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星月の約束  作者: 三木光
7/9

カウントダウン

「父さん! あの女、浮気してるんだ。父さんは騙されてるんだよ!」

「……お前は、自分の保身の為にそんな嘘までつくのか?」

「なっ!」


 あの二人が寝そべり話していた寝室で。僕は一週間ぶりに家に帰ってきた父さんに喰ってかかっていた。

家に帰ってくるなり部屋に引きこもってしまった父さんを追いかけ矢継ぎ早にそう言えば、冷めた目線が返ってくる。


「綾子をなぜそんなに嫌うんだ。自分から歩み寄ろうという努力もしないで」

「本気で、言ってるのか? 本気であの女が、僕たちの母親になる気があると思ってんの?」

「いい加減にしないか。私はまだ仕事があるんだ」



 バサッ!

 

 父さんの腕にしがみついた僕を思い切り振り払った刹那、父さんが持っていた書類が音を立てて床に落ちた。それに呼応するかのように、強い力を受け止めきれずに僕も尻もちをつく。


 強打した腰に目をしかると、すぐ目の前に父さんが持っていた書類。反射的に目に入って来たのは、

『有須賀食品 土地売買計画書』の文字だった。



『ほら、有須賀食品の工場あるじゃない』



 途端に、昼間のあの女の声がした。どこまでもいやらしくて、下心を含んだ声。

 


 手を伸ばそうとすれば、遮る様に父さんがそれを拾い上げる。そしてじろりと、吐き捨てる様な目で僕を見た。



「早く、出ていきなさい」

「・・・・・・父さんは、今何しようとしてるの?」

「何だと?」

「あの女は、父さんを狙ってる!」

「何を馬鹿なこと。黙りなさい」

「僕たち家族の破滅を狙ってるんだ!」

「黙れと!」

「ねぇ父さん、お願いだから!」



 迫り狂う焦燥感に、言葉が止まらない。追いかけてくる黒い何かが、僕を急き立てる。


 見逃すな。一寸の希望を。一髪のチャンスを。だって僕は。今の無力な僕は、



「お願いだから、僕の言葉を聞いてよっ!」



 この人に、すがるしかないのだから。

 すがって生きるしか、それだけしか。



「僕はただ、昔みたいに暮らしたいだけなんだ!」



 今の僕には、出来ないから。



 最後の方の言葉が、最早父さんに聞こえていたかどうかは分からない。ただ、願う様に頭を下げた。


家族三人で暮らしたい。笑って、穏やかに。妹にはもう、あんな悲しい思いをさせたくない。

 

視界の端に映った、父さんの足。



「星児。お前が、そこまで言うなんてな……」

「え?」



 その言葉に顔を上げると、少しだけ眉根を下げた父さんが俺を見下ろしていた。そしてゆっくりとしゃがみこみ、俺と視線を合わせる。

 

 瞬間、いつも温度がないこの人の目が、少しだけ温かく見えた。



「父さ、」

「俺の手を煩わせる存在は、邪魔なだけだ」

「え、」

「星児。反省するまで、一人で頭を冷やしてろ」

「ちょ! 父さん!」



 肩が抜けるかと思うほど、ぐいと右腕を引っ張られる。無理やり立たせられ、引っ張られながら部屋から連れ出された。


 怒りに満ち溢れている、父さんが発する空気。大股で廊下を突き進み、乱暴にドアを開いていく。抵抗するが、ビクともしない。益々掴まれている腕に父さんの指が食い込み、歯を食いしばった。



「お兄ちゃん、どうしたの! ねぇ、お父さん! お兄ちゃんをどうするの!?」

「ルナ。部屋にいなさい」

「お兄ちゃん!」



 異様な僕と父さんの光景に、ルナがすっ飛んできた。途端に大きな目に涙をためて大声で喚くが、その声が父さんに響くはずもない。



「私がいいというまで、そこにいろ」

「父さん!」



 引きずられるようにしてやってきたのは、家の外にある物置小屋だった。放り投げられるように入れられ、ガシャンと勢いよく扉を閉められる。


 急いで扉を開けようとするが、無常に響く鍵の音。



「は、はは」



 何を、期待したんだ。僕はあの人に。


 その音を聞いた瞬間、冷めた気持ちが僕を襲う。

 あまりに滑稽なこの状況に、笑いさえでてきた。心臓をぎゅっとわし掴みにされたかのような静寂。鉢植えや、スコップ。いつかみんなでやったバーベキューセット等が置かれたその空間で、ストンと腰を下ろす。


 ガン、と壁に頭をぶつけ口を開いた。



「何をやってるんだ、僕は」



 目を瞑れば、脳裏に浮かぶ母さんの顔。暖かい料理を作って、僕たちに精一杯の愛情をくれた人。星児。僕の名前を呼ぶ母さんの声が、まだ耳に張り付いている。


 だけどもう、会えない。会えないのに、会いたくて堪らない。寂しい、つらい。もっと、一緒にいたかった。母さんの料理を食べたかった。一緒に笑って、遊んで。


もっと、もっと、もっと! なのに!



「お兄ちゃん!」



 天上からぶら下がった母さんの姿を思い出した瞬間、物置の外から妹の悲痛な声。ハッと我に返り急いで壁に手を添える。



「ルナ?」

「お兄ちゃん! 大丈夫?」

「うん、大丈夫だ。だから、部屋に戻ってな?」

「嫌よ! ルナ、お兄ちゃんとここにいる」

「危ないから! もう夜も遅い。だから部屋に戻ってろって!」

「ルナちゃん、ここにいたんだ」



 その声に、サッと血の気が引いていく。妹もそうなのだろう。壁越しなのに、ルナが息を呑むのが分かった。



「悪い子ねぇ。どんなお仕置きが必要かしらね?」



 待てよ。触るな。



「いやっ、お兄ちゃん!」

「ルナ! おい! 妹に手ェだすな!」

「威勢だけはいつもいいのね。そーんなとこ閉じ込められて。何も出来ないくせに」



 必要以上に口角を上げて女が笑う様子が、頭に浮かぶ。その魔の手が妹に伸びる前に、力いっぱい物置小屋の壁を叩いた。



「ルナに触るな!」

「何言ってるの。子供のしつけは、親の役目でしょう?」

「っ、誰がっ!」



お前は一体、僕らに何をしようとしている?


扉一枚向こう側。震えて立っているであろう妹を助けられない自分が情けなくて仕方ない。


カビ臭い物置小屋は、一層苛立ちを増長させ、女の狂気じみた眼差しと気配と存在が、扉の隙間からじわじわと音もなく僕に絡みつく。


ゆっくりと、着実に僕の足に絡みついて。



「何で、僕らなんだよ?」

「・・・・・・」

「何でアンタはっ! 僕らに近づいたんだっ!!」



絡みつくソレを払拭してしまいたくて、爪が食い込む程拳を握り締めた。



「生きてくためよ」



女の言葉に、ハッと顔をあげた。

生きていくため?



「賢く生きるためよ。贅沢して、楽しく生きるためよ。ダメ?」

「そんな、理由で、」

「至極正当な理由だと思うけど。何を今更。はぁ、欲をいえば、あんた達なんかいなければもっと楽にいったのにね。ねぇ、星児くん」



呼ばれた名前に、ドキリと心臓が痛む。女の吐く息がすぐ耳の横で聞こえた気がした。




「私の為に、死んでくれない?」




ぞくりと凍りつく背中。

一瞬思考が止まってしまう程、突如として放たれたその言葉を理解するのに時間がかかった。


・・・・・・死ねと、言ったのか?


母さんを奪って、家族をめちゃくちゃにして。ルナに危害を加えて、その上。



その上、僕に死ねと?



「まぁいいわよ。今はこの状況で我慢してあげる。だけどね、」



そこで言葉をきって、トンと扉に女が手を添えた。



「もう、始まってしまったわ。あんたたちの破滅のカウントダウンはね」



凍てつく声は、僕からあらゆる思考を奪っていく。


何で僕は、ただ黙って聞いているんだ。

何で言い返さない?何で足が震えるんだ。


何で、こんなに怖いんだ。




「お兄ちゃん!」

「感謝してよね。あの人に頼んで、明日の朝出られるようにしてあげたわ」

「うるさ、いっ!」

「じゃあね。一人の夜を楽しんで」

「いやっ! お兄ちゃんといるの! お兄ちゃん!」

「ルナ!ルナーッ!!」




妹の叫び声に、だんだんと扉を叩く。

遠ざかる足音と、妹の泣き叫ぶ声。

ひとしきり叩いて、そのままズルズルと地面に崩れ落ちた。

冷たいコンクリートが、じんわりと僕の熱を奪っていく。



「助けて」



両手で地面を叩き、絞り出す様に声を出した。

助けて。誰でもいいから。僕らを、この闇から引きずり出して。


 隙間風の通る物置小屋で、何回も何百回も唱えた。

 

 ・・・・・・だけど。



「どうしてくれんだよ!」



 次の朝。僕を待ち構えていたその男は。



「何で、有須賀食品から食中毒が出たなんて、そんなデタラメの記事書かせたんだ!」



全身を強張らせ、これでもかと歯を食いしばって。

今にも殺さんとばかりに、僕に向かって怒りをぶつけてきた。



「お前の親父が記者を買収したせいで、ウチの会社、倒産するかもしれないっ! どうしてくれんだよ!」



 早坂景。


しつこいくらいに僕につきまとっていたその男だった。






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