第4話:麗しの騎士と、揺れる影
続きは本日中にー
その日の昼下がり、私は中庭のベンチで小さなスケッチブックを広げていた。
描き止めているのは、先ほど見かけた用務員の老人が、錆びた鍵を鍵穴に差し込む際に見せた、手の甲の浮き出た血管である。この使い込まれた道具のような機能美こそが、若者には決して真似できない年月の結晶なのだ。
幸せな生活に没頭していた、その時だった。
「ほえ? ブラム様ぁ、このお花、とっても綺麗ですぅ!」
「ははは、アリスの方がずっと綺麗だよ。そうだ、その花を髪に飾ってみないか?」
静かな空気を切り裂くような、緊張感のない声。
顔を上げずとも分かる。ブラム様と、そのボランティア対象であるアリス・ハーシェルだ。
二人は私の存在に気づくと、あろうことかこちらへ向かって歩いてきた。
「あ、セリーヌ! こんなところで何してるんだい? …また変な絵を描いてるのか?」
ブラム様が私の手元を覗き込もうとしたので、私は素早くスケッチブックを閉じた。これは聖典だ。未熟な若造の目に触れさせて汚すわけにはいかない。
「ご機嫌麗しゅう、ブラム様。…アリス様も」
「初めましてぇ! あたしアリスですぅ! セリーヌ様って、いつも一人で寂しそうですねぇ。よかったらあたしたちと一緒に遊びませんかぁ?」
アリスが、ピンク色のふわふわした髪を揺らしながら、遠慮もなく私の隣に座ろうとした。
その瞬間、彼女のまとう甘ったるい香水の匂いが鼻を突く。…ああ、庭師の老人が漂わせていた、あの落ち着く「土と乾いた草の匂い」が上書きされてしまう。
「お気遣いなく。私は一人の時間を楽しんでおりますから」
「そんなこと言わないでくださいよぉ! ブラム様が、セリーヌ様は顔が怖いから友達がいないんじゃないかって心配してたんですよぉ?」
アリスが、悪気があるのかないのか判別不能な笑顔で、私の腕に触れようとした。
「……っ」
私は反射的に身を引こうとしたが、アリスの動きは意外にも素早く、逃げ場を失いかけた――その時。
「――そこまでにしていただけますか。令嬢のパーソナルスペースを侵すのは、平民クラスとはいえ、あまりに無作法ではありませんこと?」
低く、通る声。
私たちの間に、凛とした影が割り込んだ。
スザンナ・マロリー。
マロリー伯爵家の令嬢であり、騎士の家系に生まれた彼女は、学園の制服を騎士服のように着こなしている。長く美しい髪を一つに束ね、その瞳は意志の強さを物語るように輝いていた。
実は私の美学を打ち明けている方でもある。
「ス、スザンナ様……」
ブラム様がたじろぐ。スザンナの実家はアレンビー家とも親交があるが、何より彼女自身の放つ威圧感に気圧されたようだ。
「スザンナ様。助かりましたわ」
「いいえ、セリーヌ様。失礼な輩には、はっきりと拒絶を示してよろしいのですよ」
スザンナ様は私を庇うように立ち、ブラム様とアリスを冷ややかに見据えた。
「ブラム様。婚約者の前で他の女性とむつまじく過ごすのは、貴族としていかがなものかと。…それにアリスさん。マナーを学びたいのであれば、正式な講義を受けなさい。ブラム様にすがりつくのは学習とは呼びません」
「ふ、ふえぇん……。ブラム様ぁ、この人怖いですぅ……」
アリスがブラム様の袖に隠れて泣き真似を始める。ブラム様は「アリスにそんな言い方しなくていいだろ!」と抗議する。しかし、スザンナ様が静かに剣を帯びていないはずの腰に手を当てると、彼は蛇ににらまれた蛙のように沈黙した。
「……行こう、アリス。ここは空気が悪い」
捨て台詞を残して立ち去る二人を見送り、私はふぅと息を吐いた。
「スザンナ様、ありがとうございました。おかげで平穏が戻りましたわ」
「セリーヌ様、あなたは寛容すぎます。あんな者たち、もっと厳しく処すべきですのに」
スザンナはため息をつき、私の隣に腰を下ろした。彼女の所作は無駄がなく、流れるように美しい。…この若さでこれほどの完成度。彼女もまた、良い歳の取り方をしそうな逸材だわ。
「それで、セリーヌ様。…少し、お耳に入れたいお話があるのです」
スザンナ様の表情が、不意に真剣なものに変わった。
「…アレンビー伯爵のことなのですが」
その名前が出た瞬間、私の背筋が伸びた。
「我がマロリー家は、アレンビー領と隣接しております。先日、父からの手紙で知ったのですが…エドモンド様の腰の具合が、あまり芳しくないようなのです」
「えっ…」
「立ち上がるのもお辛い日があるそうで、近々、全ての公務を退き、爵位を弟君に譲る準備を進めているとか」
私の頭の中に、晩餐会の夜、重い足取りで去っていったエドモンド様の姿が蘇った。
あの時感じた「一瞬の苦渋に満ちた表情」。あれは疲れではなく、深刻な病状の現れだったというのか。
「引退後は、より温暖な帝国への移住を考えていらっしゃると聞きました。…そうなれば、セリーヌ様。ブラム様と結婚してアレンビー家と縁を結んでも、あの方とは離れ離れになってしまいますわ」
衝撃だった。
私の「至近距離・終身観察計画」に最大の危機が訪れたのである。
ブラム様という額縁に耐えることの対価は、エドモンド様を毎日拝めることだったはず。その中身(名画)が帝国へ行ってしまうなら、私は何のためにブラム様の無礼を耐え忍んでいるというのか!
「…それは、本当なのですか?」
「ええ。内密な話だそうですが、マロリー家には正式にお話がありました。…セリーヌ様?」
私は、手元のスケッチブックを強く握りしめた。
(いけませんわ。そんなことは、断じて許されません……!)
エドモンド様が療養されるのは仕方がない。しかし私の視界から消えてしまうのは世界の損失だ。それに、あの方が腰の痛みで苦しんでいると思うと、私の「見る専門」としての魂が、何かをしなければと叫んでいる。
「スザンナ様。私、決めましたわ」
「…何を、ですの?」
「次の長期休み、マロリー家へ遊びに伺ってもよろしいかしら? もちろん、隣領のアレンビー様へ、婚約者としてお見舞いに伺うためです!」
スザンナ様は少し驚いた顔をしたが、すぐに納得したように微笑んだ。
「まあ、健気なことです。伯爵も、セリーヌ様の訪問ならきっと喜ばれるでしょう。…分かりました、お父様には私から伝えておきます」
「ありがとうございます、スザンナ様!」
私は立ち上がり、アレンビー領の方角にある空を見上げた。
エドモンド様。待っていてください。
あなたのその病に耐える痛ましくも美しい姿を、私がこの目にしっかりと焼き付けに伺います。
そして、ついでにブラム様の「ボランティア活動」の報告という名の、婚約解消への外堀埋めも…ええ、ついでにやっておきましょう。
日記を更新しましょう。
『緊急事態。名画が海外流出の危機。これより保護作戦を実行する。
…スザンナ様は、騎士としてのシワが刻まれるのが今から楽しみな、将来有望な友である』
女の子ってスキンシップが好きな印象
アリスに悪意はないと思います、だからこそやべーというね
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