第5話 第六人格、“スケバン” 鬼ヶ島虎子 その2
「それで? てめえがこんな時間にこんなところまで出張って来るなんて、珍しいじゃねえか。あたいにいったい何の用だ?」
「えっと、……な、何て言えば良いのかな。そのですね、虎子さんの妹であらせられます妹子さんとですね、そのぉ、この度私ですね」
「あー、もういいもういい、うだうだとまどろっこしいっ。素子から聞いてるぜ、クズ野郎。てめえ、妹子と付き合うんだってなぁ。――かぁっ、やってくれるぜっ」
才子同様、話が早い。俺が今回の件を持ち掛ける二人目に虎子を選んだ理由の一つだ。
「あ、ああ、それで――」
「あたいの許可が欲しいって? それなら、やるこたぁ分かってるよな?」
「ええっと、もしかして、…………タ、タイマン?」
「おうっ、さっすがクズ野郎っ、あたいのことよ~く分かってるじゃあねえかっ。あたいより弱い奴に妹子はやれねえっ! 妹子が欲しけりゃあたいを倒して行きなっ!」
「いやいやいやっ、無理だからっ。俺が虎子に勝てるはずがないだろうっ」
“アスリート”が磨き上げた肉体と身体感覚に、“マッドサイエンティスト”の知識と理論、そして“オリジナル”の天才性。人類史上の才知を惜しみなく暴力に全部ぶっこんだ破壊の権化。女だてらになどと言うレベルではなく、たぶん男女混合の無差別級で日本一、いや世界一喧嘩が強いのが虎子と言う女である。
「へっ、ずいぶんと弱気じゃねえかっ。昔はよくあたいの喧嘩に付き合わせたもんだろうっ」
「だからこそ勝負にならないのが分かり切ってるんじゃないかっ」
鬼ヶ島虎子はスケバンはスケバンでも正義のスケバンである。
今でこそ彼女を慕う舎弟が複数人いるが、人格が生まれた直後は一人悪を挫く孤高の存在であった。どこからか情報を聞きつけては悪さをする半グレやら不良やらの集まりに乗り込んでいって自身の正義を執行した。当然ながら心配で付いて行った俺も、乱闘に巻き込まれたことは一再ない。
「へっ、謙遜すんなよ。案外クズ野郎ならあたいとも良い勝負するんじゃないかと、あたいは踏んでるんだ」
「いやいやいやっ、無いからっ。一方的だからっ、タイマンじゃなくただの虐殺になるからっ」
「それじゃあ妹子のことは諦めるってのか? ああ?」
「ぬっ、ぐっ」
「ちなみにここで諦めるなんてふざけたことぬかして妹子を泣かせやがったら、……てめえ、マジでぶん殴るからな?」
「くっ、――やっ、やってやらぁっ! かかってこいっ、虎子っ!」
どっちにしろ殴られるなら、やるしかない。
俺は意を決して立ち上がると、拳を握り両腕を立て、なんとなくボクシングっぽいファイティングポーズを取る。恐る恐る、虎子の座るソファーからはだいぶ距離を取って。
「良い覚悟だっ。あたいの妹に手を出そうってんだからっ、――そうじゃなくっちゃなっ」
虎子は“なくっ”で立ち上がったかと思えば一瞬で距離を詰め、“ちゃなっ”と口にした時には俺の目の前で背中が見えるくらいまで思いっきり身体をひねり拳を振り被っていた。
「――ぐはっ」
直後襲い来る強烈なボディブロー。
俺の身体は“く”の字に曲がって宙を舞い、やがて地に落ち、勢いそのままごろごろと床を転がり、鉄筋か何かにぶち当たってようやく止まった。
「うっ、ぐぐぐっ」
「お~い、大丈夫か?」
見上げた先には唇の両端を吊り上げ笑う虎子。鉄筋と思ったのは先回りした彼女の足であったらしい。
「……じっ、自分で殴り飛ばしたものを追い抜くかよ、普通? 物理法則どうなってんだ?」
「気になるなら才子のやつ呼び出して計算でもしてもらおうか?」
「そういうことじゃねえっ! って言うか、殺す気かっ!」
「へっ、よく言いやがる。気付かねえと思ったか、腹に雑誌か何か仕込んでやがるだろう?」
「ぎくぅっ」
こういうこともあろうかと、立ち寄ったコンビニで週刊少年漫画雑誌――青年誌よりぶ厚い――を購入してズボンに挟み込んでいた。気取られないように身体を丸め縮こまっていたのだが、バレバレだったらしい。
「いっ、いやっ、それにしたってだよっ。雑誌バーン貫通して、腹に穴あくかと思ったわっ!」
「そんだけ叫ぶ元気があって、よく言うぜ。おらっ、さっさと立ちやがれ。タイマン続行だっ」
「……いやー、もう少し横になってたいなぁ」
「ああっ? なんでだよ? あたいの流儀は知ってるだろ。喧嘩が続けられねえだろうが」
「流儀って“女子供とぶっ倒れてる野郎は殴らねえ”だったか?」
「そうそう、分かったならさっさと立ちな」
「いやー、でもなぁ」
「何だ、そんなに効いちまったのか? 大丈夫か? 今日は帰るか?」
自分で殴り飛ばしておいて虎子は気遣わしげな表情で膝を曲げ、顔を近づけてくる。
「おおう、そうするとより一層良い眺めに」
「良い眺め? なんだそりゃあ?」
「……あー、言おうか言うまいか迷ってたんだけど、言うわ。さっきからパンツ見えてるぞ。お前、すっげえのはいて――ふごっ」
虎子はバヒュンと足にバネでも仕込んでいたかのように立ち上がり―――、次の瞬間には俺の視界は虎縞パンツからごつごつとした靴底に切り替わった。
「ふぐっ。りゅっ、流儀とやらはどこ行った!?」
「殴ってねえだろがっ」
「屁理屈だっ」
「いいからさっさと立てっ」
「いや、今立つと――、うおっ」
手を取って強引に引き起こされると、タラーリと鼻から鮮血が滴った。
「てめえっ、あっ、あたいのパンツ見てなに鼻血なんて出してやがるっ。このクズっ! エロクズっ!!」
「ち、ちげえよっ。虎子が人の顔面踏んづけたからだろうがっ」
「ちゃんと手加減してますーっ! 鼻血が出るほど強く踏んでませんーっ!」
そうしてひとしきり大騒ぎしていると、やがて出血も、虎子の機嫌もいくぶん収まった。
「ったくよぅ。あたいのパンツ見て鼻血出すなんて、ほんっとしょーがねえなぁ、このクズ野郎はよぅ」
これ以上は反論しても無駄だから、汚名を甘んじて受け入れた結果とも言える。――まあパンツを覗いたのも、そこから伸びる肉感的な太ももを凝視したのも事実であるから、“鼻血は踏み付けによるものです”と抗弁することにあまり意味がないと気付いたとも言える。別に何の言い訳にもなっていない。
「――ふうっ、で、続きどーすんだよ? まだやるか?」
「あー、今日のところはこれで。……再戦ありだよな?」
強がって平気なフリをしていたが、実はさっきから脂汗がすごい。
「おう、勝てるまで何度でも向かって来て良いぞっ。次はいつやるっ? 明日やるかっ!?」
「あー、……まあ、考えとくわ」
正直勝ち筋がまるで見えない。やるだけ無駄としか思えなかった。
「そんじゃあ今日の喧嘩は終わりだな。ちょいとお話でもしようじゃねえか、クズ野郎」
虎子はそう言うとむんずと俺の首根っこを引っ掴み、ソファーまで文字通り引きずって行く。――早く家帰って休みたい、なんなら病院行きたいんだけど。
「…………」
「…………」
話をすると言っておいて、ソファーに並んで腰掛けると虎子は押し黙ってしまう。ややあって、ようやく絞り出すように言う。
「……そ、そんで、も、もももっ、もうっ、チッスくらいはしたのかよ、い、妹子とは?」
「はあ? するわけあるか、妹だぞ」
「なんだ、その“お前何言ってんだ?”って顔は? その妹と付き合おうって話だろうがよっ」
「あ、ああ、そういやそうだったな」
「ったく、寝ぼけたこと抜かしてんじゃねえぞ」
「すまんすまん。でもそういうエッチなのは皆の了解を得てからってことになってるからな」
「はあー、なるほどね。ヘタレなお前が必死になるわけだぜ。妹子にお預け喰らってるのかよ。まあ、考えてみりゃあそりゃあそうだよな。妹子とお前がチッスしちまったら、……そ、そそっ、それって要するに、あたいらにとってもファっ、ファーストチッスってことになるわけだしなっ」
「…………」
「てめえっ、何黙ってんだよっ! 何か言えっ、変な空気になるだろがっ!」
「ぐはっ」
「あっ、ちょっとクズ野郎っ」
理不尽な照れ隠しを受け、俺の意識は今度こそそこで途絶えた。