第6話 第三人格、“マッドサイエンティスト”才川才子 その2
「失礼しま~す」
何度訪れても毎度尻込みしてしまう扉をノックして、いつも通り特に返答が無いことを確認すると俺は室内へ足を踏み入れた。
ここは学園付属大学内にある研究棟の一室。
“学園付属大学”と言うのは珍しい、というか恐らくここにしか存在していない名称だろう。普通なら大学の方に学園が付属するものだ。
小中高一貫の学園の方があくまで学術機構の中心であり大学も研究所も後から付いてきたもの、と名前で明言しているわけである。
――せっかくなので、ここで我が校の紹介をしよう。
“超人類のための能力拡張開発を支援するとともに安定した社会生活を教導する学園”、と言うまことに長ったらしい校名を持つ我が校は、一般には“超人学園”であるとか“超能力学園”の俗称で呼び習わされている。
読んで字のごとく、今世紀初頭にその存在が認められた超人類、あるいは超人と呼ばれる者達の健全な育成のために設立された学園だ。関東のとある海無し県に存在し、学園を中心として国内最大の学術都市を形成している。
付属大学は学園の卒業生の主な進学先であると同時に、超人・超能力研究を志望する学徒が全国、いや全世界から入学してくる。超人先進国である米国はマサチューセッツ州のかの研究所と並ぶ超人研究の一大拠点として国内外から高い評価を得ているためだ。
そしてそんな大学をして“付属”の地位に甘んじざるを得ないのが我が母校超人学園である。
「才子~っ、どこだぁっ~」
研究室内は実験ベンチが十も二十も並んだ大型の一室と、そこに併設する形で小さな実験室がいくつか存在している。大学の講義も始まる時間だからか、今は人気はない。
「おー、こっちこっち~」
声を頼りにおっかなびっくり実験ベンチの間を抜けていくと、別室へと続く扉。
「うっ、ここ入るのかよ」
扉の上に“細胞培養室”と書かれたプレート。何度か才子に呼び出されて訪れているが、やはり何度訪れても尻込みしてしまう。相変わらず専門家以外立ち入り禁止感バリバリの雰囲気だ。
「……失礼しま~す」
「来たわねっ。とりあえずこの細胞、全部メディウムをこれに交換してっ。あ、それなりに貴重なサンプルだから、絶対にコンタミとかさせないでよっ」
「ぐあっ、そんな貴重なもんなら、軽いノリで素人に手渡そうとすんな。と言うかまず、手袋させてくれ。あと白衣とキャップとマスクもっ」
ドア脇に設置された備品から薄いゴム手袋にマスク、髪を覆う不織布のキャップ、それに紙製の使い捨て白衣を回収し装着する。
「もうっ、大袈裟なんだから」
操作が完璧ならそんなものなくてもコンタミ――雑菌等の細胞培養液への混入――はしないとは才子の言だ。実際才子以外の大学院生や研究者の皆さんを見ても手袋は必須にしてもマスクやキャップまで被っている人は少ないのだが、それでもお客さんに過ぎない身としては厳重に厳重を重ねたい。
「それじゃあこれ、お願いね」
才子に言われるがままにクリーンベンチ内でメディウム――細胞培養液――の交換を行う。これまでにも何度か手伝わされた作業だが、やはり緊張する。
「――ふうっ、終わったぞ」
「うん、それじゃあ肩慣らしはそれくらいにして、本題に入りましょうか。あんたには今メディウム交換をした細胞に超人遺伝子を導入して、超人遺伝子発現細胞を作ってもらいたいのよ。ベクターは何種類かすでに作製したものがあるし、試薬類も助手一号に言って色々用意させてあるから。それが上手くいったら超人遺伝子発現マウスの作製も頼みたいから、さっそく取り掛かってちょうだいっ!」
「いやっ、話が早すぎるわっ。いったい何をどうしたらいいのやらチンプンカンプンだっ」
早口でまくし立てる才子を制止する。
「あんたも生物の授業で培養細胞や遺伝子組み換え動物の扱いくらい習っているでしょう? 後は実際に手を動かして覚えなさいっ」
「待て待て待てっ。習ってないっ、習ってないぞっ! そんなのどう考えても高校生物の範疇じゃないだろうっ」
「あら、そうなの? でもうちの学園よ? 超人を育てようって言うんだから、それくらいのことやらせないと駄目じゃないの。……これはカリキュラムに問題があるわね」
「待て待てっ。才子がそういうこと言い出すと、ガチで授業内容が変更になっちゃうやつだからっ」
「良いことじゃないの」
「いやいや、そんな学期途中で急に授業内容の変更なんて、先生も生徒も大変過ぎるって」
「はいはい、分かったわよ」
才子は“やれやれ”と肩をすくめる。いや、やれやれしたいのは俺の方なんだけど。
「しかたない、それじゃあちょっと説明するわ。――超人遺伝子は知っているわよね?」
「ああ、超人類に特有の変異が入った遺伝子配列ってやつだろう?」
門外漢だがさすがに知っている。と言うか、発見者は目の前にいる才子だ。
曰く、これまで症例報告――こんな超人を発見しましたというレポート――を積み重ねるだけだった超人研究の分野に、初めて科学のメスを入れた極めて画期的な業績だとか。才子が当時現役女子中学生だったこともあり、学術の世界に留まらず大々的な全国ニュースとして報じられ、俺も取材対応などに散々付き合わされている。知らないはずがない。
「今からしようとしているのはね、既存の細胞や動物に超人遺伝子を発現させることで、いわゆる超人細胞や超人的動物になり得るかを調べる研究なの。ここまで分かるわよね?」
「……なんとか」
「それでね、細胞や動物に特定の遺伝子を発現させる方法って言うのは、すでにいくつも確立されてるのよ。手技的にちょっと熟練を要する部分とかもあるけど、基本はプロトコール通りにやるだけ」
「なるほど。それじゃあそんな滅茶苦茶大変ってわけでもないんだな」
“熟練を要する”と言うのがちょっと怪しい気もするが。
「そうっ、そのはずなんだけどね。――これがどんなに熟練した研究者や技官にやらせても、上手くいかないっ!」
ダンっと珍しく感情的に――いや、そうでもないか――、才子はリノリウムの床を踏み鳴らす。
「そんなわけで、あんたの出番ってわけよ」
「いや、“そんなわけで”って。何で俺?」
「ん~~、…………勘?」
「どっから突っ込んだら良いんだ? 疑問形で言われても困るし、そもそも勘って」
天才科学者がそれで良いのか。
「うっさい。とにかくっ、あんたなら何か上手くやりそうな気がするのっ! さあっ、さっそく取り掛かりなさいっ!」
「いや、そんな適当なことで上手くいくのか?」
「良いのっ! だいたいあんたに選択肢なんて無いんだからっ。分かってるんでしょうね、別にあたしはあんたと妹子の交際を認めてやらなくたっていいんだからね?」
「……ああ、そういやそういう話だったっけ」
「ちょっと、何を寝ぼけたこと言ってんのよ? 何しにここ来たかも忘れちゃったわけ?」
「あー、いや、どうせやるんだったら、妹子のこと抜きにしてもちゃんと才子の力になりたいからさ」
「ぬっ、ぐっ。――そう思うんならっ、とにかく手を動かしなさいっ。研究なんてもんはね、結局のところ最後は数がものを言うのよっ!」
「はいはい、分かった分かった。でもとりあえずまずはプロトコール、いや、その前に原理的な部分を教えてくれよ。何も分からず手だけ動かすなんて怖すぎる」
「ちっ、仕方ないわね。…………一応ウィルスも扱うし、基礎はちゃんと教えとくか」
「ちょっとっ、今なんかすっごい怖いこと言わなかった?」
「良いから、黙ってあたしについてきなさいっ」
こうして俺は授業の代わりに才子先生のスパルタ指導を受けることとなるのだった。