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~鳳ハヅキ~

朝起きると、部屋中に焦げ臭い匂いが立ちこめていた。

 あー、またか……。

 ハヅキはゆっくりと体を起こすと、ベッドサイドのテーブルに置いた眼鏡に手を伸ばす。

 ふるふるっと頭を軽く振ってから、同じくテーブルの上に常備してあるチョコレートをひとかけ口に放り込んだ。

 チョコレートを朝一で頬張るのはハヅキの習慣だ。小学生の頃、脳が疲れた時には甘い物が良いと聞いてから、脳味噌にスイッチを入れるつもりで朝一にチョコレートを食べるようになった。最初はただの日課に過ぎなかったが、続けているうちに本当にそれをきっかけにして脳が稼動する気がするようになった。

 パジャマのまま部屋から出ると、キッチンから咳き込む声が聞こえる。

 「うっ……ゴホッ……カハッ……」

 大丈夫か? と思いながらも、ハヅキは決してキッチンに向かおうとしない。

 「おや? ハヅキ、おはよう」

 隣の部屋から、正悟が顔を出した。シルクの生地の、オフホワイトのパジャマに身を包み、世にも爽やかな笑顔で正悟は微笑んだ。

 「今朝の目覚めはあまり良くないんだ……この匂いのせいでね。」

そう言いながらハヅキの前をスッと通り過ぎた正悟からは、ほのかに薔薇の香りがする。

 正悟は薔薇を愛していて、ローズウォーターとやらをありとあらゆるものに吹き付けて

いるのだ。

 (爽やかすぎる……本当に寝起きか、この人は……)

 突っ込みたくなる気持ちをぐっとこらえて、正悟の後に続いて廊下を歩く。

  正悟はキッチンの手前にある洗面所の扉を開けた。やっぱり正悟も、キッチンへ行くつもりはないようだ。

キッチンから聞こえる咳はどんどん間隔が短くなって行く。

 「ゴホゴホゴホッ……かはっ……うっ……うげほっ……げほっ……はぁ、はぁ……うぅっ!!」

 「あ――――もぉっっっ!!! うるっせ―――!!!」

 一番最後に起きた桜紅夜が、たまりかねてキッチンまで突進し、音を立てて扉を開いた。

 洗面所から顔だけ出す格好でキッチンを見ると、キッチンは煙で灰色になっていた。

 「うわぁ……まるでモノクロの映画のようだね」

 歯ブラシを口に入れたまま、正悟が言った。

 「今日は一段とひどいな。僕、今朝の朝食はいらないや。洋服や髪に、あの匂いがついてしまったりしたら、とてもじゃないけど正気でいられる自信がないんだ」

 今朝の食事担当はイツキだ。

 イツキは料理の才能がまるでない。一切ない。目玉焼きを四つと食パンを四枚焼こうとするだけの事でキッチンを壊滅寸前にまでしてしまえる事は、むしろ才能だと、言えなくも、無いが……。

朝起きて焦げ臭い匂いがする日は、最初にキッチンへ立ち入った者がイツキを手伝う事になるので、そんな日は誰もキッチンへ行きたがらない。

 ハヅキも正悟も、いつもの習慣なら歯を磨くのは朝食の後なのだけれど、今日に限って朝起きて一番に洗面所に居るのはそのせいだ。

 「なら、朝食、どうするんですか?」

 ハヅキがたずねると、正悟は美しく微笑みながらサラッと答える。

 「お向かいさんのカフェへお邪魔するさ。だから、ハヅキ……。……ね?」

 少し垂れ目がちで深いブルーの瞳は、これでもかという程艶っぽく、フェロモンを振りまきながらハヅキを見詰めた。

 その魅惑に、ハヅキは一瞬だけ飲み込まれそうになり、ぽわん……としてしまったが、ハッと我にかえると、差し出された正悟の白い手をパンッと払いのけた。

 「駄目ですよ! 今月は生活費が苦しいんですから!」

 「えぇっ?! この僕がこんなにお願いしているのにっ! あの匂いに僕がまみれたら、この街の女性がみんな泣いてしまう事になるんだよ?!」

 「知りませんよ!! いいですかっ?! 明日ですよ! 今月の家賃の支払いはっ! あんた十日前に新しいジャケット新調しましたよね?! 値段覚えてますか、六万五千Gですよ!! たかが洋服に!! 今月こなした依頼が八件、トータルの稼ぎが十二万八千二百Gなんです! そういえば初月にも……」

「あぁっ……」

「? ……なんですか?」

「ハヅキ、元気いっぱいなのはいい事だけれど、もう少し小さな声で話してくれないと、僕の鼓膜が破れてしまうよ。繊細なんだ……」

「んな訳あるかよっ!!」

 その後結局、ハヅキはキッチンの掃除をする事になり、朝から全身を汚す事になった。そしてイツキも、掃除を手伝った。

 料理は、桜紅夜が作る事になった。桜紅夜は短時間の間に、チーズとベーコンのホットサンドイッチ、野菜サラダ、フルーツヨーグルトをテキパキと揃えた。ぶっきらぼうな性格に似合わず、桜紅夜は料理が得意なのだ。

 料理なんか好きじゃねぇ、と言う桜紅夜が、それならどうして“得意”になってしまったのかというと、兄の正悟との二人暮らしが長かった事が原因に違いない。

 「おい、もうメシできるぞ。ちんたらすんな」

そう言って、イツキをジロリと睨むその鋭い目つきは、彼の長くて明るい茶色の髪をまとめている三角巾とエプロンに、死ぬ程不釣合いだ。

「あははははははっっ!! 何度見てもチョーうけるんだけどっ! 」

「あぁ?! 笑うんじゃねー! 誰の尻拭いしてると思ってんだ!!」

 「ははははははっっ! 台詞がよけーミスマッチだしっっ!!」

 「イツキ、てめーいい加減にしねぇとぶっ飛ばすぞ!!」

 ハヅキはすすだらけになりつつ、そんな二人を横目に、部屋まで正悟を呼びに行くのだった。



 

 (……な、何かが違う、何かがっ!)

 正悟と一緒に戻ってきたハヅキは、食卓がやけにきらびやかでエレガントになっている事にひどい違和感を覚えた。

 特に、そう。正悟の席だ。

 “匂いもつきにくいし、割れることもないし”という理由で揃えたはずのステンレスの食器が、正悟の席だけ全て陶器の洋食器に変わっている。

 「相変わらず悪趣味だよなぁ、おい……」

 口ではそういいつつ、全く気にも止めていない様子の桜紅弥は、その正悟のティーカップにハーブティーを注いだ。

 「すっげーなぁー!」

 ハヅキの隣で、イツキは異様な程に大きな目をキラキラさせている。

 長く美しいその指でゆっくりとティーカップを持ち上げ、ハーブティーの香りをすぅっ、と吸い込んで楽しむと、正悟は言った。

 「うん。いいね。とてもいい。見てごらん。ルビーを陽の光にかざした様な色をまとっているこのローズヒップティーに、とても相応しい美しいカップだろ? 魅力を引き立て合うことが出来るようなパートナーが、ずっと必要だったんだ。今日は喜んでいるようだよ、その証拠にとても美味しい」

 (…………は?)

 言われるがままにきちんとティーカップを眺めた真面目なハヅキが想像ができたのは、ティーカップのおおよその値段くらいだった。

 あのカップは、絶対に高い。そしてそれを含むこの洋食器一式は、もっと高い。

 「……正悟さん。一体……どこから……」

 ハヅキはわなわなと手を震わせながら、やっとのことでそう質問した。こみ上げる感情の波を、押し込めるのに必死だった。

 「これかいっ?!」

 良くぞ聞いてくれました、といわんばかりに、正悟は自慢げに、そしてとても愉しげに話し出す。

 「ふふ、とても美しいだろう? やっぱり、君も気になるかい? この食器たちが放つ輝きは、君でさえも魅了してしまうんだね。そうか、ふふっ。これはね、この国の王室で使われている物なんだ」

 「はぁっ?!」

 「僕のハニーに、王室勤務のメイドが居てね、一度も使われる事なく倉庫に放ってあった食器を、オークションにかけていたんだよ。さすがに王室の物となると値が張ったんだけどね……。僕への愛の証に、と言って、驚くほど格安で譲ってくれると言うものだから」

 「へーそれはそれはヨカッタ。で結局いくらだったんデスカ」

「たったの4万Gだよ!! この一式で4万Gだよ!! ものすごい幸運に恵まれたろ?!」

 無理やり抑え続けた感情は、まるで風船が割れるように急にその存在感を失った。その代わりなのだろうか。ハヅキは眩暈がする。

 「普通ならこうはいかないさ。倍の8万Gどころかもっと……」

 「破産ですよ!! 今月破産ですよっっっ!!」




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