃくり上げ、首を左右に振った。
「そう……大貴くんのこと守ってるのね。偉いわ朱那ちゃん」
不意に純子に頭を撫でられ、朱那は顔を上げた。こちらを見る純子は慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
「これからも、大貴くんのこと守ってあげてね。その代わり、朱那ちゃんのことはおばさんたちが守るから。だから朱那ちゃんが抱えてるの、半分ちょうだい」
ね? と純子が小首を傾げた。
「それからね、朱那ちゃん。さっきは大貴くんだけでも、なんて言ってたけど、大貴くんは朱那ちゃんがいて初めて安心できるのよ?」
彼女の言うことがどういう意味かよく分からず、朱那が首を傾げかけた時、居間のドアが開いて小さな影が飛び込んできた。
驚いて目を向けると大貴が立っていて、彼の後ろにはオロオロしている菜月の姿があった。
大貴は熱に顔を赤くしてはいるが、起き上がれるぐらいにはなれたようだ。バス停に着いた時はぐったりしていたから心底不安だったけれど、一時的なものだったのかもしれない。
朱那の姿を見てほっとしたのか、大貴は安堵の表情を浮かべた。
「ほら」と純子が少しおかしそうに言う。
「二人は一緒にいなきゃダメよ。せっかくの姉弟なんだから」
「……はい」
朱那はまた泣きそうになりながらも、小さく笑った。
「というわけで、朱那ちゃんと大貴くんはうちが引き取ります」
和室に戻って大貴を布団に寝かしつけた途端、純子はきっぱりと宣言した。
朱那も大貴も思わずポカンと間抜けな顔をした。
その横で菜月がぴょこぴょこ嬉しそうに跳ねる。
「朱那さんも大貴もうちに住むの!?」
「そう。でもそのためには、朱那ちゃんたちの伯母さんと色々話をつけなければなりません」
まるで学校の先生のように純子は言った。うんうんと誠が相づちを打つ。
「話は俺と純ちゃんでしに行くから、心配しなくていい」
「ええ、任せて」
不敵な笑みを浮かべ純子が力強く言ってのけた。
「その前に、児童相談所とかに相談した方がいいかしら」
「法律事務所の方がいいかもな、弁護士とか」
その会話を聞いていた朱那は少し考え、「あ、」と声を漏らした。二人の視線がこちらに向く。
「あの、おばあちゃんが、何かあったら知り合いの弁護士紹介してくれるって――」
「あら、そうなの?」
「はい……別れる時にお金も少しくれて……」
そう言って朱那は開封もせずにポケットに仕舞ったままだった茶封筒を取り出した。
「……私たち、あまりお小遣いもらえなかったから……すごく嬉しかった」
封筒のシワを丁寧に伸ばしていると、純子が僅かに眉をひそめた。
「朱那ちゃん、ちょっと不躾なこと聞くけど、両親のお通帳は自分で持ってないの?」
「え……いえ、存在も知らないんですけど……あるんですか?」
キョトンとして答えると純子は盛大なため息を吐いた。
「まさかそのことも教えなかったっていうの? なんてこと……達也くんと陽子があなたたちのために何も残さなかったはずがないでしょう」
呆れたとばかりに彼女が言い、朱那は思わず大貴と視線を合わせた。
一方で誠が苦笑し、口を開く。