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モノクローム(4)

 ハッと顔を上げたら正面にいる亮と目が合った。

 落ち着け、と言われた気がした。


 朱那は一度大きく息を吸い込んで、味噌汁をすすった。

 どうやら怒りが顔に出ていたらしい。

 ここで自分が怒り狂ってもなんにもならない。大貴のために、自分は我慢しなければ。

 味噌汁を飲み干してお碗を置いた時、同時に大貴も箸を置いた。


「……ごちそうさまでした」


 聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で言い、大貴は食卓を抜け出した。


「そんなに残して、せっかく作ったのに罰当たりな子」


 これ見よがしに裕実は嫌味を言い放つ。

 料理はほとんど喜美が作っているのに、と思いながら朱那は一瞬彼女を睨み付け、大貴の残したものに箸を伸ばした。すると亮に先を越された。


「まあ俺が食うからいいんだけどね」


「ああっ、ちょっと亮くん、私が食べようと思ってたのに」


「あんまり食うとブタになるぞ」


「ぶっ!? 失敬な!」


 亮と軽く言い争いながら、それでいて朱那は少し救われた思いで、大貴の分もキレイにたいらげるのだった。



 皿洗いを済ませて部屋に戻ると、大貴は沈みきった表情で小さなテーブルに向かい、宿題をやっていた。

 それを見た朱那は苦笑を浮かべ、彼の隣に腰を下ろした。


「あんま食べてなかったけど、お腹空いてないの?」


「……すいてない」


 暗い声で大貴は言った。

 弱り果てて眉を下げたその時、部屋の扉が勢いよく開かれ朱那は飛び上がった。遠慮なくずかずかと入ってきたのは亮だった。

 ポカンとして見上げると彼は手にしていたビニール袋をずいと突き出した。


「ったく、飯ぐらい食えよ馬鹿。ばあちゃんが心配してんぞ」


 呆れたように言って、亮は二人の前にどかりとあぐらをかいた。


「お前たちにお菓子買ってやれって言われてさ、わざわざ買いに行ってやったんだぞ俺が。感謝しろよ」


 亮が大貴に押し付けたビニール袋の中には、スナック菓子やチョコレート等がどっさり入っていた。

 朱那は思わずそれらの菓子と亮を見比べてしまった。


「これ……おばあちゃんが?」


「後で礼言っとけよ? あ、一応それ非常食だからな、考えなしに食べんじゃねーぞ」


 立てた片膝に頬杖をつく亮を見つめ、朱那は小首を傾げた。


「亮くんって、なんか不思議だよね」


「不思議? どこが」


 亮の眉がぴくりと動く。


「だってさ、伯母さんはなんか私たちのこと毛嫌いしてるし、義伯父さんも伯母さんの言いなりになってるでしょ……匠くんは私たちには無関心っぽいけど。亮くんだけだよ、私たちと普通に関わってくれるの」


 亮の顔を窺うと、彼は微苦笑した。


「まあ、俺はばあちゃん派だからさ」


「ばあちゃん派?」


 なにそれ、と朱那はキョトンとした。


「そ。うちの親が何かとでしゃばってるけどな、この家で一番権力あるのはばあちゃんなんだぜ。家主も一応ばあちゃんだし、それにやっぱ一番まともな人だし。だから俺はばあちゃんの言うことには従うんだ。これは俺の予想だけど、ばあちゃんがキレたら実の娘だろうが何だろうが追い出すぜ絶対」


 亮はおかしそうに直も続ける。


「それに俺、高校卒業したら出てくんだ、こんな家。親も弟も馬鹿で、もう飽々してる」


「……亮くんも? 私も卒業したら大貴連れて出てくの」


「それがいいよ。自分の家族ながら、俺でも狂ってると思うからさ。じゃあ俺はばあちゃん連れてこうかな」


 亮のおどけた様子に朱那はくすくすと笑い、「あ、」と声を漏らした。

 この家で初めて“おかしさ”に笑ったかもしれない。


――ああ、なんだ、私まだ笑えるんだ。


 それに気付けて少しほっとした。大貴もまた昔みたいに笑えるようになると確信できた。

 亮が大貴の宿題を覗き込み、感嘆のため息を吐く。


「はー、俺小学ん時に宿題なんかやった記憶がねえわ。大貴って頭いいだろ? そんで朱那は進学校通ってて? いとこ同士でなんでこんなに差が出るのかね。やっぱ親の教育なんかな」


「……亮くんはまともだよ」


「ははは、まともか。誉め言葉として受け取っとくよ」


 じゃ、と言って亮は大貴の頭を撫でてから立ち上がり、部屋を後にした。

 彼を見送ったままの体勢で朱那はため息を吐いた。


「なんか年下って感じがしないなぁ、年偽ってんじゃない? やけに大人っぽいし」


「……亮くんが?」


 未だにお菓子の入った袋を抱えたままの大貴が首を傾げた。


「そ。でも大貴にはいいお兄ちゃんって感じだよね」


「……うん、亮くんやさしい」


 素直に頷く大貴の頭を朱那も撫でてやった。


「宿題さっさとやろ。私もたくさん出されたんだよねぇ課題」


 そう言って、朱那は学校鞄からプリントを取り出して大貴と一緒に解き始めた。




 大貴のケンカ騒動があってからしばらくは、姉弟は比較的平穏な暮らしができていた。まあ伯母からの小言は毎日聞かされていたのだが。


 この日の夜、風呂から上がって水を飲もうと台所に向かっていた朱那は、突然背後から腕を掴まれ飛び上がった。

 振り返ると亮の弟・匠が側に立っていた。


 中学二年生の匠は、容姿は亮とそっくりだった。しかしそれ以外は正反対といったところで、身長は朱那より少し低く、髪は黒で、見た目は暗い印象だ。真面目とかそういう暗さではなく、なんというか、陰湿そうな雰囲気をしていた。

 それに匠と喋った回数は非常に少なく、彼が何を考えているのかも正直わからなかった。


「匠くん……どうしたの?」


 朱那はうろたえつつも微かに笑みを浮かべ、首を傾げた。

 しかし彼は問いには答えずに朱那の腕を引っ張って歩き出し、朱那は困惑しながら彼についていった。そして匠の部屋に連れ込まれ、朱那は奥に突き飛ばされた。

 よろめいたが慌てて踏ん張り、匠に振り返る。


「なんなの」


 匠は無言のまま朱那に詰め寄ってくる。

 朱那はじりじりと後退るも、すぐに逃げ場はなくなり、ベッドに脚が当たった。そちらに気を取られた一瞬の隙をついて、匠が肩を掴み、そしてベッドに押し倒されて朱那は小さく悲鳴を上げた。

 仰向けの朱那の上に馬乗りになった匠が顔を近付けてにこりと笑う。


「セックスさせて」


「……はあ?」


 朱那は頓狂な声を発した。

 そりゃあ中二といったら性にも興味を持つだろうが、いとこに欲情するなんて何を考えているんだこいつは。

 あからさまに嫌悪の表情を浮かべた朱那は、半眼で彼を睨んだ。


「冗談でしょ、どいて」


「本気だけど?」


 そう言うなり、匠は朱那のTシャツの中に手を入れて直に素肌を触り始めた。

 突然の感触に朱那はギョッとして彼の手を押さえつけた。


「うそ! やだ、やめてよ!」


「いいじゃんちょっとぐらい。友だちがさ、セックスして報告しろってうるさいんだよね」


  匠はもう一方の手でTシャツを捲り、胸まで上げようとする。

 朱那は彼の両手を力付くで押さえ続けた。そして足をばたつかせて必死に抵抗を試みるも、身体の上に匠の全体重がのしかかっているため上手く身動きが取れなかった。

 どちらも引かない攻防を繰り広げた末、匠はTシャツを捲るのは諦め、服の上から朱那の胸を触った。

 乱暴に胸を揉まれ、ぞっと全身があわ立った。


――この変態クソガキ……!!


 朱那はなりふり構わず腕をぶんぶん振り回し、匠が一瞬怯んだのを見逃さずに彼の頬をおもいっきり殴った。

 平手でいくつもりがつい拳で殴ってしまい、朱那は内心慌てふためいた。

 すると匠は急激に目の色を変え、両手で朱那の首を掴んだ。


「……っ!?」


 突然首を締め上げられ、息ができなくなった。

 朱那は匠の手首を掴み、引き剥がそうとしたが力が敵わず、彼の腕に引っ掻き傷を付けるだけだった。

 匠の顔には卑しむような笑みが浮かんでいる。

 その間も彼の指がどんどん喉元に食い込み、朱那の顔は青紫に変色し始め、苦しさのあまり涙がこぼれた。


「う……あ……」


 殺される、殺されてしまう。朱那の頭の中は恐怖で渦巻いた。

 助けを呼ぼうにも声など出なかった。次第に匠の顔が霞んできて、抵抗するための力も入らなくなる。


――大貴……! 大貴!!


 声にならない声で弟の名を何度も何度も呼んでいたその時、匠の手が微かに緩んだ。そして次の瞬間、匠の身体が引き剥がされて吹っ飛び、解放された朱那は吐きそうになるぐらい大きく咳き込んだ。空気の塊が一気に肺に流れ込み呼吸もままならない。

 ぜえぜえ喘ぎながら身体を起こすと、匠を床に押さえ付ける亮の姿があった。

 何故彼がここにいるのか、何故彼が助けてくれたのか、朱那にはわからなかった。


「お前、何しようとしてたのか、わかってんだろうな」


 低い声で亮が問う。

 匠は頬を押さえ、怯えた表情で兄を見上げるばかりで返事はしなかった。いや、できなかったのだろう。

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