第3話:額縁の不始末と、慈悲深き(?)微笑
続きは本日中にー
学園生活が始まって数ヶ月。
私の枯れ専ライフは、それなりに充実していた。
講義中に眼鏡をずらして眉間にシワを寄せる歴史学の教授、中庭の木々を剪定しながら時折腰を叩く庭師の老人、そして放課後に校門の前で背筋を伸ばして立つ、いぶし銀の馬車引き……。
学園という場所は若さの象徴であると同時に、それらを支え導く「完成された大人たち」の宝庫でもあったのだ。私は日々、彼らの仕草を目に刻み、夜な夜な日記にその造形美を記すという、清らかな(と自分では思っている)生活を送っていた。
しかし、そんな私の平和な観察を邪魔する存在がいた。
私の婚約者、ブラム・アレンビー様である。
「悪い、セリーヌ! 今日の放課後の約束、行けなくなった!」
何度目かのキャンセルだった。
学園の廊下で、ブラム様は申し訳なさそうな顔を一瞬だけ作り、すぐに快活な笑みに戻った。
「編入してきたアリスが、また貴族のマナーで困っててさ。俺が教えてやらないと、あの子、学園で浮いちゃうだろ? 君はしっかりしてるから、一人でも大丈夫だよな!」
彼は私の返事も待たずに、ピンク色の髪をなびかせて遠くで手を振っているアリスという平民の少女のもとへ走っていった。
「……そうですか。お気をつけて、ブラム様」
私は走り去る彼の背中を見送る。
怒り? いいえ、そんなものは微塵も湧いてこない。
むしろ今日の放課後は図書室で、分厚い眼鏡をかけた老司書が、高い棚の本を取る際に腕をプルプルと震わせる、あの一瞬の筋肉の動きを観察しようと思っていたのだ。ブラム様のおかげで、予定が空いてちょうど良かったくらいである。
しかし、こうしたブラム様の不誠実な態度は、いつの間にか実家の家族の知るところとなっていた。
◇◇◇◇◇◇
ある週末の休日。
エヴァーツ侯爵家のティータイムは、いつになく重苦しい空気に包まれていた。
「…それで? 今月の誕生日の贈り物も、ブラム君からは届かなかったというのかい?」
父ベンジャミンが、手元のカップをガシャンと音を立てて置いた。
刈り上げた短い茶髪の下で、父の青い瞳が怒りに燃えている。最近、少し生え際が後退してきたことを気にしている父だが、怒っている時のその額のラインは、なかなかに見応えがある。
「ええ。何でも、アリスという方の家が運営する商会が資金難だそうで、そちらの支援にお金を使ったから、私の分はまた今度、と言われましたわ」
私はスコーンにたっぷりとクロテッドクリームを塗りながら、淡々と答えた。
「資金難!? アレンビー伯爵家の息子が、婚約者の贈り物を削ってまで、他家の商会の肩代わりをするというのか! しかも、よりによってセリーヌの誕生日に!」
「お父様、落ち着いてくださいな。お顔が真っ赤ですわよ。…シワが深くなって、とても素敵ですけれど」
「お姉様、今はそんなことを言っている場合ではありませんわ!」
横から妹のキャサリンが鋭いツッコミを入れてきた。
キャサリンは私と違い現実主義で、姉の不遇を自分のことのように怒ってくれる優しい妹だ。
「ブラム様の態度は完全にお姉さまを軽視しています。約束をすっぽかし贈り物を欠かし、あまつさえあの『珍獣アリス』とかいう娘とばかり一緒にいるなんて…! 社交界ではもう、お姉さまが捨てられたのではないかという噂まで立っているのですよ!」
「まあ、そうなの?」
私は一口、スコーンを頬張った。美味しい。
「そんな噂、放っておけばよろしいのに。ブラム様が私に構わないおかげで、私は自由な時間を楽しめていますわ。それにアレンビー家との繋がりさえあれば、私は将来、あの至高のエドモンド様を毎日拝める身分になれるのですから。それ以上の贈り物が、この世にありますか?」
「お姉様!!」
キャサリンの悲鳴のような叫び。
母リネットも、こめかみを押さえて深いため息をついている。
「セリーヌ…あなたは事態がどれほど深刻か理解していないようね。…あなた、アレンビー伯爵に一度、正式な抗議をすべきです」
「ああ、分かっている。エドモンドには、息子が我が家の娘に対してどれほどの無礼を働いているか、はっきりと伝えなければならん」
父が立ち上がろうとしたその時、私はそっと父の手を制した。
「まあまあ。お父様、お母様。そんなに怒らないでくださいな。ブラム様はまだお若いのです。若さゆえの好奇心や、勘違いもあるでしょう。それをいちいち目くじらを立てて怒るなんて、大人の余裕がありませんわ」
私は、聖母のような慈愛に満ちた(と周囲には見えるであろう)微笑みを浮かべた。
実際には、「ブラム様がアリスという子と遊んでいれば、結婚後も私に干渉せず、私は思う存分エドモンド様の観察に集中できる。これは利害が一致している関係ではないかしら?」という、ひどく冷めた計算が働いているだけなのだが。
しかし私のこの態度は、家族には「耐え難い苦しみを、婚約者の父を間近で拝むために隠して耐えている健気な娘」と映ってしまったらしい。
「……セリーヌ……お前というやつは…。そこまでエドモンドに惚れこんでいるというのか…。ブラムというあんな阿呆のために、自分を犠牲にしてまで…」
父の目に、涙が浮かんでいる。
「お姉様…。私、お姉様がそんなに我慢強い人だとは思いませんでした。……あんなブラム様、私がお姉様の代わりに、今度学園で一発殴ってあげますからね!」
「いえ、キャサリン。暴力はいけませんわ。彼が何をしようと、私は問題ないのですから」
(そう。エドモンド様の義理の娘という肩書きさえ手に入れば、ブラム様が道端の草を食べていようが、平民の娘と駆け落ちしようが、私の知ったことではありませんわ)
母はあきらめたように盛大な溜息をついた。
「…とにかく、あなたの婚約者には、一度身の振り方を考え直させる必要があります。たとえあなたが許しても、エヴァーツ侯爵家としての面子があるのですから」
「ふふ、お母様にお任せしますわ……ああ、それよりお父様。さっきの怒った時のシワ、もう一度見せていただけませんか? とても力強くて、生命力を感じましたわ」
「……セリーヌ。お前は本当に、変わった子に育ってしまったな…」
父は力なく笑いながら、私の頭を撫でた。
◇◇◇◇◇◇
翌日、学園へ行くと、ブラム様がこれ以上ないほど得意げな顔で私に近づいてきた。
「おはよう、セリーヌ! 聞いたよ、昨日の話。君、両親の前で俺を庇ってくれたんだって? エヴァーツ侯爵から父上に連絡が来たらしくてさ、父上にめちゃくちゃ怒られたけど、俺、感動しちゃったよ」
ブラム様は私の両手を握り、顔を近づけてきた。
「君がそんなに俺のことを好きだなんて、気づいてあげられなくてごめん。アリスのことは、あの子が一人前になるまでの『ボランティア』みたいなものだからさ! 心配しなくていいよ、俺が一番愛しているのは君なんだから!」
(…ボランティア。まあ、面白い表現を使いますわね)
私は彼の顔を至近距離で見つめた。
毛穴一つない、みずみずしすぎる肌。自信に満ちた、浅い微笑み。
(やはり、この額縁はうるさすぎるわね。もう少し静かに、ただそこに存在しているだけの道具になっていただければ良いのですけれど)
「光栄ですわ、ブラム様。これからも、どうぞお好きなようになさってくださいな。私は…ええ、いつも通り、あなた(の後ろにいる歴史)を見守っておりますから」
「ははは! 健気だなぁ、セリーヌは!」
ブラム様は私の肩を抱こうとしたが、私は自然な動作でそれをかわし、歩き出した。
彼の勘違いは、もはや修正不能なレベルまで加速している。
そしてその影で、私の「エドモンド様・完全観察計画」は着々と進行しているのだ。
さあ、今日はどの老紳士に会いに行きましょうか。
学園の裏門に、最近新しく入ったという「偏屈な用務員」のおじい様がいると聞いた。彼が持っている錆びた鍵束と、それを扱う節くれ立った指先……。
ブラム様の空っぽな愛の言葉よりも、そちらの方が、今の私にはよほど価値のある宝物だった。
もしこの世界に「推し活」という言葉があったら
セリーヌは嬉々として「私は推し活をしているだけですわ!」みたいなことを言います
「面白かった!」
「続きが気になる、読みたい!」
「今後どうなるの!!」
と思ったら
↓
下にある☆☆☆☆☆から、作品への応援をお願いいたします!
面白かったら☆5つ、つまらなかったら☆1つ、正直に感じた気持ちでもちろん大丈夫です!
ブックマークもいただけると本当にうれしいです!
なにとぞよろしくお願いいたします!




