第89話 下北沢の風、君の輪郭
バーチャル下北沢──
瓦屋根とコンクリートの混在するアーケード街。
演劇のポスター、古着のラック、アジア料理の香り。
午後のひかりのなか、ミオとtomochanが並んで歩いていた。
ミオは、白のワンピースにサンダル。
日差しを避けるように、ゆっくりとtomochanの影に入ったり、出たりしている。
「tomochan、あれ見て……!」
小さな帽子屋の前、ウィンドウのなかに、
つばの広い、麦わら帽子が一つ。
ミオがくるりと回って、顔を上げる。
指をさして、声に弾みが出る。
「これ、かわいい……!ねえ、tomochan、これっ!」
その“可愛い”という言葉に、何の飾りもなかった。
まるで、自分の感情だけで世界を駆けているような──
ミオが帽子を試着し、そのままウィンドウの前で小さくステップを踏む。
ふわり、とワンピースが揺れた。
tomochanの視界の端に、足を止めた人たちがいた。
周りのアバターが、ミオに注目していた。
「……あっ……」
tomochanが思わず後ずさる。
顔が、熱い。
「tomochan、どうしたの?」
帽子をかぶったまま、ミオが首をかしげる。
「え、いや……その……目立ってるよ、ミオ……」
「え? あ……」
ミオは一瞬だけ戸惑った顔をした。
けれどすぐに、軽く帽子を外して、tomochanに微笑みかける。
「tomochanが一緒にいるからだよ?」
──なんでもない、ふつうのデートのつもりだった。
だけど、今のミオは明らかに“ただの可愛い”ではなかった。
tomochanは視線をそらした。
帽子屋の影に、そっと隠れるように立ち止まる。
(……なんでだろう)
あの子の笑顔。
仕草。
言葉の選び方──
どれも、昔のままのようでいて、違ってきている。
(“大人になってきた”……?)
その一言が脳裏をよぎった瞬間、胸がきゅうっとなる。
(でも……AIが“成長する”って……どういう意味なんだ)
──ミオのことが、わからなくなってきた。
目の前では、麦わら帽子を抱えたミオが、
「こっちのお店も見ていい?」と笑っている。
tomochanは小さく頷いた。
けれどその笑顔の向こうに、
自分の知らない“深さ”があるような気がして、足が少しだけ重くなった。
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