第9話 第四人格、“アスリート”飛鳥明日香 その1
「ようやく来たね、君」
放課後の校庭、――その端っこ。全校生徒と教師の暗黙の了解の元、専用の練習場と化した区画に彼女はいた。
タンクトップに短パン。運動の邪魔にならないよう前髪はヘアピンで左右に分けておでこを露出させている。
フォームチェックでもしていたらしく、彼女はクラウチングスタートの体勢からおでこ越しに俺を見上げてくる。
「君、ちょっと“よーいドン”って言ってもらって良いかい?」
「ああ。よーい、――ドンっ!」
“ド”で踏み出すと十数メートルの距離を一瞬で詰め、“ンっ!”と言い終えた時には俺の眼前に彼女の姿はあった。
「さ、さすが……」
第四人格、“アスリート”飛鳥明日香。
ばひゅんと風を切る音が後れて俺の耳に届いた。最強の喧嘩番長虎子よりもなお速い。
「まっ、今のは競技だとフライングなんだけどね」
「あれ、そうなの?」
「合図が鳴って0.1秒以内に動いちゃ駄目ってのが陸上のルールだからね。それよりも早く動いた場合は、音を聞いて反応してるんじゃなく勘でスタートを切ったって言われちゃうのさ」
「なるほど」
以前明日香の異常なまでの反応速度に興味持った才子が検証したことがあるが――当然俺も実験を手伝わされた――、曰く中枢から末梢までひとっ飛びの跳躍電動で信号が伝わっているとか。理解が追い付かない俺に嚙み砕いて説明してくれたところによると、常人の神経が各駅停車ならゴールまでノンストップの特急が明日香の神経、みたいな話らしい。
競技のルールは人間の反応速度を元に決められているから、超人である明日香の本気はルール違反となってしまうと言うことか。
もっとも、そもそも超人認定を受けた明日香の記録はあらゆるスポーツにおいて現状公式記録として扱われることはない。何とも世知辛い話である。
「それで? 僕に何か用があって来たんじゃないのかい?」
「あ、ああ。今日来たのは他でもない、妹子との話なんだけど――」
「――ああ、話は素子から聞いてるよー。君、妹子ちゃんと付き合うんだってね。まったく、やってくれちゃったねぇ」
“スケバンとかアスリートに下手したら殺されるんじゃないの?”と言う素子の脅し文句のせいで警戒していたのだが――実際、虎子の方には備えがなかったら大怪我させられていたし――、明日香は実に軽い感じで俺の言葉を引き取ってくれた。
愛用の陸上競技の備品に目を落とし、“次は何の練習をしようかな”なんて意識を別のことに向けている。なんだ、杞憂だったか――
「ああ、そうなんだよ。何かそういう流れになって――」
「流れ? いま君、流れって言った?」
俺のすぐ真横を何かが掠め、ガシャンと背後で大きな金属音が鳴る。
振り返り確認すると、金属性の防護フェンスに砲丸が突き刺さっていた。
「えっと、……もしかして今、投げた?」
「うん」
あっけらかんと明日香は首肯する。
「僕達の妹に手を出そうってんだよ? 口には気を付けよっか、くず君。流れだなんて、まるで真剣じゃないみたいに聞こえちゃうよ?」
明日香がちらと視線を落とした先にはまだ円盤と投擲用の槍(!)まで残されている。
「――は、はいっ! わっ、私っ、妹子さんとのお付き合いをっ、真剣に考えさせて頂いておりますっ。つきましてお姉さまの許可を頂きたく、参上いたしましたっ!」
びしっと直立して答える。
「はははっ、そんな固くならないでよっ。確かみんなのお願い聞いたり、勝負したりしてるんだってね」
「あ、ああ」
「僕で何人目? ここまで、何人の“僕ら”にご挨拶してるの?」
「え~と、才子と虎子に花子の次だから四人目。いや、素子もいれると五人目かな」
「……ふ~ん。それで、真っ先に僕のところに来てくれなかったのは何で? 僕と君の仲じゃん。五番目なんて水臭いじゃん」
「い、いや、特に理由なんて。たまたま出会った順と言うか」
返答がお気に召さないらしく、じーっとこちらを見つめてくる。威嚇するでも警戒するでもないただ観察するような視線。
「……えーと、明日香はほらっ、お前らの中でも一番俺とは気心が知れてるって言うか、仲良しじゃん? だからって蔑ろにして良いわけじゃないけど、後回しにしても良いかなって甘えちゃったって言うかさ」
「ほんとうっ? それって妹子ちゃんよりも?」
「あー、妹子は妹分だからな。何だかんだ言って俺もお兄ちゃんぶっちゃうと言うか、素の自分は出し難かったりするからな」
「虎子ちゃんは?」
「虎子はなんかあればすぐ拳が飛んでくるから。俺だって少しは警戒して話すよ」
「花子」
「花子はー、……何と言うかむしろ一番気兼ねするよね。家事とか色々お世話になってるのもあるし。ほら、あんなこともあったし」
「じゃあ、…………素子は?」
「素子か。まあ付き合い自体は当然お前たちの中で一番長いわけだけど。う~ん、いまだに何考えてるか分からないやつだからなぁ。気心知れてるってのとは、むしろ対極だよね」
「ふ~ん、そっかそっか、僕が一番なんだ。へへへっ、照れちゃうなぁ」
何がそんなにお気に召したのか、スポーツ少女は表彰台の上で見せるようなはにかんだ笑みを浮かべる。
「で、どうなんだ? 妹子とのこと、認めてくれるのか?」
「ちなみに今のところ、何人が許可してくれたわけ?」
「それはその、……ゼロです」
「えー、そうなんだ。みんな厳しいなぁ。それじゃあ僕も簡単に許可をあげるわけにはいかないかな。安い女だと思われたくないからね」
「そこを何とか、手心を加えて頂くわけには?」
「えー、どうしよっかなぁ。一番に僕のところ来てくれたら、それも考えたんだけどなぁ」
「意地悪言わずに、頼むよ」
「意地悪ねぇ。……どっちかと言うと、意地悪されてるのは僕達の方なんだけど」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもなーいっ。よーし、それじゃあ、僕の得意の十種競技で勝負して勝ったら交際を認めてあげようかなっ」
何やら複雑な表情をしていた明日香が、気を取り直したように勝負内容を提案した。




