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コーヒーの匂い(1)

高校卒業してすぐの大和と光。大和ママが出てきます。

 ドアを開いて姿を見せた大和が、こちらを見てすぐに眉をひそめた。

 彼はジーンズに紺色のシャツ、その上からパーカーを羽織っている。


「やっほー大和、ひさしぶりー」


 隣で菜月がにこやかに手を上げる。一方光は、僅かな緊張に胸をドキドキさせていた。


 光たちは既に高校を卒業し、三月も終わりに近付いている。無事に大学進学が決まった光は、学部の新入生集会などに参加しながら入学式までの毎日をゆっくり過ごしていた。

 今日は久しぶりに菜月に誘われ遊びに出て、そして菜月の提案でここに至る。


 大和が壁に寄りかかって面倒そうに口を開く。


「何しにきた」


「大和が一人暮らし始めたって聞いたから、どんな部屋かなーって思ってさ。突撃お部屋訪問しようって、ね」


 そう言って菜月が同意を求めるように振り返り、光はギョッとした。


「わ、私何も言ってな――」


「というわけで、上がっていい?」


 光の言葉を遮り、菜月は大和に向かって首を傾げた。大和の目がじろりと菜月を見、そして光を見た。

 光は視線を泳がせて縮こまった。


 大和が祖父母の家からこのアパートに引っ越したのは、大学に合格してからで、三月中旬だった。

 光も引っ越し前に箱詰めの手伝いをしたが、ここを訪れるのは今日が初めてだ。

 本当はずっと前から来てみたかったのだけれど、「行ってもいい?」と聞く勇気がなかなか出なかった。

 彼だけの部屋で二人きりになるのが、何故か少し怖かった。これまで幾度も大和と二人きりになったことはあるのに、何をどんな風に話せばいいのか分からない。

 悩みすぎたお陰で彼と会う時間もあまり取れなかった。


 大和の視線を浴びながら光がオロオロしていると、彼は小さくため息を吐いた。


「入れば」


「やった、お邪魔しまーす」


 菜月が嬉々と言い、軽い足取りで玄関を上がる。

 光も内心ホッとしながら、ドアを閉めて鍵をかけ、菜月に続いた。


 台所や冷蔵庫のある廊下を抜けると、こざっぱりとしたフローリングの部屋が広がった。

 部屋にあるのは、ベッドとテレビ、パソコンを置いている机、小さなテーブル、それに本棚が一つ。

 箱詰めを手伝った時も思ったのだが、彼の荷物は極端に少なかった。

 これだけで生活ができるなんて、にわかに信じがたい。

 でも全体の色合いが青と灰色で統一されてるところは、落ち着きがあって、彼らしいかもしれない。


「へー、なんか何もないねぇ。つまんないの」


 部屋をぐるりと見渡した菜月が腰に手を当ててため息を吐く。

 台所に行っていた大和が戻ってくる。


「コーヒーしかないんだけどそれでいいか?」


「あ、私もう帰るからいらない」


 手をぷらぷら振りながら菜月がさらっと言い、光は「え!?」と叫んでしまった。


「私はどんな部屋か見にきただけなの。だからもういいや、帰るね。あ、光は置いてくから」


 菜月は一瞬光を見てニヤリとし、それからバイバイと言って颯爽と玄関の向こうに消えた。

 光は呆然と固まった。


 言い出しっぺの菜月がさっさと帰るだなんて。

 それにまさかこんなに早く二人きりになるだなんて。


 開いた口が塞がらない。


「おい」


 突然近くで声がして光は飛び上がった。

 すぐ側に怪訝そうな表情の大和が立っている。


「コーヒー、飲めるか?」


「あ、うん、飲めます……」


 光は俯き加減で頷いた。すると大和は光が両手で抱えている白い箱を指差す。


「それ何? ケーキ?」


「うん。……そういえば菜月の分も買ってるのに、どうしよう」


「じゃあ俺が食う、腹減ってたんだよね」


 適当に座っててと言って、大和は台所へと引き返していった。

 彼を見送ってから光はテーブルの横に腰を下ろし、ケーキの入った箱を置く。


――うう、入る前より緊張してる。


 光はがくりとうなだれた。

 その時ふと本棚が視界に入り、その一番下の段にある数冊のファイルに目が止まった。

 背表紙には“写真(家族)”と書かれている。


――アルバムかな。南くんの家族かぁ、どんな人たちだろ。


 そう思った途端、その中身が見たくてうずうずしてきた。

 彼の家族はまだ一度も見たことがなかった。もちろん写真でもだ。


 光はしばらく誘惑と格闘していたが、ついには負けて本棚に膝を寄せた。

 そしてファイルを一冊抜き取り、わくわくしながら表紙を開く。

 一ページ目には、男性と女性、それから小さな男の子の三人が写った写真が入っていた。

 大和の両親と弟だろうか。どこか面影があるような気がする。

 とても仲のよさそうな家族で、光は思わずふふと微笑んだ。

 一枚一枚ゆっくり見ながらページを進めていくと、ふと赤ちゃんを抱える少年の少し古い写真があり、光は首を傾げた。


――これってもしかして南くん……?


 よく見ようとファイルを目に近付けた時、背後から大和の呆れたような声がした。


「何勝手に見てんだ」


「わあっ」


 光はバタンとファイルを閉じ、慌てて振り返る。


「ご、ごめん、つい気になって」


「……別にいいけど」


 やれやれといった風に髪を振り、大和はテーブルに二つのマグカップを置いた。

 それから光の隣に腰を下ろし、ファイルを取り上げる。


「全部見た?」


「ううん、最後までは見てないよ……これ南くんが撮ったの?」


「いや、親が勝手に送ってくるんだ。お陰で俺の写真は一枚もない」


「え? でも小さい時のが――」


「ほらみろ、ほとんど見てるじゃねえか、あれ最後らへんにあっただろ」


 そう大和に指摘され、光は「あっ」と口を押さえた。見事に誘導尋問されたようだ。

 光は苦笑し、おずおずと尋ねる。


「あの赤ちゃんは、健くん?」


「ああ、健が生まれたときの」


「健くん、南くんにそっくりだね」


「そうでもないだろ――」


 大和が気だるそうに返した時、また背後から大きな音がして光は驚いた。

 振り返るとそこには、眉をつり上げた女性の姿があった。

 七分丈のパンツに白いリボンブラウス、その上に厚手のカーディガンを着ている。若いのかそうでないのか分からないような整った顔立ちに薄化粧を施していて、ストレートの長い髪は少し色素が薄い。そしてその足元には買い物袋が転がっている。どうやら先程の音はあれが落ちた音だったようだ。


 彼女を見た光は何故か既視感を覚えたのだが、誰なのかすぐには思い出せなかった。

 すると突然、隣で大和が盛大なため息を吐き「来るの早すぎだろ」と小声で呟いた。

 光が首を捻りながら彼に目を向けた時、その女性がテーブルの前に腰を下ろし、テーブルをバンッと叩いた。

 その音に光は震え上がった。


「大和、ちょっとここに座りなさい」


 よく通る怒気のこもった声で彼女は言い、テーブルを挟んだ反対側を指差す。

 大和はまた短くため息を吐き、渋々言われた通りにする。

 その様子を光はオロオロしながら見つめていた。

 彼女の前で大和が正座するのと同時に女性はまたテーブルを叩いた。


「あんたは! 女の子を連れ込むために一人暮らしを始めたの!?」


「……違います」


――棒読みだわ!


 大和の態度に光は愕然とした。

 女性は今や拳でドンドンとテーブルを叩いている。


「違うでしょう! 勉強に集中するためだってあんたが言ったんでしょう! 大体ねぇ、お母さんはあんたの一人暮らしなんて反対したわよ! こうなるだろうと思ったから!」


 目の前でぎゃんぎゃん喚く彼女が、写真に写っていた大和の母親だとようやく気付いた。

 もしかして、今日は元々彼女が訪れる予定だったのではないだろうか。そうだとしたら、とんでもないタイミングで自分はここに来てしまった。

 光は視線を落とし、縮こまって存在を薄くすることに徹した。

 大和の母親は更に言い迫る。


「中学のときにあんなことしておいて、まだ懲りてないの!?」


「……懲りてるって」


「嘘おっしゃい! じゃあ何でまた女の子連れ込んだりするの! またいかがわしいことするつもりだったんじゃないの!? あ、このコーヒー飲んでもいい?」


「いいよ」


 大和が頷いてすぐ、彼女はコーヒーに口をつけた。


「あら美味しいわ。これ市販のやつ?」


「いや、専門店のブレンド」


「へえ、そうなの。今度うちにも送ってよ」


「はいはい」


 急に和やかな会話になり、大和の母親はさっきまで怒っていたことも忘れたかのように、美味しそうにコーヒーを飲んでいる。

 光は呆気にとられながらその様子を見ていた。

 そうしている内に飲み干したマグカップを大和に差し出し、母親が「おかわり」と言った。

 大和はマグカップを受け取り、面倒そうに立ち上がって台所へ行った。


 彼が去り、残された光は膝の上で両手を握りしめて俯いていた。

 大和と二人きりになるよりも、その母親と二人きりになる方が何倍も気まずい。


 流れる沈黙に居心地が悪くなる。

 何か話すべきかと焦り始めた時、不意に大和の母親が尋ねた。


「お名前を聞いてもいい?」

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