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モノクローム(2)

 朱那はふっと目を覚ました。

 見上げた真っ暗な天井に見慣れない四角い照明がぶら下がっている。

 夢を見ていた気がするが、思い出せなかった。とても温かで幸せな夢だったはずなのにと考えて、朱那は残念に思った。


 朱那は横に目をやり、隣で丸まって寝ている大貴を見つめた。

 そっと彼の頬に触れ、温度と呼吸を確認してふうと息を吐く。

 伯母の家に引き取られて一ヶ月近く経とうとしていた。

 両親が死んでから、こうして弟が生きていることを確認するのが癖になっていた。

 朱那にとって大貴は唯一の家族だ。大貴がいなくなったら……などとは考えたくもなかった。


 大貴を起こさないようそっと布団から抜け出し、畳が軋む音に気をつかいながら慎重に部屋を出た。

 欠伸をしつつ廊下を歩いていくと、ふと台所から明かりが漏れているのに気付いた。

 伯母が起きたのだろうかと少し気重く思いながら台所を覗くと、伯母ではなく祖母の後ろ姿があった。朱那は安堵して彼女に声をかける。


「おばあちゃん、おはよう」


「あら、朱那ちゃん。おはよう」


 コンロの前に立つ祖母・喜美きみが振り返り、くしゃりと柔和に笑う。


 祖母と伯母夫妻とその息子二人の五人が暮らしていたところに、朱那たちは受け入れてもらった。

 この家自体は栗原の実家に当たり、実際は祖母の家である――祖父は朱那が幼い頃に亡くなった。祖父が亡くなってから、伯母は夫と息子たちを連れて喜美と暮らすようになったのだそうだ。

 そしてこの家の実権を伯母が握るようになっていった。


 喜美も伯母の夫も彼女の行動に口は出さなかった。伯母の夫は口数も少なめで伯母の尻に敷かれっぱなしであり、伯母の意見に異は唱えない。常に追従しっぱなしだ。

 金銭面も非常にシビアで、伯母に学校で必要なものを買うための小遣いを頼む時も、ため息を吐かれることがしばしばだった。

 世話になっている身分、贅沢を望んではいけないと分かっているし、必要最低限のことしか頼んだことはないのに、そう嫌々な態度をとられると話しかけるのも億劫になってくる。

 彼らからの――特に伯母からの風当たりが強く、朱那たちは肩身の狭い思いをしていた。

 彼女の息子たちも姉弟にはあまり興味を持っていないようで、最低限の会話しかしない。  そんな中で祖母の喜美は栗原姉弟をいつも元気づけてくれ、この家で唯一安心できる存在だった。


「おばあちゃん、何してるの?」


 朱那は喜美の隣に立って彼女の手元を覗き込んだ。

 喜美が作っているのはふっくらとした厚焼き玉子だった。祖母はふふと笑みをこぼす。


「早く目が覚めちゃったから、朱那ちゃんにお弁当作ってあげようと思ってね」


「……お弁当?」


 朱那はパッと顔を輝かせた。

 この家に来て弁当など作ってもらったことはなく、いつも昼食代を少し渡されるだけだった。

 嬉しさに胸がいっぱいで何も言えずにいたら、喜美が申し訳なさそうに言う。


「おばあちゃん、今風の料理できないから煮物とか玉子焼きしか作れなくて、ごめんね」


「ううん、すっごく嬉しいよ。ありがとう。私着替えてくるね」


 朱那は弾む足取りで洗面所へ向かった。


 高校卒業まであと半年だったので、朱那は家が遠くなった今でも同じ高校に通っていた。ここからバスで一時間半はかかるため朝が早く、昼食の準備をする暇はなかった。

 伯母も初めから弁当を作る気などないようで、息子たちにも小遣いを渡して済ませていた。


 自分の母は弁当を毎日作ってくれていたのにな、と考えた途端悲しみがどっと押し寄せ朱那は慌てて頭を振った。

 家庭によって違うのは当然だ。だから自分が甘えるわけにはいかない。

 朱那は大きく息を吸い込んで、気持ちを落ち着かせてから顔を洗い始めた。


 喜美が用意してくれた温かな朝食を感動しながら味わい、そして合間にメモ用紙に文字を連ねる。

 テーブルを挟んで座り、お茶を飲んでいた喜美が尋ねた。


「それ、なぁに?」


「ん、大貴に書き置き。私朝早いから大貴が起きたときにいてあげられないじゃん? だから毎日書いてるんだ」


 朱那はメモの最後に「忘れ物しないように!」と書いてから味噌汁をすすった。

 その時、喜美が酷く悲しそうな表情をしているのに気付き、朱那はうろたえた。


「おばあちゃん?」


「……ごめんね朱那ちゃん」


 喜美はそう謝ったきり口を閉ざしてしまった。

 何に対しての謝罪なのかは何となく分かった。

 この家は祖母の家なのに、伯母が様々なことを取り仕切っているせいで、喜美も肩身の狭い思いをしているのだということは、朱那も薄々気付いていた。伯母が喜美にも口出しするなといった風な態度をとる光景を、よく目の当たりにするのだ。

 でも喜美が謝ることなどない。喜美は存在そのものが心強いのだから。

 朱那はふっと微笑んだ。


「私は大丈夫だよ。それに大貴のことも気にしないで、私がちゃんと守るよ」


「……そう。おばあちゃんにできることがあったら何でも言ってちょうだいね」


「うん、ありがとう」


 心からの礼を言って、朱那はご飯を掻き込み、お茶を飲み干した。そして茶碗を流しに持っていってふと時計に目をやり、ギョッとした。


「うっそ、もうこんな時間。ごめんおばあちゃん、お茶碗洗ってもらっていい? バスに遅れそう」


「はいはい、いってらっしゃい。気を付けてね」


「うん、いってきます!」


 朱那は弁当を鞄に入れ、そしてにこやかに手を振って祖母と別れた。

 玄関に向かおうとして慌てて身体を反転させ、大貴の眠る部屋へ急いだ。

 枕元に先程のメモ用紙を置き、大貴の頭をくしゃくしゃと撫でて朱那は家を飛び出した。




 昼休みになり、朱那はわくわくしながら弁当箱の蓋を開けた。そして感極まってじーんとする。

 白飯と厚焼き玉子、鮭の切身、きんぴら、煮物。本人が言っていた通り祖母が作りそうなおかずのラインナップだが、それでもやはり手作り弁当というだけで嬉しかった。

 目の前に座っている友人・橘つむぎが朱那の手元を覗き込む。


「あんたが弁当持ってくんの久しぶりじゃん。しかもヘルシーさ全開な弁当だこと」


「へへ、おばあちゃんが作ってくれたんだ」


 笑みをこぼしながら箸を取り、それを持ったまま「いただきます」と両手を合わせた。

 祖母の手料理を幸せそうに頬張っていると、つむぎがくすりと笑う。


「美味しそうに食べるなぁ」


「ん? あげないよ」


「わかってるから。……あんた見てると、毎日弁当作ってもらえるって幸せなことなんだなって思えるよ。感謝しないとね」


「おお……つむぎが珍しく真面目なこと言ってる」


 朱那は目をぱちくりさせた。するとつむぎは眉を上げ、こちらを睨んだ。


「あんたねぇ、人が真剣に考えてんのに」


「あはは、ごめんごめん」


 そう苦笑して謝り、朱那は鞄からケータイを取り出した。

 今の家に引き取られてからも一応ケータイだけは続けて使わせてもらえていた。遠い学校に通っているため、連絡を取る手段がないと色々不便なのだ。

 ケータイを開いて画面を確認すると新着メールが一件届いていた。


「ん……伯母さんからだ」


 嫌な予感を覚えながらそのメールを開く。そして本文を読み、盛大なため息を吐いた。

 近い内にあるだろうなと思っていたことが、ついに起こってしまったようだ。

 つむぎが箸をくわえたまま首を捻る。


「どしたん」


「んー……弟が学校でケンカしたって、しかも取っ組み合い。呼び出されたから私が小学校行けってさ……今日は授業終わったらさっさと帰らしてもらわなきゃ」


 げんなりしながら電源ボタンを連打し、ケータイを閉じて鞄に放り込んだ。

 つむぎはへえと意外そうに呟く。


「朱那の弟って大人しそうなのにね」


「そだねぇ……大人しい分、積もり積もって爆発するタイプだよ。しかもあいつ、私と一緒で空手やってたしさぁ……相手無事だといいけど」


「あはは、一番恐いやつじゃん」


 つむぎがケラケラ笑う一方で朱那は肩を落とした。


「大貴だけあっちの小学校に転校させちゃったから、しょうがないんだけど……慣れなくてストレスたまってんのかもな……家のこともあるし」


「……そうかもね」


 つむぎは笑みを消して相づちを打った。朱那が愚痴をこぼし始めると、嫌がることも遮ることもなく、静かに聞いてくれるつむぎ。多くを語らずとも、気持ちを汲み取ってくれる彼女は本当にいい友人だ。


 朱那は弁当をつつきながら更にぽつぽつと話す。


「あの家、しんどいんだよなぁ……何してても煙たがられるし、伯母さんには睨まれるし。おばあちゃんがいるからまだ私も気を保ててるけど、大貴庇うのでいっぱいいっぱい」


「そっかぁ……」


「もう大貴と二人で暮らしたいなぁ……アパート借りてさ……早く卒業したい」


「あれ? 朱那、就職だっけ?」


 急につむぎが目を丸くし、朱那はこくんと頷いた。


「就職することにした。お金もないし、あの家さっさと出るんだ」


「……そう。ちょっともったいない気もするな、あんた頭いいのに」


「あはは、でももう決めたことだから。大学は諦める」


 朱那はきっぱりと言い切り、最後の一個に取っておいた厚焼き玉子を口に運んだ。

 甘くて出汁が効いていて、懐かしい味がした。

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