第9話:本当に落ちているとは思わないじゃない
続きは本日中にー
王都を出発してから、馬車に揺られること四日。前後を固める騎馬護衛の蹄の音と、重い荷馬車が軋む音。それらが混じり合う我が家の馬車列が、街道を順調に進む。
街道の両脇に広がる景色は、石造りの街並みから、次第に深い緑の森と広大な湿地帯へと姿を変えていた。
「お姉様、本当にお父様も極端ですわね。病気療養の名目だなんて、お姉様は今、人生で一番と言っていいほどお元気なのに」
向かい合わせに座る妹のキャサリンが、呆れたように窓の外を眺めながら言った。彼女の茶髪が、馬車の揺れに合わせて軽やかに跳ねる。
「いいじゃない、キャサリン。お父様が心配してくださっているのですもの。それに王都の空気は少し…若すぎて息が詰まりますわ。領地に戻って、ゆっくりと時の流れを感じるのも贅沢なことですわよ」
私は、膝の上に置いたスケッチブックを愛おしそうに撫でた。そこには王都を発つ直前に、門番の老騎士から採取した「甲冑を着込む際の姿」が、完璧な筆致で収められている。
「付いてきてくれて嬉しいけれど、キャサリンは良かったの? 王都を離れて。あちらには、あなたを狙っている年若い令息もたくさんいたでしょう?」
「これと言って良い人がいないんですよね。それに私が有力貴族と結婚して、うちの権力がこれ以上強くなると、あちこちから目をつけられそうで怖いですわ。お父様は陛下と近すぎて、ただでさえ周囲から注視されていますもの」
キャサリンは、いかにも現実的な冷めた口調で続ける。
「子爵や男爵、あるいは平民の方でも良いかなとは思うんですけれど。やっぱり、生きてきた世界が違いすぎて、いまいちピンと来ないというか」
「難しいわねぇ。恋愛と結婚は別物と言うけれど、あなたならきっと、もっとシンプルに『この人!』と思える相手が見つかるわよ」
「……お姉様に言われると、説得力があるような、無いような。とにかく、お姉様がリチャード様と婚約なんてことになったら、とても、とーっても面倒なことになるのは確かです。王位継承権はないとはいえ、あの方は王家の血筋。後ろ盾にうちを指名した時点で、政治的な意図を感じずにはいられませんわ」
「うわ、絶対にお断りしなきゃ。私、政治の道具になるのは構わないけれど、中身の薄い美青年の横で、一生をシワ不足で過ごすなんて耐えられませんもの」
キャサリンの言葉に頷くと、厚手のカーテンの隙間から、並走する護衛騎士の凛々しい横顔が見えた。エヴァーツ侯爵家の私兵は精鋭揃いだ。王家がこの武力を味方に付けたがるのも無理はない。
そんな会話を交わしながら、私たちは領地の境界線近くにある湿地帯へと差し掛かった。
ふと私は窓の外に広がる、背の高い植物の群生に目を止めた。
「あら。ドミニク、少しあそこで止めてくださる?」
伝声管を通じて指示を出すと、先頭を行く護衛騎士が手を挙げ、数台の馬車が一斉に速度を落とした。
停車した馬車の扉を開けたのは、今回の旅の護衛責任者を務めるドミニク・ベンサムだ。
「お嬢様、急にどうされましたか? まさか、また道端の石のひび割れでも観察されるのですか?」
ドミニクが引きつった笑顔で私を見る。彼は私が帝国で療養していた頃からの付き合いで、私の「枯れ専」としての変遷を最も近くで見守ってきた、ある意味での被害者だ。
彼の後ろでは、突然の停車に警戒を強めた数人の騎士たちが、周囲の茂みに鋭い視線を走らせていた。
「失礼ね、ドミニク。あそこを見て。ガマが綺麗に自生しているでしょう? あの花粉は、我が領の名産品である傷薬の原料になるのよ。今年の育ち具合を、一目確認しておきたいわ」
「ガマ、ですか…。確かに、お嬢様は領地の経営にも熱心ですからね。ですが、このあたりは湿地が深いですから、足元には気をつけてくださいよ」
ドミニクの制止を背に、私は侍女のバーバラの手を借りて馬車を降りた。バーバラはドミニクの妻であり、私とは「枯れ専」の同志でもある。
「お嬢様、あちらの方に立派な穂が見えますわね。…あら、でも、あのあたりのガマ、不自然に荒らされていませんこと?」
バーバラが指差す先。確かに、本来であれば整然と並んでいるはずのガマの茎が、なぎ倒され、手前の泥が大きく抉れたような跡がある。
「本当ね。誰かが湿地を横切ったみたい。…ドミニク、ここを抜ける人なんて居るかしら?」
ドミニクが険しい表情で足跡を確認した。
「いえ、まず居ません。ここは底が深いうえに、足を取られたら最後だ。もしここを抜けたというなら、よほどの命知らずか……あるいは、街道を通れない事情がある逃亡者でしょう」
「真っ直ぐ進んだ跡があるわ。……ドミニク、馬車でこの湿地を迂回して、先回りしてみましょう。もし誰かが行き倒れているなら、放っておけないわ」
「お嬢様、危険ですよ! 追っ手がいる可能性も…」
「大丈夫よ。私たちには、王都一の騎士と名高いドミニク様がついているのですもの」
私の(おだてを含んだ)言葉に、ドミニクは「…はぁ、承知しました」と肩を落とし、馬車を走らせた。
湿地帯を大きく半周し、反対側のなだらかな斜面へと回り込む。
すると、そこには。
「……いたわ」
私は馬車が止まるのも待たずに、外へ飛び出した。
泥まみれになり、ボロボロの衣服をまとって横たわっている一人の男性。
ドミニクが警戒しながら先に近づき、首筋に指を当てた。
「……生きています。ひどい衰弱だ。…お嬢様、あまり近づかないでください。素性が分かりません」
だが、私の耳にはドミニクの声など届いていなかった。
「……っ、バーバラ。見て…見てご覧なさいな」
「はい、お嬢様。見えております」
私たちの視線の先。
泥と汚れに塗れているが、その下にあるのは、明らかに高貴な血筋を感じさせる面立ち。
推定、四十代後半。
逃亡の果てか頬はそげ、無精髭が適度に生え、苦悶の色を浮かべて微かに開かれた唇。そして死線を潜り抜けてきた者にしか宿らない、凄絶なまでの枯れのオーラ。
「良い…。なんて、なんて素晴らしいの…!」
私は、汚れを気にせずにその男性の側へ膝をついた。
泥水に濡れて肌に張り付いたシャツの質感。その下から覗く、年月を感じさせる太い血管。そして、意識を失ってなお眉間に深く刻まれた、苦難の歴史を物語る「溝」!
「どこかに素敵な老紳士は落ちていませんかとは思ったけれど。本当に、こんな至高の老紳士が落ちているなんて思いもしなかったわ…!」
「お、お嬢様!? 拾う気満々じゃないですか! どこの誰かも分からないんですよ!?」
ドミニクの絶叫。けれど、その隣でバーバラが静かに、情熱を秘めた瞳で頷いた。
「ドミニク、何を言っているの。お嬢様が拾うと仰っているのです。それに…見て。この方のこの、泥にまみれながらも失われない気高さ。助けない理由がどこにありますか?」
「お前まで何を言ってるんだよ! バーバラ!」
「ドミニク、さっさとこの方を馬車へ運んで。屋敷へ連れて帰るわよ。エヴァーツ家の名に懸けて、この方の『歴史』を絶やさせてはなりませんわ!」
「お嬢様、せめて救護用の予備馬車に! 旦那様にバレたら俺の首が飛びます!」
「ダメよ、私の目の届くところで管理(鑑賞)しなくては。さあ、バーバラ。タオルと清潔なシーツの準備を」
「承知いたしました、お嬢様!」
呆然とするドミニクを尻目に、私は、自分のハンカチで男性の額の泥をそっと拭った。
そこには、私がこれまで見てきたどのシワとも違う、異国の風と戦火を潜り抜けてきたような、重厚な輝きがあった。
リチャード様? 35歳?
……ふふ。
この「拾得物」に比べれば、王都の英雄など、まだインクの乾いていない刷り立てのパンフレットのようなものですわ。
こうして私の領地生活は、予想だにしない大物の捕獲から始まったのである。
日記を更新しましょう。
『第二章・開幕。
本日の大収穫:湿地帯にて、推定48歳の至高の老紳士を保護。
泥まみれの苦悶顔、満点。
生還の予感に、私のペン先は既に震えております。
どうかゆっくりと、私にその人生を語ってくださいませ。
(注:ドミニクが白目を向いているが、無視することにする)』
サブタイトル回収~~~
セリーヌからドミニクへの感情は信頼6:甘え4です
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