番外編3:額縁の末路、あるいは泥団子の日常(ブラム視点)
続きは本日中にー
「おい、ブラム。さっさと動け。お前、今日は食堂の清掃当番だろ」
背後から投げつけられたのは、かつて俺が格下だと見なしていた男爵家の令息の声だった。
いや、今はもう「格下」なんて言葉を使う資格すらない。俺――ブラムは、ゆっくりと重い腰を上げた。手に持っているのは使い古された汚い雑巾と、鼻をつくような洗剤の入ったバケツだ。
「…分かっている。今、行く」
声がかすれる。
あの日、カフェテラスでセリーヌに断罪されてから、俺の世界は文字通りひっくり返った。
父上――エドモンド・アレンビー前伯爵から突きつけられたのは、慈悲の欠片もない勘当届だった。
アレンビーの姓を名乗るな。
屋敷の門を二度と潜るな。
学費だけは卒業まで出してやるが、それ以外の生活費は銅貨一枚も出さない。
最初は、何かの冗談だと思った。
あんなに優しかった父上が、たった一人の息子である俺を見捨てるはずがない。セリーヌに少し唆されただけで、血の繋がりを断つなんてあり得ない。
そう思って何度も実家に手紙を書いたし、直接門まで行った。けれど、門番にさえ「どこの平民だ」と追い返された時、ようやく理解したんだ。
俺は、本当に、捨てられたのだと。
「……おのれ、セリーヌ…っ」
雑巾をバケツに突っ込み、力任せに絞る。
あの女のせいだ。
あの日、彼女がエドモンド様と一ヶ月前に裏で手を組んでいなければ、俺がこんな目にあうことはなかった。
あんなに健気に、俺へ「まあまあ」と笑いかけていたのは、全部俺を油断させるための罠だったんだ。蛇のような女。悪魔のような女!
「何が『見守っている』だ…。人をもてあそんで楽しんでおいて、用が済んだらポイ捨てかよ!」
怒りで指先が震える。
だが、今の俺にはその怒りをぶつける相手すらそばにいない。
一緒に真実の愛を誓ったはずのアリスはどうなったか。
彼女は今、僕と同じ「特待生(平民)クラス」の片隅で、死んだ魚のような目をしている。
あの日、俺が伯爵令息でなくなったと知った瞬間、彼女が見せたあの「ほぇ?」という顔。あれは驚きではなく、あからさまな落胆だった。
『ブラム様ぁ…。あたし、伯爵夫人になれるって信じてたのにぃ。お金がないブラム様なんて、ただのうるさい男の子じゃないですかぁ』
そう言い放って、彼女は俺から距離を置いた。
今では学園内の新しいカモを探して、子爵家の三男坊あたりにすり寄っているらしい。けれど、一度「伯爵家に泥を塗った悪女」という悪評がついてしまった彼女を相手にする貴族なんて、もうどこにもいなかった。
ガリガリと食堂の床を磨く。
かつては、俺が歩くだけで道が開いたこの食堂。
今は俺が掃除をしている横を、生徒たちが「うわ、汚い」と避けて通り過ぎていく。
「見てよ、あれ。元アレンビー伯爵令息様だってさ」
「不敬罪で退学にならないだけマシよね。セリーヌ様に感謝すべきだわ」
「暴力まで振るったんでしょ? 騎士団に連行される姿、マジで面白かったよね」
クスクスという笑い声がトゲのように心に刺さる。
耐えられない。
俺は貴族だったんだ。黄金の髪と、青い瞳。誰もが羨む将来を約束されていたはずなんだ。
生活は一変した。
アレンビー家からの最低限の送金は、文字通り「死なない程度」の金額だ。
豪華な寮の個室は追い出され、今は学園の端にある、湿気臭い四人部屋の寄宿舎に押し込まれている。
食事もそうだ。これまでは専属の料理人が作ったものを食べていたのに、今は学食の、一番安い干し肉と硬いパンのセット。それを、かつて俺が顎で使っていたような下位貴族の生徒たちの嘲笑を浴びながら、隅っこで食べる。
「…ちくしょう、ちくしょう!」
床を磨く手に力が入る。
そんな時、食堂の入り口が華やかに開いた。
現れたのは、スザンナ・マロリーを伴ったセリーヌだった。
彼女は以前よりもずっと生き生きとした表情で、蜂蜜色の髪を誇らしげに揺らしながら歩いている。
彼女の視線は、俺を一瞥することすらなかった。
…いいや。
彼女の視線は、俺の少し後ろにいた。
配膳台の奥で無愛想に大きな鍋をかき回している、白髪頭の調理長だ。
「まあ! スザンナ様、ご覧になって。あの調理長が鍋を持つ際の、前腕の筋肉の盛り上がり方…。あの方はきっと、三十年はあの鍋を振り続けていらっしゃるわ。あのシワの深さは、職人の魂そのものですわね」
「左様ですね、セリーヌ様。あのように実直に時を重ねた方こそ、尊敬に値しますわ」
二人は、掃除をしている俺のことなど道端の石…いや、転がっているゴミと同列にしか扱わず、調理長の腕について熱心に語り合いながら通り過ぎていく。
情けなくて、涙が出てきた。
俺がどんなに声を上げても、彼女には届かない。
彼女にとって俺はもう必要ないのだ。
清掃が終わる頃には、手は洗剤で荒れ、膝はガクガクと震えていた。
掃除用具を片付けていると、アリスとすれ違う。彼女のピンク色の髪は手入れが行き届かず、ボサボサになっている。俺が買い与えたあの安物の指輪も、もう彼女の指にはなかった。たぶん、当座の生活費のために売ったのだろう。
「……アリス」
俺が声をかけると、彼女は一瞬、忌々(いまいま)しそうに俺をにらんだ。
「…何よ、ブラム。あたしに話しかけないで。あんたのせいで、あたしの人生めちゃくちゃなんだから」
「お前のせいだろ! お前が、マナーなんて知らなくても、愛さえあれば生きていけるって言ったから…っ!」
「うるさいわねぇ! あたしは平民なんだから、知らないのは当たり前でしょ! それを教えもせずに浮かれてたのはあんたじゃない! 自分の父親にさえ見捨てられるような男に、あたしがいつまでも付き合ってあげると思ったのぉ!?」
言い争う俺たちの横を、通りかかった生徒たちが冷ややかに通り過ぎていく。
「またやってるよ、あの二人」
「お似合いだよね。泥団子同士、一生やってればいいのに」
泥団子。
セリーヌに言われた言葉が、呪いのように頭の中で反響する。
――ガシャン!
不意に、背後で何かが割れる音がした。
振り返ると、俺が掃除したばかりの床に、通りすがりの男子生徒がわざとらしくスープをこぼしていた。
「あ、悪いブラム。手が滑ったよ。平民なんだから、掃除くらいお手の物だろ? さっさと拭けよ」
かつて俺が、その身分の低さを馬鹿にして笑っていた男爵家の息子だ。
「……っ、ふざけるな!」
食ってかかろうとした俺の肩を、別の生徒が押さえつける。
「おい、暴力か? またスザンナ様に叩き伏せられたいのかよ。というか、お前が元々やっていたことだろ? 自分がされたら怒るのかよ」
「…………」
俺は、握った拳を力なく下ろした。
スザンナ・マロリー。あの女に叩きつけられた時の腰の痛みは、今でも雨の日にうずく。
俺は、膝をついた。
冷めたスープが広がる石畳に雑巾を当てる。
おのれ、セリーヌ。
おのれ、エドモンド・アレンビー。
おのれ、この学園のすべて。
俺はいつか、見返してやる。
俺を捨てたことを、父上もセリーヌも後悔させてやるんだ。
いつか俺が、自らの力で成り上がって、この学園の頂点に立って…。
そんな空虚な妄想は、腹の虫の情けない音によってかき消された。
汚れたスープを吸い込んだ雑巾を何度も絞り続ける。
汚水が指の間から溢れ出す。
黄金の輝きを失った、ただの泥。
それが俺の、ブラム・アレンビーのなれの果てだった。
ブラムに関しては普段の生活態度も含めて自業自得です
12歳の頃はあんなに可愛かったのにねぇ…
自分に都合のいい声だけを聞き続けた結果かもしれない
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