突然に
「記者を、買収?」
あまりに唐突な言葉に、バカみたいに狼狽えた。
この僕が、この男に、だ。
普段では絶対にありえない。
僕にとって早坂景は、取るに足らないヤツだ。いつも周りでちょろちょろと動き回って、媚びへつらっている愚かで情けなくて、ただただ目障り。そんなヤツだ。
そんなヤツに、こんなにも狼狽えてしまったのは。
「金を持ってたら、人の人生奪っていいのか!?」
「お前、何言って、」
「金儲けの為なら、人の幸せぶち壊してもいいのかよ!?」
まるで、昨日の僕自身を見ているかの様だったからだ。
いつもの媚び諂った笑みが、怒りの形相に変わってしまっている。言葉を詰まらせながら、僕を睨むその目に恐怖さえ覚えた。
そして、景が僕の襟首を思いっきり掴み、己へとぐいと引っ張る。
「前から俺の事バカにしてたろ? それでも俺は、家族の為にお前のご機嫌取りしてたのに!」
「はなっ、せ!」
「いいか? ウチが潰れたら、そん時は!」
強い力に、首が締まる。
少しだけ薄まった酸素に、必死に景を引き剥がそうともがいた。だけど、もがけばもがく程、コイツの力が俺を締め上げて。
「破滅させてやる! お前も! 家族も!」
「ゲホッ! いきなり、何の事だよ!」
「一生かかってでも、お前を殺す」
荒がった声が、一変して低く唸った。
血を這う声に、恐怖もろとも固まってしまう。その目を見て、今更気づいてしまった。
愚かで、情けなくて。目障りだと思っていたのは。
本当はーーーー
「もう、お前なんか怖くない」
ーーーーコイツの方だったんだと。
ボソリと呟いて、景が思い切り俺を離した。
どさりと尻もちついた俺に向かって、景がバサリと何かを投げつける。
見てみれば、いつか見た事がある週刊誌だった。
「お前の親父に、それ否定させろ」
「・・・・・・」
「でなきゃ、ウチは本当に終わりだ」
吐き捨てる様にそう言って、景が家から出て行った。
「一体、何だってんだよ・・・」
ゲホッと一つまた咳をして、投げ捨てられたソレに手を伸ばす。デカデカと書かれてある見出しは。
『有須加食品、ずさんな管理体制!』
・・・ありすか、食品?
その見出しに、慌ててページを開いた。そうか。アイツ、早坂景の実家は確か、食品会社。てことは・・・
「食品の使い回し、消費期限無視、産地ごまかし、食中毒・・・」
白黒の写真は、工場の内情が映し出されていた。実際とは違う産地登録をする場面や、食中毒になったとされる人物のインタビュー記事など、それはもう真っ黒い情報のオンパレードだ。
「これを、父さんが?」
でっち上げて記者に書かせた?
思い出すのは、父さんが持っていた有須加食品の土地売買計画書。
確かに、父さんは有須加食品工場がある土地に興味があるようだった。いや、でもだからって。
そこまで残酷じゃないはずだと、信じたいのに。
「父さん!」
信じられない自分はもう、この人を親だと思えていないのだろうか。
景に投げつけられた記事を手に、父さんの部屋へ勢いよく駆け込む。すると後ろから、ルナが泣きべそ顔で俺の腰に手を回してきた。1人で寂しかったのだろう。
ネクタイを閉めていた父さんが、横目で俺を見る。相も変わらず、温度のない目だ。無作為につけられてるテレビからは、ニュースを読むアナウンサーの声。
「なんだ。綾子から出してもらったのか」
「これ、父さんの仕業?」
「いきなり何、」
父さんの問いかけを無視してその記事を差し出せば、温度のない目が、大きく揺らいだ。
「何、どうなってる!」
「続いてのニュースです。お役立ちおかずシリーズ等で知られる有須加食品が、原料の産地偽装をしていました。食中毒も出しているとの事です」
「何だと!?」
耳に入ってきたニュースが、ついに父さんを動かした。滅多に取り乱す事がないこの人が、何かに急き立てられるかのようにテレビに詰め寄った後、カバンを引っつかんで部屋から飛び出した。
「父さん!」
「お兄ちゃん、お父さんとはもう仲直りしたの?」
「あ、えっと、」
父さんを追いかけ様とした俺を制するように、ルナが力込めて俺に抱きつく。ルナもルナで、家族を繋ぎとめようと必死なんだ。
大丈夫だからとルナの頭を撫で、父さんを追いかけ様とした、その時。
あの女の声がした。
「今、気づいて出てったわよ。バレないように、記者にはちゃんと口止め料お願いね」
部屋のドア一つ挟んで、誰かと電話している様だった。ドアノブを掴んだまま、女の発する声に神経を集中させる。
「あとは、有須加の方に清水建設の偽情報提供を訴えさせればいいわ。売買計画書は、私が持っていくわね」
・・・この女は、どこまで。
『破滅させてやる! お前も! 家族も!』
『一生かかってでも、お前を殺す』
どこまで僕らを、貶めるのだろうか。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
冷たいドアノブが、ガタガタと震え始める。それを隠すように、ルナを引き寄せ抱きしめた。