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星月の約束  作者: 三木光
3/9

信じられない現実

「また、どうしてこんなことに」

「あんな立派な旦那さんと、まだ幼い子供たちがいるのにねぇ」

「すごく幸せそうだったけど。まさか、自殺をするなんて」

「まぁ、何にしても。子どもを残して死ぬなんて、碌な女じゃなかったのよ」




 悪いのは、母さんだったのか。



周りの音が、雑音として耳に入ってくる。ぼーっとする頭に感じるのは、たった一人の妹、ルナと手を繋いだぬくもりだけ。足元が、すごくフワフワする。

 


信じられない、信じたくもない現実は、まるで走馬灯のように、素早く僕の前を流れていった。着なれた学生服に身を包んだ僕が今立っているのは、母さんの告別式。





「・・・・・・お兄ちゃん」

「ん?」

「お母さんは?」

「・・・・・・」




 幼い妹は、この現実を理解しきれていないみたいだ。今にも泣きそうな顔をしている。そんなルナに、精一杯笑って見せた。僕が泣いたら、きっと妹も泣いてしまうだろう。



 精一杯の強がりをして、何時ものようにルナの頭をぽんぽんと撫でる。「大丈夫だ」と、何回も呟いて。





「星ちゃん、ルナちゃん。大丈夫かい?」

「あ、おばあちゃん!」

「おばあちゃん」





 しわがれた声に振り向くと、喪服を着たおばあちゃんが立っていた。母さんの、母さん。母さんと同じ、優しい目元を細め、おばあちゃんは僕を支えるみたく、肩に手を添える。





「恐かっただろう」

「そんな、こと」

「陽子もどうして、こんな可愛い子どもたちを残して・・・・・・」





 う、う、と声を詰まらせて、おばあちゃんは泣いてしまった。僕の瞳が映す先は、穏やかな顔をした母さんの遺影。どうして母さんが、死ななければならなかったのだろうか。どうして、どうして、どうして!!





「星児、大丈夫か?」

「荒巻さん」

「・・・・・・親父さんは?」

「来て、ないです」





 そう小さく呟くと、荒巻さんも「そうか」と小さく呟いた。相変わらずの苦い煙草の香りは、僕を現実へと連れ戻す。こんな時でさえ、ぼさぼさとした頭に、よれよれのスーツを着たこの人は、スッと切れ長の目で母さんの遺影を見つめた。





「怨むな、星児」

「・・・・・・え?」

「誰のせいでもないんだ、こうなったのは。誰のせいでも」

「でも!」

「怨むな。醜い感情は、その手に掴んでいるものでさえ、葬ってしまう」





 そう言うと、荒巻さんはルナの顔を見た。自然と僕の手に、力が籠る。




「だから星児、強く生きるんだ。もう二度と、大切な物を失くさない様に」





 ぽたりと、僕の拳に一つ滴が落ちた。隣にいるルナが、心配そうに僕を見上げる。



 じゃあ、誰に。この悔しさと、雪辱と、虚しさは、一体誰にぶつければいいんだ。




大切な人だったんだ、僕の。綺麗で、明るくて、誰よりも優しい僕の母さん。心にぽっかりと大きく開いたこの穴を塞げるのは、何だというのか。



 下らない大人たちの噂話がひしめく中で、僕は只泣きながら、突っ立っていることしか出来なかった。








「お兄ちゃん、ご飯まだー?」

「はいはい、今用意してるよ」

「もう、遅刻しちゃうじゃない!」




 頬を膨らませて、ぷりぷりと怒るルナ。そんな妹に、僕は茶碗にご飯をよそいながら、苦笑する。相変わらずオマセな彼女は、自分で出来るようになったみつあみを揺らして、自らの椅子に座った。





「ほら、ご飯」

「あれ、お兄ちゃんは?」

「母さんに、届けてから」

「ふーん」




 食いしん坊のルナには、お預けという事が出来ない。もう、卵焼きを口の中へと運んでいた。僕は、母さんが好きだったおかずと、母さんが使っていた茶碗を持って、仏壇の前へ。正座をして手を合わせると、あの時の記憶がまざまざと蘇ってくる。




 揺れる母さんの体を繋ぐ、バラのスカーフ。まるで別人の様になった、母さんの顔。


あれから一年。母さんは、自殺という事で弔われた。遺書は、なかった。





「母さん。僕は、騙されないよ」




知ってる。母さんは、自殺なんかしない。殺されたんだ、あの女に。



 手を合わせたまま顔を上げると、遺影の中の母さんと、目があった。僕ら二人を優しく包み込む、懐かしい瞳。だけど僕には、真実を晴らして欲しと訴えかけている様に感じてならない。




「悔しかっただろ?悲しかっただろ?あんな小汚い物で殺されるなんて」




 あのスカーフで命を絶たれた母さんは、今何を思っているのだろう?


 母さんの頬を指でなぞり、ギュッと握る。何時か必ず。あいつが母さんを殺したという証拠を掴んで、監獄の中へぶち込んでやる。






「お兄ちゃん、遅刻しちゃうよー!」

「今行くよ」



 僕を呼ぶ妹の声に、ふっと笑った。




「安心して、母さん。ルナは、僕が守るから」





 これだけは、絶対。命に変えても、誓うから。







「よぉ、星児。元気か?」

「荒巻さん。またサボってるんですか?」

「人聞き悪い事言ってんじゃねぇよ。休憩だ、休憩」

「同じじゃん」





 学校からの帰り道。パトカーに寄りかかって煙草を吸う荒巻さんに会った。母さんが亡くなって以来、何かと気にかけてくれるこの人は、父さんより頼りになる人だ。相変わらずやる気のない切れ長の瞳で、ははっと荒巻さんが笑う。





「違いねぇわな。親父さんとは仲良くやってるか?」

「やってると、思いますか?」

「・・・・・・もっと中学生らしい、受け答えをしたらどうだ?」




今度は眉根を寄せて、困った様に笑う。それに僕も笑って、「ぼちぼちです」と答えた。





「まぁ、気難しい人ではあるがな。あれでも、お前たちの事を思ってんだぜ?」

「冗談はよしてください。僕は、あの人を軽蔑してるんです」

「・・・・・・」

「母さんは、あの人が殺したも同然だと思ってます。きっと、多分一生、」




 そこで、言葉を切った。喋ってる途中に渦巻いて来た真っ黒い感情に、胸が押しつぶされそうだ。

 一年前、「怨むな」とこの人は言った。だけど、だけど。無力な僕が自分を慰めるには、誰かを憎むしか。それだけしか。





「・・・・・・きっと多分一生、許しません」




 それだけしか、出来ないんだ。



ぼそりと呟けば、ふーっと白い煙草の煙を、荒巻さんが吐きだした。







「お兄ちゃん、お母さん喜んでくれるかな?」

「喜んでくれるさ。なんたって、ルナの手作りなんだから」

 



そう言うと、ほっぺたをチョコレートまみれにした妹が、二カーッと笑う。それが凄く可笑しくて、指で掬って取ってやった。



 今日は、母さんの誕生日。主役がいない誕生日は凄く寂しいけれど、せめて僕らだけでもお祝いしようと、部屋を飾った。ケーキもルナの手作りだし、料理も母さんの好きな物をたくさん作った。






「随分と豪勢じゃないか。一体どうしたんだ」

「と、父さん!」





 気付かなかった。祖の低い声に振り向くと、何時もの無表情な顔をした父さんが立っている。ドキリと高鳴った心臓に、一歩後ずさる僕。すると父さんは、僕が作った料理を一瞥し、口を開いた。






「まるで、知っていたかの様だな」

「え?」

「紹介する。倉永綾子さん。お前たちの、新しい母親になる人だ」

「は?」



 何て、言ったんだ?今。




 父さんは依然として無表情だ。その顔が何を考えているかなんて、全然分からない。






「ちょっとー。おいてくなんて、酷いじゃない。何時だって身勝手なんだから」




 ・・・・・・どうして。どうしてこの人が、ここに。




 父さんの後ろからひょこっと顔を出したのは、紛れもないあの人で。一年前より少し伸びた髪を掻き上げ、不敵に笑った。






「お久しぶりね。元気だった?」

「何で、何であんたがここにいるんだよ!」

「星児。言葉に気をつけなさい」

「父さん!」

「もう決まった事だ。お前が口を挟む事じゃない」

 



そう言って、父さんは振り返る。その人の、肩を抱いて。




「今日は遅くなる。先に寝ていなさい」

「ふ、ふざけるなよ!母さんが死んで、まだ一年だぞ!」

「・・・・・・」

「それに母さんは、その女が殺したんだ!その女が!」






 言い終わる前に、体が吹っ飛んだ。物凄い衝撃に、脳が揺れる。食台にぶつけた瞬間、音を立てて落ちた、ルナの手作りケーキ。





 何が起きたのか分からなかったけれど、じんじんと痺れる様な左頬の痛みに、殴られたんだと気付いた。見上げれば、冷たく僕を見降ろす父さん。





「口を慎め。あいつは、自分の意思で死んだんだ」

「違う!」

「黙れ!分からんのか。捨てられたんだよ、お前たちは。あの女に」




 違う。違う、違う、違う!!母さんは、僕らを捨てたりなんかしない!


 そう言い返してやりたいのに、言葉がうまく声となって出てきてくれない。父さんはスーツの襟を正すと、「頭を冷やしなさい」と部屋を後にした。言い表しきれない悔しさにギュッと唇を噛むと、あの女がしゃがんで僕の顔を覗き込む。






「そんなに突っ張らないで、仲良くしましょうよ」

「触るな」

「言ったでしょ?いつか私の事、母さんって呼ぶ日が来るって」

「・・・・・・母さんは、お前が殺したんだろ」

「ふふ、あはははは!何それ!おっかしーい」




 こいつの匂いには、相変わらず反吐が出る。





 睨む僕を小馬鹿にした様に笑い、そいつは立ちあがった。そして、意気揚々と口を開く。





「あんたに、私は倒せない」





 浴びせられた言葉が、僕の心臓を抉った。去っていくあの女の足音も、漂うきつい香水も、頭にこびりついた父さんの言葉も、何もかもが僕を追い詰める。






「うあ、うあー!!」

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」




 縋りつくルナでさえ、この怒りは収まらない。体の奥底からじわりじわりと湧きあがる憎しみが、僕を支配していく。



『怨むな』無理だ。無理だよ、そんなこと。荒巻さん。僕は、そんな立派な人間じゃない。大切な人を奪われて、ニコニコ笑っていられるような、そんな強い人間じゃないんだ!




「絶対、絶対あいつを、地獄に落としてやる!」




 憎しみという感情は、人を簡単に変えてしまう。ついに泣き出したルナも無視して、僕は作り上げた料理の数々を、叫びながら床に落とした。

 



虚しく部屋に響く、皿の割れる音。



・・・・・・殺したい。殺したい!あの女も、父さんも、みんな!!






『醜い感情は、その手に掴んでいるものでさえ、葬ってしまう』




この時の僕は。あの時荒巻さんが言った言葉の本当の意味を、理解してはいなかった。












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