弟の語り・1
世の中に魔法少女なるものは、存在しない。
いや、二次元と言う人間の妄想と言う創意が作り出したマボロシの上にならば、それは存在するのだろう。
もう一度言う。
魔法少女など、存在しない。
存在しない。
存在しない、はず。
存在……?
「ちょっと、ユズ! そんなところでボーッと外見てるなら、庭掃除手伝いなさいよ」
甲高い声と共に箒が信じられないほど垂直に飛び上がって来て、オレの顎にクリティカルヒットした。RPGで言ったら即死に近いダメージ。……オレのHPは多分20くらいしかない。
顎にヒットした箒の柄はそのまま二階の軒下に突き刺さらん勢いで空気を裂いたが、くるりと器用に軌道を外すと、何故か庭で仁王立ちしている姉の手元に戻って行った。まるでブーメランだ。
「いってェ……何してくれんだ、ななみ!」
じわんじわんと痛みが広がる顎に手を当てて、ちょっと突飛な格好の姉に向かって怒鳴り声をぶつけてやる。
ちょっと突飛……、いやちょっとどころじゃない。姉貴の格好。
何だ、あれ。
出来の悪いコスプレイヤーか。
コスプレならコスプレの自覚ありき。
意気揚々とイベントの会場でフラッシュの雨にでも打たれていればいい。その場ならば、その格好は相当出来の良いコスプレだ。
「ところで、それ、何の魔法少女アニメでしたっけ?」
デフォオタクに、にやけ顔で訊かれている場面を想像すると痛々しい。
オレの顎を支配する、この痛みよりも痛々しくて見ていられない。
「うっせぇ、アニメじゃねえ!アニメじゃねぇぇぇぇよ!この格好!」
吠える姉貴を想像すると、ふと嘲笑がこみ上げた。
まあ……世の中には、信じられないことが起きることもある。
「にやにやしてないで、手伝え、コラァ!」
姉貴はコスプレイヤーでもなんでもない。
フリフリの真朱色ミニスカート、ウエスト部分に同じ色のでかいリボン、白いハイニーソ、セーラー服に似たブラウスに大きな赤色のリボン。
胸元にぴかぴかと光るブローチが付いている。ブラウスの上に燕尾服に似たようなベストを羽織っている。金色のボタンがこれまた輝いていて、オレはその……全ての目映さと、不釣り合いなほどの現実の風景と、相容れない光景に目眩を覚えた。
姉のななみは、正真正銘の「魔法少女」なのだ。
オレはくるりと身を翻し、自分の部屋の四隅をぐるりと見回し、ふと苦笑する。
ことの始め、それは今から半年ほど前の出来事だ。
とある携帯量販店に行った時のことだ。
「おめでとうございま~~~~~~~~すぅ!」
その量販店のおねいさんはキュートで綺麗な人だった。今や国民的アイドル、元ABK48(アビコよんじゅうはち)前島あつ子にそっくりな可愛い女。オレは一瞬その人を見たとき、前島あつ子が降臨なすったのかと思い、息が止まったほどだ。
いや、しかし、元ABK48はこんなキャンキャン声ではなかったと思う。ひどいアニメ声だ。
アニメ声の前島あつ子似の店員は、きょとんとしている姉貴にもう一度言った。
「おめっ…おめでとうございます~~~~~~~~ぅ」
両手を胸の前で組んで、片足をひょいっと上げ、決めポーズまで披露してくれた。
ポーズに気を取られるあまり、前半、噛んだことは聞かなかったことにしよう。
「貴方様は、リフトベンクご契約1万人目で御座いますぅ」
リフトベンクってシェア狭いんだなあ。オレが関係ないところで関心していると、他の店員は総立ちになり、祝福に手を叩いた。すると、どんな効果だろうか、数少ないお客も釣られるように拍手を始める。
「おお、何だか分からんが、おめでとう」
見知らぬ老人が姉の手を取って祝福してくれる。
「よかったわね」
「おめでとう」
「目出度い、目出度い」
一番よく分かってないのは、姉のななみだ。一体何が起きたのか、何故皆が自分を祝福してくれているのか、理解不能の極みと言う表情でオドオドしている。
「あの、一体何がおめでたいんでしょうか……?」
状況を整理するべく、ななみは前島嬢に質問を投げかけた。
「貴方に、魔法少女になる権利が与えられましたぁ」
そんなこんなで、姉・小賀ななみは魔法少女になったのであった。
「ぬわぁにが、『なったのであった』だぁ!」
いつの間にか床に寝そべってお菓子を頬張りつつ漫画を読むオレに、窓から入り込んで来たななみが、その頭に蹴りを食らわす。
「何すんだよ、痛ェ!」
顎の次は後ろ頭……。今日の場当たりテレビの占い、「山羊座の貴方は頭に注意★特に窓辺で佇んで居るとき、床に寝そべって居るときは要注意DEATH!」は当たっている。
「手伝えと言っているのが、聞こえんのか。愚弟よ」
後ろ頭を撫でつつ、のそりと上半身を浮かせると、そこには仁王立ちをした鬼の形相の姉が立ちはだかっていた。それは、まさに赤鬼、いや閻魔大王、地獄の使者!
「ねーちゃん、ぱんつ見えんぞ」
ぎりぎり見えない。見えそうで見えない。ふわふわスカートの不思議。
あ、でももう少し角度変えたら見えそ……て! 姉のおぱんつ見て何が楽しいんですか、オレ。
「ぐぬっ……! 中二のくせに乙女のおぱんつを見ようなど、百年早い、言語道断っ」
羞恥心が働いたらしい姉は、ふりふりを両手で押さえ付けた。直後、みしり、と、姉の足裏が顔面を直撃した。
場当たりテレビ、当たりすぎだ。それよりも、姉貴の靴下くさい。臭すぎる。気が遠のく。姉貴じゃなきゃ、ハイニーソもオレの守備範囲なのに。よりにもよって何故姉が。最悪だ。オレのハイニーソを汚すな……。
もう真っ暗だ、何も見えない。
「姉貴……靴下くらい、洗……え……」
その臭いに気を失い掛けた瞬間。
「あんたの靴下よか、あたしののが綺麗だ」
そんな声が聞こえて、首根っこがぎゅうとしまった。オレは思わず「げえ」と情けない声を上げて、その後、猛烈に咳き込んだ。
ななみがオレのシャツの襟首を掴んで引っ張ったからだと気づくのに、いささか時間が掛かる。
「なにすんだ、放せ」
ぎりぎりと絞まる襟首、息ができるように何とか隙間を確保する。
「だから、庭掃除を手伝えと」
「そんなの、魔法でちゃちゃっとやっちゃえばいいだろ!」
その言葉に、姉の動きが止まった。襟を掴む手もようやく放してくれる。しかし、前を向いたまま動かない姉にふと疑問を感じた。何だ? そう言おうとした時、姉は振り返り矢継ぎ早に言葉を発した。
「あんた、魔法使うのにいくらかかるか知ってんの!? 変身にだって貸し出し料金掛かるのよ、一回500円。10分延長ごとに250円増しよ!」
再び鬼の形相。
そうだ。そうなのだ。魔法少女に変身するのには、お金が掛かる。そして、当然のように魔法を使うのにもお金が掛かる。
世の中、なんて世知辛いのだろう……。
魔法なんて夢のような道具だ。使うものと言えば、素人考えでも、せいぜい体力か精神力くらいのものだろう。己の体力、精神力を消耗しつつ、悪を倒し弱きを守るなんて美しいじゃないか。
だが、それは夢の話。現実の魔法使いは現金を消耗する。
「魔法使って基本料金500円よ。しかも、魔法の使いようによってはオプション料金まで掛かるのよっ! 分かってんのか、ユージ!」
それから、姉の愚痴が始まった。
だいたい、何なのよ。魔法ってそうゆうものじゃないでしょ! よりにもよって何で現金なのよ。体力とか精神力とか、他は……そうね後は命とか? そうゆうのを消費するもんでしょ? まぁ……命取られるくらいなら魔法少女なんてやらないけど。魔法の国も夢がなくなったわね。私が子供の頃なんて、魔法を使う代償なんて求められなかったわ。勿論、テレビの中の話だけど。アニメだけど。でも、私が使ってる魔法は現実で、しかも代償が現金て! どんだけ拝金主義なのよ! もう、一回変身すると絶対に3000円は最低でも掛かるシステムになってる。料金体系がおかしいでしょ! ああ、もうイライラする! バイトしても全部利用料金で持って行かれるわ! これじゃ魔法少女になるために働いてるようなものよ、本当にイヤになるっ……! 世の中、金、金、金よ!
姉の愚痴はいつものことなので気にする必要はあるまい。権利が与えられただけなのだから、契約までする必要はなかったのではないだろうか。そこに契約必須の文字はなかったはずだ。
まあ、ななみの言い訳を聞くと、なんでも興味本位でURLにアクセスし、そこで出会ったメインマスコットキャラが激烈自分好みだった。そしてマスコットキャラの誘導されるがまま、ぽちぽちとボタンを押し続けて……、結果、契約終了。
「ミーと契約して魔法少女になって★」
これが殺し文句だったらしい。
後にななみは、激しく後悔することになる。そんなことになるとは、その時は思いもよらなかっただろう。
この文句はどうにもパクリ臭いが、そこは触れないことにしよう。
しかし、こういう場合のクーリングオフって利かないのだろうか。
あとで、消費者庁のHPの「よくある質問」の欄を熟読してみよう。
「だったら、自力でやれば良いんじゃね?」
オレが至極真っ当な答えを聞かせてやると、ななみは平然と「だって自力で庭掃除なんて疲れるし大変じゃん」と言い返してきた。
金が掛かるとか言っておきながら……こいつはなんて自分勝手なんだ!
「おいっ、魔法をそう言う自己満足のために使うなよ!」
つんとして腕組んで仁王立ちしている姉に向かって、思わずつっこみを入れた。
魔法は他人の為に使ってなんぼだろう。人助けとか、悪を退治するとか、そう言う公共性のために授かるモノなんじゃないのか?
「はぁ!? 無理矢理契約させといて、それを他人の為だけに使えって? そこまで私、お人好しでもないんでー」
うわー…、なにこの白々しい態度。魔法少女が聞いて呆れるわ。なんでこんなやつを魔法少女なんかにしちゃったんだよ、契約会社!
「まあ、お母さんくらいになら使ってもいいかな、って思って」
嘘吐け。今さっき、「自力は面倒臭い」と言っていたではないか。
「じゃあ、やっぱオレ手伝う必要ないよなー。ねーちゃんガンバ! ファイ!」
ガッツポーズ決めながら、軽くウインクまで付け足してやった。
オレはいそいそと漫画を読んでいた位置まで戻ろうと、四つん這いになった。
「だーかーら、お母さんの為にあんたもやんなさい」
今度は耳を掴まれて引っ張られる。
痛い! あつ子ちゃんの歌声を聞く為だけにできている、オレの神聖な耳がもげてしまうではないか!
「イヤだ、放せ。今日発売のザァンプ連載「黒子の御祓師」を楽しく読むために単行本をおさらいする使命があるんだ」
「あらぁ~偶然。あたしは今日発売のゲームソフト「詠う王子さまっ!五七五、萌え萌え短歌★」買いに行く使命があるの」
何だよ、結局自分が買い物行きたいだけじゃないか。
頃合い見計らって、人に庭掃除押しつけたいだけじゃないか。
ん?
何だって? ゲームソフト買いに行く使命だと?
その瞬間、パッと何かが一つに繋がった気がした。
ななみが大枚はたいて魔法少女に変身した理由。
庭掃除を急にオレに押しつけようとする理由。
ゲームソフトの発売日……。
「お前、魔法使ってゲームソフト買いに行くつもりだろ!」
人を指さしてはいけませんと親から教わったものだが、今はそんなの関係ないとばかりに姉に人差し指を向けた。
ななみは一瞬、びくりと体を震わせると、そっと目を逸らして口笛を吹くような仕草をする。その態度、いろいろ誤魔化しているようだが、誤魔化せていない。
「そ、そそそそそ……そんなワケないじゃん?」
ああ、認めちゃったよ。その態度、間違いなく肯定だな。図星だな。当たりだな。
オレは目を細めて疑惑の視線を向けてやる。
じっとりとその視線に当てられたななみは、こほんとひとつ咳払いをした。落ち着かないのか、腕を胸の前で組んだり、貧乏揺すりをしたりしていたが、やがて耐えきれなくなったようでこちらに向き直ると言い放った。
「い、いいでしょ! 利用料払ってるのは私なんだし。何に使ったって」
うわあ……最終的には開き直ってるよ、この姉貴。
さっき母のためなら、とか何とか言ってたけど、結局はこういうことか! その言葉にちょっと関心したオレがアフォだったわ。
そうだ。姉はこういう人間だった。大切なことを忘れてしまうところだった。
そして、今回、姉が変身した経緯をまとめるとこうだ。
今日は姉が大好きなゲームソフトの発売日で、予約した販売店から自宅までは往復でも1時間の距離がある。そのロスを減らすため、変身。魔法を使ってソフトをいち早く手に入れる予定だった。しかし、変身直後、何らかの原因で母に見つかる。母はちょうど良いとばかりに姉に庭掃除を頼んだ。変身している手前、断ることが出来なかった姉はしぶしぶ庭掃除をすることに。利用料金が時間の経過とともに加算されていくのに嫌気がさしてきた矢先、ちょうど窓辺で佇むオレを発見する。庭掃除を押しつけてトンズラしようと計画。
現在に至る。
私利私欲に魔法を使うなんて、お前は「時をかける少女」か。
時をかける少女は、少女が食べたかったケーキを取り戻すために制限付きのタイムリープを使用するのだが、姉もその次元とあまり変わらない。
「……そ、そう言う事だから、後は頼んだ! 残りはゴミ集めて袋に詰めるだけだからっ」
開き直りも甚だしい。
「じゃあ、取引だ。ゴミ集めておいてやるから、ゲーム取って来たついでに今週ザァンプとあんぱん買ってこい」
にやり、とオレが笑う。ななみに時間がないことは分かっているので、これ以上の争いはしないと踏み、交換条件を突きつけた。
「う、うぐぅ……こ、今回だけだからな!」
交渉は成立した。ななみは踵を返すと凄い勢いで階段を降りて行った。
途中、母に見つかり「あら、なっちゃん。庭掃除は?」と問われ「あたしに代わりにユズがやってくれるって」などと適当な答えをして外へ掛けていく。
自分が何のために変身したのか忘れているようで、慌てて自転車に乗り込みと勢いよく駆けだして、その姿はT字路の向こうに消えて行った。
おい、変身して魔法使って買いに行くんじゃなかったのか……?
オレのツッコミは、もう、ななみの耳には届かない。
そして、ななみは泣きながら帰って来た。
ずっと待っていたゲームを手にして、相当嬉しかったのだろう。そう思った。
しかし、真相は違っていたようだ。
どうやら、発売日を一日間違えたらしい。
本当の発売日は明日だ。
そのド派手な格好でアニ友の店内に駆け込み、店員にゲームの在処を尋ねたところで、ななみはようやく我に返ったと言う。
「あの「詠う王子さまっ!五七五、萌え萌え短歌★」は、明日発売になりますが……」
困惑した表情の店員に言われ、発狂しそうなほど恥ずかしかったと話していた。
そして小太りな店員に「ところで、それ、何の魔法少女アニメでしたっけ?」と言われ二度笑いを取ったようだ。
結局、誰のための変身であったか。
誰のための利用料金であったか。
誰かの幸せのためのチカラを、己のためと野心を燃やそうものならば、必ずやしっぺ返しを食らうのだと、身にしみて実感した土曜の午後だった。
そしてオレは、たいした苦労もせず、ザァンプとあんぱんを手に入れたのだった。
<弟の語り1・終わり>




