5.帝都の朝
鼻腔をくすぐる珈琲の深いフレグランス。
コーヒーを挽く時にだけ香る独特の香りだ。
いい豆使ってるなぁ。
最近はインスタントかペットボトルしか飲んでなかったけど、やっぱりコーヒーはちゃんとミルで挽いて……。
挽いて? あれ?
あ――――。
「いや、あれからどうなった!?」
弾かれた様に起き上がり、周囲を警戒する僕。
ギルは!? あのゴブリンは!?
……え、どこ? ここ。
黒鉄と落ち着いた色合いのダークオークの木材が使われたインダストリアルな家具が並ぶ広めの部屋だ。
使い勝手の良さそうなデスクの上にはオールドデザインのタイプライター。
三つ並んだ本棚にはハードカバーの本や大型のファイルが綺麗に整頓されている。
僕が寝かされていたのは部屋の隅に置かれたクイーンサイズのベット。
丸い窓からは朝の日差しが差し込んでいる。
……え、いや、ホントにどこ?
コンコンコンとドアをノックする音。
混乱した頭でドアの方に目をやるとそこにはギルが立っていた。
胸元を飾っていたタイを外し、シャツの首元を緩め袖をまくったラフな格好だ。
「おはよう、ユーリ。珈琲が入ったんだが、飲むかい?」
腕を組んで開けっ放しのドアに背中を預けるギル。そんな何気ない格好が憎らしいほど様になる男である。
「え、あ、うん。お、おはよう……。ここ、もしかしてギルの部屋?」
「ああ。ちなみに女性を連れ込んだのは初めてだ。男のベットで申し訳ないと思ったが、この家にはそのベットしかなくてね」
「ご、ごめん……」
「いいさ。食欲はあるかい? 簡単な物で良ければ作れるが」
「い、いや、そんな申し訳――――」
ぐぅうううぅう。
どうやら僕のお腹は隠し事が出来ないらしい。
「この部屋を出て右に洗面所がある。顔を洗っておいで。タオルは新しいのが積んであるからそれを使ってくれ。その間に食事を用意するから」
フッと笑ってギルは部屋を出ていった。
……くそ。思いっ切り聞かれちまった……。
軽い自己嫌悪に苛まれながらベットから這い出でて、そばに揃えられていた僕の真っ黒なブーツに足を通す。
ドアの横にあるコート掛けには僕のコートがハンガーにかかっていた。
ちゃんとシワにならない様に伸ばされており、ポケットの小銭もそのままだ。
申し訳なくなるほど気の利く奴である。
何となく着ているシャツの臭いを嗅ぐ。
うん。臭くはない……よな?
もし臭いをベットに移してしまっていたら自己嫌悪どころの騒ぎじゃない。
……あれ? 僕、何か忘れていないか?
そう言えば、ポケットの小銭は帝都までの交通費で使い切ったはず……。
いや、もっと重要な事が……。
段々と見慣れつつある薄い胸元に目をやる。
胸元……。
――――あっ!!
「ギルっ! ぼ、僕は何で生きているんだ!?
確かあの時、ゴブリンに撃たれて……! ほら、胸も服も穴なんか空いてなくて――――!」
大慌てでギルのいるキッチンに飛び込む。
そこには呆気に取られた顔をするギルがいた。
「……あー、ユーリ。とても魅力的なのは認めるが、出来れば胸はしまおうか」
「……へ?」
チラッと目線を下に向けると、捲ったシャツの下からスポーティな下着が見えていた。
おぉう……。
「とりあえず顔を洗ってその寝惚けた頭を起こして来てくれ。吾輩も確認したい事は山ほどある。
食事の後にゆっくりと話をしよう」
「あ、はい。お、お見苦しい物をお見せしてしまいすみません……」
穴があったら入りたい……。
冷たい水で顔を洗い、柔らかなタオルで顔を拭く。当然のようにギルは僕用に新しい歯ブラシも用意してくれていた。
穴の底にいるのに更に落とし穴にハマった気分だった。
ふと鏡に映った自分の姿が目に入る。
サラサラストレートの金髪。
たれ目がちな大きなぱっちり二重の金の瞳。
ギルのセリフじゃないが、困った顔も可愛い今の僕の顔だ。
はぁ、早く元の姿に戻りたい……。
何だかギルに女の子セリフを強要されたからか、身体に精神が引っ張られている様な違和感が凄いんだよな……。
僕は何とも言えない情けなさに翻弄されながら、ノソノソと身支度を始めた。
◆
「――――さて。人心地ついたと思うがどうだい? ユーリ。話は出来そうかい?」
暖かな食事の後、二杯目の珈琲を片手にギルが話を切り出した。
大変美味しゅうござりました……。
「う、うん。えっと、どこから話をしたら良いのか分かんないんだけど……」
ここまで至れり尽くせりをしてくれたギルに隠し事なんて出来やしない。
正直に全てを話そうと口を開いた、その瞬間。
ギルが待ったと手をかざす。
「……少し、考えを整理したい。癖でね。考えをまとめる時は口に出したいんだ。
先ずは吾輩の話を聞いてくれないか?」
「も、もちろん。」
うん、と小さく頷きギルは珈琲で口を湿らす。
「思うに、ユーリはこの時代の人間ではない。
滑稽無糖な話だが、もしかしたら違う世界の存在であると考えている」
――――!!
目を見開き、言葉に詰まる僕の顔をジッと見つめるギル。多分、反応を読んでいるんだろう。
オイオイ。マジか……。
「そう思った切っ掛けはエデンの園の話だ。
アダムとイブ、そして知恵の実と蛇……。
旧時代の遺跡に描かれた今はもう誰も語ることのない古い古い神話。でも、君はそれがさも知っていて当たり前のように話をした」
おぉう……。そんな設定になっているのか。
それはまるで犯人の失言を目敏く見抜く探偵の様な口ぶりだ。
あ、ギルの元ネタはかの有名な名探偵だったか。
「強盗に慣れておらず、ホワイトメアにも慣れていない。つまり、帝都の人間ではない。なのにホワイトメアが白霧……、魔力蒸気で生まれる事を知っている。いや、確信している。こいつはちょっと無視できない」
……え? 魔力蒸気がホワイトメアを生み出すって皆知ってるんじゃないの?
「ふふっ。そんな事は初耳だと言う顔だね。
そりゃあそうさ! なんせ帝国の威信をかけて作った大魔導汽罐が怪異の源なんて知れたら流石に大問題さ。一部の関係者や専門機関じゃないと知るはずのない重要な帝国の国家機密ってやつだ。あぁ、吾輩のような一部例外はあるがね」
そ、それは確かに……。
日本で時たま取りざたされる公害どころの騒ぎじゃない。
……って言うか帝都民からするとあの事件程度は日常茶飯事なの?
むしろそっちのが気になるんですけど?
「案外、人は慣れるものなのさ。それが外側の人間から見ると不可思議な事でもね。
まぁ生粋の帝都民なら魔力蒸気に何か原因があるとは思っているだろうが、まぁ噂話程度だね」
僕の考えを読んだ名探偵が先回りをして答えをくれる。
まぁ、そんなもんなのかな。
「とまれ、この時点で君という人間の特異性は伝わるだろう? そして吾輩のスキルを知っている――――」
まぁ、そうだな。
ギルのスキル、『白霧の王』を知っているのは設定じゃあ帝都を防衛する帝国軍の大佐とか警察のお偉いさんとか現場の上層部やギルに仕事を依頼する依頼主だけだ。
初対面の僕がそれを知っている時点で不審者丸出しなのは確かだろう。
「――――奴はそれなりにいるからまぁ別にいい。」
「それなりにいるのかよ!?」
クックックッと笑うギル。
悪戯に成功した子どもみたいだ。
「隠している訳ではないしね。知っているなら分かるだろう? この帝都では、私は無敵さ」
……まぁその通りだろう。
白霧、つまり魔力蒸気を完全に支配下に置き、怪異からその能力を無制限に奪い取る能力。
強キャラの代名詞とも言える能力だ。
ちなみに、スキルはこの世界では割りと一般的だ。
誰もが持っているわけではないが、強キャラは大抵持っているファンタジー作品には付き物の例のアレだ。
ちなみに僕にはない、はずだ。
「君がこの世の理で生きていないと思ったのは、まぁ不振な点はいくつもあるが、確信したのは君の蘇生をこの目で見たからさ……。
あの時君は確実に死んでいたのにも関わらず、朝日と共に蘇生した」
それは僕としても気になる。
いわゆる異世界転移特典のチートとも言えるだろうが、少なくとも僕は気付いたらここにいたんだ。神様的なサムシングにそんなチートを貰った覚えはない。
死に戻りスキルなんてファンタジー作品ではあるあるだが、大抵面倒臭い制約が付きまとうモノだ。
尚更さっさと元の世界に帰りたくなって来た。
一応、アテはある。
その為にも僕の知識が正しいのか確認する必要があゆし、その為にもギルの協力は必要不可欠だ。
……あれ?
「朝日と共に? じゃあそれまでギルは何をしていたんだ?」
話を聞いていて少し気になった。
僕がゴブリンに撃たれたのは夜になってすぐ。
朝日が登るまで何時間もある。
「……死体とは言え君は命の恩人だ。帝都まで運んで埋葬しようと思ったんだ。そうしたら朝日と共に胸の大穴がみるまるうちに治っていくじゃないか!」
まるでワオ! と驚く欧米人の様な身振りでギルが肩をすくめる。
巫山戯た態度ではあるが、ギルのお陰で僕はここにいる。
よく考えたら白霧の王であるコイツにゴブリンのちゃちな銃弾なんか効かない。
言ってしまえば僕の無駄死になのに、そんな僕を恩人と言って死体を埋葬しようと帝都まで運ぶとか良い奴過ぎるだろ……。
見た目も良くて中身も良い奴とか完璧超人かよ……。
「ゾンビ、グール、ヴァンパイア……。死体が蘇るなんて言うのはこの街の夜ではありふれた現象だ。しかし、君は逆だ」
逆? 逆ってなんだ?
「動く死体は朝になれば死体に戻る。何せ、全てのホワイトメアは夜にしか現れない。灰は灰に……。朝日と共に怪異は霧に消える。
でも、君は朝日と共に生還した」
おぉ、確かに逆だ。
白霧の夜に怪異は現れ、朝と共に去るのがこの世界のルール。
でも、僕は朝日と共に生き返ったのだから。
……なんで?
「生存者レヴァナント。
生きている事が当たり前の存在であり、この世界の法則から外れた理外の存在。多分、君という存在にとって、死ぬ事こそが怪異なんだ。
……吾輩は君をそう定義した。予測だがね」
ギルの真剣な赤い瞳が僕を貫く。
大当たりである。
いや、レヴァナント云々は知らないけど、この世界以外の存在と言うのはその通りだ。
流石はギル。やってもいない犯行を認めてしまいそうだ。
「……概ね言う通り、だと思う。多分、僕は異世界からこの世界に来た転移者だ」
「興味深いね。長く怪異に関わって来たが、君のような存在は初めてだ。それが君のように美しい女性であることに運命を感じるよ」
ギルは何か面白い事が起こるんじゃないかと期待に満ちた子どもの様な目で僕を見る。
興味を持ってくれるのは、協力を取り付けたい僕としては願ったり叶ったりなのだが、一点だけどうしても訂正しないといけない。
それを隠したままにするのは、何だかんだとここまで紳士的に相対してくれた彼に失礼だと思うのだ。
「――――僕、男なんだよね」
「は?」
常に余裕綽々なこの男の人生に置いて、多分初めてではないかと思うほど目を見開き、ガチャンとコーヒーカップを落とす。
「だから、見た目は女の子だけど、中身は男なんだ。……なんか、ごめん。」
「は、はぁああぁあ????」
ギルの驚いた声が静かな朝の静寂を突き破って溶けて消えた。




