第19話:泥の牙と、気高き瞳
続きは明日の昼頃にー
エーヴの秋は、美しい黄金色の輝きとは裏腹に、深く冷たい影をその土の下に隠し持っている。
温暖な気候と豊かな温泉を求めて、大陸中から富裕層が集まるこの地には、その光に群がる羽虫のような悪意もまた、絶えず湧き出し続けていた。
その筆頭が「ベルショー商会」である。
表向きは高級日用品を別荘地へと届ける誠実な商人。だがその真の顔は、療養地で孤立した身寄りのない子供や、護衛の薄い令嬢を狙い、影の市場へ売り飛ばす人身売買の元締め。
そしてその牙は、ヴィクトール様が公務のため、別荘を留守にしたある日の午後に襲いかかってきた。
「――お嬢様、落ち着いて聞いてください。別荘の周囲に、妙な一団がたむろしています」
ドミニクが、サンルームに飛び込んできた。その顔には、いつもの軽口を封印した、騎士としての峻烈な緊張が走っている。
私はシリル君に帝国の文字を教えていた手を止め、窓の外に目を向けた。
「妙な一団……? ベルショー商会の配達員ではなくて?」
「服装こそそうですが、目つきが違います。奴らは『荷物』ではなく、獲物を値踏みするようにこの館を見ている。バーバラ、お嬢様とシリルを奥の隠し部屋へ! 俺が時間を稼ぐ!」
「ドミニク、気をつけて!」
バーバラが私の手を引き、シリル君を抱き寄せようとしたその時。
凄まじい破壊音と共に、一階の正面玄関が踏み破られた。
「ひ……っ!」
シリル君が私の服の裾を強く握りしめる。彼の瞳には、路地裏で幾度となく味わわされたであろう、底知れぬ恐怖が再燃していた。
「シリル君、大丈夫よ。……ドミニク! バーバラ!」
だが、事態は私たちの予想を遥かに超える速さで悪化した。
玄関から乱入してきたのは、商人の皮を被った屈強な荒事師たちだけではない。窓を割り、テラスから侵入してきたのは、明らかに「人を殺すこと」に慣れた専門の連中だった。
「見つけたぜ。……『路地裏の宝石』と、エンドワの侯爵令嬢だ」
現れたのは顔に大きな火傷の跡を持つ、下劣な笑みを浮かべた男。ベルショー商会の実行部隊長だろう。その男の背後からは、次々と武装した男たちが部屋を包囲していく。
「お嬢様に指一本触れさせないわ!」
バーバラが隠し持っていた短剣を抜き放つが、多勢に無勢。ドミニクも複数の敵と交戦している音が聞こえ、こちらを助けに来る余裕はない。
「無駄だ、小娘。お前らの守護神は、今頃別の場所で起きた『騒動』の対処に追われている。ここには助けは来ない。さあ、大人しく……」
「……汚いわ」
私が発した一言に、火傷の男が眉をひそめた。
「ああん? 何が汚いって?」
「あなたのその、薄汚れた野心そのものの顔ですわ。……ケホッ、ゲホゲホッ!」
私は激しく咳き込みながらも、シリル君を背中に隠し、男を真っ向から見据えた。肺が痛い。足が震える。
けれど、私の内側にある審美眼が、目の前の男に対して燃え盛る炎のごとき拒絶反応を示していた。
「な、んだと?」
「私を誰だと思っているの。エヴァーツ侯爵家が長女、セリーヌ・エヴァーツよ。私はこれまで、多くの『高潔なる魂』が刻んだ、美しい歴史を見てきましたわ。それに比べて、あなたは何!? その火傷の跡も、ただの不注意で負ったような、浅ましい暴力の残骸。眉間のシワも、他人の不幸せを願うことしか知らない、歴史の浅い悪党の顔……。見るに堪えなくてよ!!」
男の顔が怒りで赤黒く染まる。
「このガキ…! 売り物だからって、五体満足でいられると思うなよ!」
男が手を伸ばそうとした瞬間、バーバラが体当たりを食らわせ、私とシリル君を別廊下へと押し出した。
「お嬢様、逃げて! 裏のボート小屋へ!」
「バーバラ!」
私はシリル君の手を引き、懸命に走った。
肺が焼ける。冷たい秋の空気が、刃物のように気管を削る。
けれど背後から迫る足音と、シリル君の震える手の感触が、私に限界を超えた力を与えていた。
私たちは別荘を抜け出し、霧の立ち込める森の奥へと逃げ込んだ。
「……ハァ、ハァ…。ケホッ…! 大丈夫……大丈夫よ、シリル君」
木の根に足を取られ、泥にまみれながらも、私は歩みを止めなかった。
シリル君は無言で私の手を握り返し、時折、私の咳を心配するように見つめてくる。
「シリル君……、私ね。ヴィクトール様に教わったの。…自分自身の欲望に、忠実になれって。……今の私の欲望はね、あなたをあんな、美学も知らないような下劣な連中に渡さないことよ!」
私は、自分自身の言葉に鼓舞されるのを感じた。
そうだ。私は美しいものを愛で、守り、記録する者。
あんな、人の歴史を奪い、売り飛ばすような連中の顔なんて、私のスケッチブックの一頁も汚させるわけにはいかない!
しかし、逃亡者の足は遅い。
背後の茂みが大きく揺れ、先ほどの火傷の男たちが再び姿を現した。
「追い詰めたぞ。よく走るネズミどもだ。特にお前、侯爵令嬢。その気の強さは、マニアには堪らない値がつくぜ」
男たちが、獲物を囲い込むように距離を詰める。
私はシリル君を背後にかばい、落ちていた木の枝を拾って構えた。
「来なさい、悪党。…あなたが私を捕まえたとしても、私の瞳はあなたを『人間』とは認めない。あなたはただの、腐りかけの肉塊として私の記憶に刻まれるだけよ。あなたになんか用は無いわ!」
「吠えてろ、ガキが!」
男が飛びかかってこようとした、その時。
――霧の向こうから、一筋の閃光が走った。
「…………え?」
火傷の男の足元の土が、凄まじい風圧と共に弾け飛んだ。
静寂が森を支配する。
重く、冷たく、そして全てを平伏させるような重圧が、霧の奥からあふれ出してきた。
「――私の庭で、随分と賑やかなことをしているな」
その声を聞いた瞬間、私の全身の力が抜けた。
シリル君が「…っ!」と短い息を吐き、私の背中から身を乗り出す。
霧を切り裂いて現れたのは、黒の外套をなびかせ、瞳に静かなる激怒を宿したヴィクトール様だった。
その背後には、抜き放たれた剣を構えたドミニクと、帝国の精鋭騎士たちが控えている。
ヴィクトール様の顔は、今までのどの瞬間よりも深く鋭い、「不浄を許さぬ統治者」のものだった。
(ああ……。ああ、なんて…!)
私は地面に膝をつきながらも、その姿から目を離せなかった。
怒りの中に宿る気高き正義。
弱き者を守るために、自らを削って生きる大人の、究極の美。
「ヴィクトール……様…」
「遅くなって済まない、セリーヌ嬢。よく頑張った。君のその気高さが、シリルの心を守り抜いたようだ」
ヴィクトール様は私に歩み寄り、泥に汚れた私の手を、大きな、そして温かい手で包み込んだ。
その瞬間、私は確信した。
私が大人になったとき、隣にいてほしいのは。
あんな、何も持たず、何も守らず、ただ自分だけを愛でるような若者ではない。
この、汚れた泥の中にいてもなお、決してその輝きを失わない、深い歴史を背負った「大人」なのだということを。
「……さあ、掃除の時間だ」
ヴィクトール様が冷徹な視線をベルショーの連中に向ける。
日記を更新しましょう(12歳のセリーヌの日記より)。
『○月×日。霧の森にて。
今日、私は「悪」というものの本当の醜さを知った。
それは、シワがないことでも、老いていることでもない。
他人の歴史を敬わず、ただ消費しようとする、その浅ましさそのものなのだ。
そして、私は知った。
守りたいもののために、鬼のような顔で戦うヴィクトール様が、どんな黄金よりも美しく輝くことを。
私は決めた。……いつか、あの方に相応しい、歴史ある女性になってみせると。
(追伸:ドミニクに助けられた瞬間、彼が「お嬢様、顔が変態に戻っています」と言ったけれど、私は聞こえないフリをしましたわ)』
今回のポイント
>>>顔が変態に戻っています<<<
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