番外編5:錆びた剣の末路、あるいは届かぬ玉座(リチャード視点)
続きは数時間後にー
石造りの壁は、ただただ冷たく、湿っていた。
王都の地下深く、日の光も届かぬ独房。かつて「王国の剣」と称えられ、白銀の甲冑を纏って馬を駆っていた男の姿は、そこにはなかった。
泥と血で汚れたままの服。砕かれた膝の痛み。そして何より、右肩を貫かれた傷が、拍動に合わせてじりじりと熱を持っている。
リチャード・エンドワは壁に背を預け、虚空を見つめていた。
「……おのれ。…おのれ、セリーヌ・エヴァーツ」
口からこぼれるのは、呪詛のようなその名前だけだ。
あの日、石切り場で彼女に突きつけられた言葉。あの冷徹な、まるで汚物を見るかのような眼差し。それが今も、リチャードの胸を鋭く抉り続けている。
――あなたの魂は、薄っぺらな紙屑同然。
――拝む価値など、欠片もございません。
「…何が歴史だ。何がシワだ。……俺は、俺はエンドワの血を引く、紛れもない王族だぞ…!」
暗闇の中で、彼は自らの震える指を見つめた。
リチャードには、どうしても手に入れなければならないものがあった。それが「玉座」だ。
彼は現国王の甥であり、王太子の従弟。血筋だけで言えば、この国の頂点に立つ資格は十分にあるはずだった。
だが、このエンドワ王国には呪わしいほどに細かい規定が存在する。
『直近三代以内に他国の血が入っている者は、王位継承権を剥奪される』
リチャードの祖母は、隣国から輿入れした王女だった。たったそれだけの理由で、彼は生まれながらにしてスペアですらない、日陰の存在として定義されたのだ。
自分が、どれほど武功を立て、王太子よりも民に愛される英雄を演じても。
あの煌びやかな玉座に座ることは、決して許されない。
その事実が、少年の頃からリチャードの心を、どす黒い野心で焼き尽くしてきた。
だからバリッシュ王国と手を組んだ。
内側からこの国を腐らせ、混乱の中で救世主として立ち上がる。そうすれば規定など無視し、民に迎えられながら玉座に座ることができる。そのために、強い軍事力を持つエヴァーツ侯爵家を「婚約」という鎖で縛り上げ、後ろ盾とする必要があった。
すべては完璧だったはずなのだ。
あの蜂蜜色の髪をした令嬢が、自分の偽りの歴史を、シワ一つから見抜くなどという、あり得ない事態さえ起こらなければ。
「ふ、ふふ。あはははは!」
自嘲の笑いが、独房に反響する。
その時。重い鉄格子の向こう側で、靴音が響いた。
松明の光が揺れ、影が伸びる。
リチャードが顔を上げると、そこには豪華な装束に身を包んだ、年老いた男が立っていた。
「…叔父上」
現国王、ジャクソン・エンドワ。
リチャードが老いさらばえた障害物と見なしていた、この国の絶対君主だ。
「リチャード。無様な姿だな」
王の声には怒りよりも、深い落胆が混じっていた。
リチャードは砕かれた膝を突き、這いずるようにして格子の側に寄った。
「叔父上…! 助けてください、何かの間違いなのです! 私は、バリッシュに脅されていただけで…!」
「黙れ、リチャード。エドモンドから届いた密書、そしてスザンナ・マロリーの証言。それだけではない。お前がバリッシュへ送ろうとした、書き換えられた密書……その筆跡も、既に鑑定済みだ。もはや言い逃れはできん」
王は冷たい瞳で甥を見下ろす。
「なぜだ、リチャード。お前には近衛副団長の地位を与え、国民からの信頼も厚かった。なぜ、国を売るような真似をした」
「……地位だと!? そんな、お飾りの地位に何の意味がある!」
リチャードが叫ぶ。抑えていた激情が、濁流となって溢れ出した。
「私はあなた方と同じ、エンドワの血を引いている! なのに、あのくだらない規定のせいで、俺は一生、あなたの息子の陰に隠れていろと言うのか! あんな、馬を駆ることもできぬ軟弱な王太子の後ろで、私は一生、剣を振るうだけの道具でいろと言うのか!!」
王は、静かに溜息をついた。
「規定は規定だ。血の純潔を守ることは、この国の平穏を保つための盟約なのだ」
「平穏だと!? 笑わせるな! 私は、私自身の力で、この国の歴史を塗り替えたかった! 俺こそが、真の王にふさわしいことを証明したかったんだ!」
リチャードは、格子の隙間から王の衣を掴もうとした。
「叔父上、お願いだ…。一度だけチャンスをくれ。バリッシュの情報をすべて吐く。だから、私の命だけは……!」
だが、王は静かに身を引いた。その動作には、リチャードが最も嫌う「高貴な者」の余裕があった。
「悪いが、リチャード。私一人の判断で、お前を助けることはできない。お前が狙ったのは、エヴァーツ侯爵家だ。あのベンジャミンが、どれほど娘を溺愛しているか、お前も知っているだろう?」
「…………っ」
「既に、エヴァーツ侯爵からは正式な抗議文が届いている。『我が娘に恐怖を与え、その尊厳を汚そうとした大罪人には、極刑以外の慈悲は不要である』とな。…そして、エドモンドからもだ。彼は帝国で肖像画を描くのを楽しみにしていたというのに、お前のせいで予定が狂ったと、ひどく憤慨している」
王は最後に一度だけ、リチャードの顔を見つめた。
「セリーヌ嬢が言っていたよ。お前の顔には、歴史を刻む資格がない、とな。…今の私にも、それがわかる気がする。お前はただ、与えられた場所で輝くことを拒み、他人の光を奪うことしか考えていなかった。そんな男に、この国を背負う重みなど、耐えられるはずがなかったのだ」
「ま、待て…! 叔父上! 行かないでくれ!!」
松明の光が遠ざかっていく。
王の背中が闇に消え、再び独房には、静寂と冷気だけが戻ってきた。
「…ああ……ああああああ!!」
リチャードは、汚れた床を拳で叩いた。
砕かれた膝が痛み、右肩の傷がうずく。
だが、何よりも彼をさいなむのは、これから死を待つだけの長い時間の中で、自らの顔に刻まれていくであろう、惨めで、醜く、誰にも顧みられない「敗北者の歴史」だった。
セリーヌ・エヴァーツ。
彼女は言った。自分のシワはただの汚れだと。
彼は一生、その汚れを背負って、暗闇の中で朽ちていく。
玉座に座ることも、英雄として歴史に名を残すこともなく。
ただ王族の出来損ないとして、人々の記憶から消し去られるために。
リチャードは、冷たい床に顔を押し当てた。
そこには、彼がかつて馬鹿にしていた土の匂いだけが、いつまでもまとわりついていた。
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